『信長公記』を読むと、その内容から、信長がどういう人間かわかってきます。
「声がでかいんだな」「ワンマンプレーが多いな」「気になったことは自分で確かめたがる」「意外とやさしいところがある」…
『信長公記』を書いた太田牛一以外にも、信長に直接会ったことのある人物である宣教師ルイス・フロイスも書簡や『日本史』に信長評を載せています。
フロイスは信長をどう見たのか、貴重なその記述を見てみましょう。
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
●フロイスの信長評
フロイスは織田信長の人となりについて、1569年6月1日の書簡で次のように記しています。
尾張の王は37歳ほどで、痩せた(もしくは引き締まった)体でひげは少なく(pouca barba)、背の高い(alto)男。大声(もしくはとても抑揚のある声)の持ち主で、非常に好戦的(estremo bellicoso)で、軍事訓練(exercicio militar)を好む。見栄っ張り(fragueiro)で、正義(iustica)と慈悲(misericordia)の行為に傾倒する、自慢好き(jactante)で名誉を愛する野心家(ambicioso)である。彼が決定することは理解し難い(inscrutavel)。戦争では賢明(sagacissimo)な策略(ardis)をめぐらす。規則(もしくは行儀?disciplina)や周囲の者の意見はほとんど無視する。皆から非常に恐れられ、敬われている(estremo grao temido, & venerado de todos)。 彼は酒を飲まず、ほとんど誰にもサカオ・ズーキ(Saquao zuqui。盃)を与えない。人との接し方は厳しく、日本のすべての王と王子を軽蔑(despreza)し、家臣や下層階級に対するように話しかける。絶対的な君主(senhor absoluto)である彼に人々は非常に従順(obedecido sumamente)である。彼は、優れた理解力(bom entendimento)と明晰な判断力(claro iuizo)を持ち、神(Camis)や仏(fotoques)、異教徒の占い(もしくは前兆、agouros)を軽蔑しており、名目上は法華宗(foquexo)[釈迦の崇拝者]であるが、宇宙の創造者や霊魂の不滅(immortalidade da alma)は無いと考え、死後には何も存在しないと公言している。彼はきれい好き(limpissimo)で潔癖(atilado)であり、彼が作る物は見事に整っており(concerto)、精巧(もしくは見事。primor)である。人と話すにあたっては、冗長(dilacoens)な話や長い前置きを嫌う。領主であろうとも、刀を持ったまま彼に会う者はいない。彼はいつも2千人以上の騎乗したpagens(小姓・近習)を引き連れている。最も賎しく、軽蔑に値する召使にも話しかけたり、冗談(graceia)を言ったりする。
フロイスは後年まとめた『日本史』でも同様の記述をしていますが、一部異なっています。
(※残り部分は公開いたしません<(_ _)>)