社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 10月 2022

2022年10月30日日曜日

「先陣争いをした男たち」 佐々木盛季・海野幸氏

 今回の「鎌倉殿の13人」も面白かったですね💦

「和田合戦」で和田氏は滅亡してしまいますが、

一族が全員死んでしまったわけではなく、

子孫の中には戦国時代に活躍した人物もいます(「信長の野望」に出てきていますね♪)。



今回のマンガは、越後系和田氏とも関わりのある、

建仁の乱について書いてみました!

前回からの続きにもなっています😄)

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


鳥坂(とっさか)

新潟県にはまぎらわしい城がある。

それは鳥坂(とりさか)である。

鳥坂(とっさか)城は胎内市(下越)にあるのだが、

鳥坂(とりさか)城は妙高市(上越)にある。

前回のマンガでは当初、まちがえて上越にあると描いてしまっていた💦

変だな…本拠地は下越なのになんで上越の城に立てこもるんだ…?と違和感は感じていたんですが(-_-;)

妙高市の鳥坂(とりさか)城は戦国時代に作られたもので、

信濃方面から春日山城に攻めてくる敵を防ぐための城として作られたようで、

桃井氏が城を任されていたそうである。

今回のマンガで登場した鳥坂(とっさか)城は平安末期~鎌倉時代に城氏によって、

白鳥山(しらとりやま。標高298m)に築かれたものです。

戦国時代のような立派な城ではなく、

周囲に逆茂木などのバリケードを置き、やぐらが設置されているくらいの簡素なものでした。

しかし城氏の士気は旺盛で🔥

佐々木盛綱が来る前に越後・佐渡の軍勢を撃退しており、

盛綱到着後もさんざんに苦しめることになります。

戦後は和田義盛の弟の子孫の土地となり、

中条氏の本拠地となりました。

南北朝の動乱の時に中条茂資が立てこもり、

1450年以降、中条房資が拡大、強化した。

すぐ近くに同族の黒川氏が治める黒川城がある🏰

海野幸氏(1172~?)

父の海野幸親(1142~1184年)は信濃国の武士で、

保元の乱では源義朝に従って戦った。

源平の戦いでは木曽義仲のもとで戦い、1184年、粟津の戦い一条忠頼に敗れ、

木曽義仲と共に戦死した。

海野幸氏は1183年、木曽義仲の子、義高『吾妻鏡』には義高と幸氏は同年齢だったと書かれている)が源頼朝の人質となった際に一緒についていったが、

義高からは片時も離れずにそばに仕えていたという。

1184年、義高が鎌倉からの脱出を試みた際には、義高をひそかに逃がした後は

監視場所に残って義高の身代わりとなり、

服をかぶって双六をし、義高と二人でいるように見せかけた。

監視役はいつも義高と幸氏で双六をしているのを見ていたので、

夜になるまで気づかなかったという。

義高は見つかって殺されてしまったものの、

幸氏は忠義を認められて御家人に取り立てられた。

弓の名人であったようで、『吾妻鏡』には、源頼朝の時代には弓の名人のベスト8(「八人の射手之内爲」。他の7人は下河辺行平・工藤景光・和田義盛・望月重隆・藤沢清親・諏方盛澄・愛甲季隆か。)に入っていたと書かれており、

正治3年1月12日の御的始の儀式などでその技を披露している。

建仁の乱では、越後・佐渡・信濃の御家人が動員されたため出陣し、

佐々木盛綱の息子である盛季と先陣を争ったが、

盛季の従者に乗馬のくつわをつかまれて妨害され、先陣は果たせなかった。

その後戦いの中で負傷している。

嘉禎三年(1237年)7月19日、北条時頼流鏑馬の練習を初めてしたが、

北条泰時は弓の名人の海野幸氏に感想を聞いた。

海野幸氏は「才能があります」とほめるが、

泰時は「悪いところを言ってくれ」としつこいので、

幸氏は「矢をつがえる時に、弓を水平に持っていますが、

昔、(前述の弓の名人たちと)弓矢の談義をしていたときに、

西行が『弓はこぶしから垂直に引くように持つのです。

水平に持つ時より、すぐに射ることができます』と言った際に、

弓の名人たちは感心して、誰も反対の意見を言いませんでした。

ですから、そのように直すべきでしょう」と助言している。

北条泰時はさっそくそれを採用し、三浦義村はわざわざ子どもたちを呼び寄せて、

幸氏に流鏑馬の極意などを聞かせたという。

仁治2年(1241年)には将軍九条頼経にも弓矢の指南をしているなど、

弓矢についてレジェンドとなっていた様子がうかがえる。

2022年10月27日木曜日

マンガでわかる!社会契約論⑥~政府の3タイプ

お待たせしました💦 

社会契約論マンガの更新がだいぶ延び延びになってしまいました😓

前回のマンガが10月8日なので、約20日ぶりですか💦

時がたつのは早い…💦

前回社会契約論⑤では、

国は立法権執行権(行政権)の協力によって成り立っており、

それぞれの仕事を奪おうとしたら、国は崩壊してしまうので、

人民は立法権(法律を作る)を、政府は執行権(行政権)(法律を実行する)の範囲を守って仕事を行うことが大切だ

ということについてやりました。

今回は執行権(行政権)を担当する政府についての話をしようと思います♪

『社会契約論』では第三編第3~6章部分にあたります。これでだいたい半分まで来ました(;^_^A)

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


〇最良の政府の形とは?~ルソーはかく語りき

独裁政治である君主政をこきおろすのはわかるのですが、

人民のほぼすべてが行政に参加するやり方である民主政が一番いいと思いきや、

ルソーは「民主政は必ず腐敗する」というんですね。

法律を作るし、法律も実行するし、となったら、

必ず自分の利益を考えて法律を作るようになってしまうからだ、というのですね。

例えば部活で練習で部員が疲れている、監督がアイスでも食べるか、と言って部員たちをスーパーに連れて行ってアイスをおごってあげる。

しかし、監督がアイスを食べることを提案するだけでなく、自分で買ってくることもしたら、

監督好みのアイスを優先して買ってきて、苦手なアイスを食べることになる部員が出てくるかもしれません。

ですから、法律を作って、企画立案はするけれど、実際やることには手出しをしないよ、というのがいいのです。

また、ルソーは「民主政ほど、内乱・内紛の起こりやすい政府はない」と言います。

「船頭多くして船山に登る」という言葉もあります。

指示を出す人が多すぎると混乱しますし、多くの人でやると長い時間がかかります。

リーダーがいる君主政のほうがまだ安定するでしょうが、

君主制は「みんなのやりたいこと(一般意志)」を重視してくれません。

では、どうするといいのか。

ルソーは、「貴族政」を推します。

貴族政というと何か変なものをイメージしてしまうのですが、

まぁ現在の政府の形もこれにあたるでしょう。

貴族政は一部の者が行政を担当するので物事がスムーズにいきます。

そしてルソーは行政官は選挙でえらばれるのがいい、と言います。

選挙では見識があり、能力がある人が選ばれるからだと。

現在の日本だと、行政のトップ(大臣)は選挙で選ばれた人ですが、

国家公務員(官僚)は試験で選抜された人たちです。

試験で選抜される国家公務員はまだ能力が保証されていますが、

一方行政のトップ(大臣)は選挙でえらばれながら、疑問符が付く人が多いですね😓

ルソーは「共和政(君主政ではない政府のこと)で愚かな者が政府を担当することはまれである」と言っているのですが…💦

立候補者の質が悪いのか、有権者の質が悪いのか。

利権団体(利益集団・圧力団体)などが組織票を持っているのも良くないことだと思います。

(ルソーも第四編第1章で、「小さな集団が大きな社会に影響を及ぼし始めると、人民の共同の利益は損なわれる」と言っています。組織票は禁止しなければいけません…。投票は誰かに言われて投票する相手を決めるものではありません。各個人の意思にゆだねるべきです)

また、もう一つ良くないことは、行政のトップ(大臣)が国会議員でもあるということです。

国会議員は法律を作ること(立法権)を担当しています。

これでは法律も作るし、実行もする、ということになり、

自分たちに都合のいい法律を作るでしょう。

ルソーは「必ず腐敗する」と言いましたが、まさにその通り…(;^_^A アセアセ・・・

国会議員と大臣は分離しなければいけません。

また、ルソーは、貴族政でも「執行権の一部が法律(主権者)から離れやすくなることに注意しなければならない」(第三編第5章)と言っていますが、

最近でも国葬について、政府が独断で開催を決定しましたが、

政府は1999年にできた内閣府設置法の第4条3の33に「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」を担当する、と書いてあることを独断の根拠としました。

これは法律(立法権を担当する国会)を作って決めるべきことを、

行政権が奪ってしまった例といえるでしょう。

行政権の担当は法律(国会)で決まったことを実行するのであって、

国会で国葬が決定した、それを担当するのは政府ですよ、という意味の法律のはずです。

「国の儀式を担当する」とはあっても「国葬の実施を決定する」とは書かれていないのですから、政府の言っていることはおかしいのです。

そもそも国のお金を使うことを政府単独で決めていいわけがないのです😔

次回は、「国会」についてルソーはどう考えていたか、という話をしようと思います!

2022年10月26日水曜日

ドキュメント石油危機11 1973年10月21日~「ツキ」落ちた日本経済

第四次中東戦争が起きてからしばらくして、

日本は本格的に石油危機(オイルショック)で苦しむことになるのですが、

実はその前からすでに日本はいろいろな面で苦しんでいました😰

マンガでは紹介していませんが、公害の問題もありました(-_-;)

※マンガの後に、補足・解説を載せています♪


〇ツキ落ちた日本経済(1973年10月21日 福井新聞より)

国民の努力もあったろうが、高成長時代を振り返ってみると、日本経済は「よくぞ、ついている」と思われるほどうまくいった。つくったものはいくらでも買ってくれるし、必要な資源はいくらでも手に入った。繊維交渉、鉄の輸出規制、通貨不安、円の切り上げ、台湾と中国の問題など、もうだめだと思われたピンチも、最も下手な切り抜け方をしたにかかわらず後になってみるとなんとなくうまくいったものである。イザヤベンダサン※ではないが「ツキ」※※があったとしか思えず、沖縄返還で極まった感がした。

その「ツキ」がここ1年、まるで落ちてしまった。木材思惑が済んでほっとすれば産出国が輸出規制をするし、水不足に異常渇水、電力不足に異常な暑さ、それも終われば今度は灯油の心配だ。通産省が「十分に備蓄ができた」と安全宣言をしたとたんに中東戦争とくる。銅もピークをうったなどいうと、チリの政変※※※でおじゃん。地価上昇が止まれば建設費が上がってやはりマイホームはダメ。全くついていないなと思う。

※イザヤベンダサン…山本七平(1921~1991年)が300万部を超えるベストセラーとなった『日本人とユダヤ人』を書いたときに使ったペンネーム。

※※ツキ…語源は「運が付く」から。

※※※チリの政変…1973年9月11日に、チリで軍事クーデターが発生した。

☆「酷暑日」について

気象庁が30℃以上を「真夏日」(hot dayを日本語訳したもの)と表記するようになったのは1962年。

35℃以上の日を「猛暑日」と定めたのは2007年。

2022年に、さらに40℃以上の日を「酷暑日」とすると決定しました。

防災情報ナビには次のようにあります。

『「酷暑日」は猛暑日の俗称で、一日の最高気温が35度以上の日をいいます。これは、1990年代初め頃からマスコミなどが用いて世間一般に定着したもの』

でも、「酷暑日」の表記は1973年の新聞で使用されているので、「1990年代初め頃から」は誤りでしょう。

1973年の場合は32℃以上を酷暑日としているので、

時代によってだいぶばらつきがあったのかな、と思います💦

2022年10月24日月曜日

福井で起きた米騒動①~それは八百屋から始まった

 富山魚津で起きた米騒動が、

「北陸タイムス」で報じられたのが1918年7月25日🍚

新聞などを通して情報が全国に伝わると、全国各地で米騒動が広がっていくことになります。

(※この事情については、また後日マンガにしようと思います☆)

その中で、福井県福井市にも、ついに米騒動の波が押し寄せようとしていました…!

そこで、今回から断続的に、福井県福井市の米騒動について、マンガにして紹介していこうと思います♪😆


2022年10月19日水曜日

ドキュメント石油危機10 1973年10月18-19日~「紙節約国民運動」

 今日は10月19日(2022年)ですが、ちょうど49年前の日本では、

「紙節約国民運動」が実施されようとしていました!💦

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


〇今月上旬の卸売物価 さらに1%続騰 中東紛争の影響は必至

日銀が19日発表した10月上旬の卸売物価※は総平均指数が120.9 (45年[1970年]= 100)と前旬に比べ1.0%の大幅続騰となり、前年同月比でも19.5%という朝鮮動乱(27年[1952年])以来の最高の上昇を記録した。前旬比の伸びは3月上旬の1.0%と同じ高水準のもので、これで4月下旬以来17旬連続の?[読み取り不能]上げである。

上旬現在では中東紛争の影響はまだ出ていないが、今後、非鉄金属、ゴムなど戦略物資価格を押し上げるのは必至で、長期的にはこの影響は免れそうもない情勢である。

上旬で値上がりの激しかったのはパルプ・紙、化学、一般・精密機器など工業製品で、上昇寄与率は50%弱に達した。これらは10月からの下期、第3・4半期入りのため上旬に新しい値決めがされると言う特殊要因があったため。

市況商品には引き締めの影響などで?[読み取り不能]勢が鈍化しているものも見られ、中・下旬は落ち着いた動きに推移するとみられている。このため日銀では中・下旬がもちあいなら10月は1.3%の上昇になるとしているが、実際には1.6・7%の上昇になると見ている。この結果、10月の前年同月比は20%前後の伸びとなり、記録的な物価上昇となりそうだ。

10月下旬に大きく値上がりしたのは、パルプ・紙、同製品(前旬比の伸び3.4%)化学製品(同2.5%)一般・精密機器(頭1.5%)の工業製品と雑品目(同2.3%)。段ボール箱が原紙高から値上げされたほか、パルプ、工業?[読み取り不能]剤、プラスチック製品、印刷インキ、ボイラー等が原料高や資材高から上昇した。これらの中には下期、第3・4半期入りで新しく値決めされたため大きく上昇したものがかなり含まれている。また関西電力の値上げ、骨材の値上がりなどで雑品目が大きく値上がりしたのもめだった。非食料農林産物、製材、木製品は続落し、繊維、鉄鋼なども落ち着いた動きを見せ始めており、7 ・8月の全面的な高騰がここにきてやや波乱含みの動きに変わってきた。

※卸売物価…企業間で取引される中間財(住宅設備など)や原材料の価格のこと。なんで住宅設備が入るのかというと、家を買うときについてくる住宅設備(システムキッチンなど)は消費者が買っているわけではないため。

〇紙不足ますます深刻に 節約へ「国民運動」 政府が方針

紙不足がますます深刻となり、紙類の価格も大幅な値上がりを続けているが、通産省は政府、国民が一体となった「紙節約国民運動」を展開する方針を固め、19日の閣議で中曽根通産省から説明、閣議の了承を得た。22日の各省庁事務次官会議で申し合わせたうえ各官庁、公団などが率先して紙節約に乗り出す一方、11月中旬に消費者、学?[読み取り不能]経験者、?[読み取り不能]要協会、製紙メーカーが参加する「紙使用合理化懇談会」(会長、宇野勝?[読み取り不能]早大教授)を発足させ、紙節約の具体策を固め、期限を切らない国民運動として年内にもスタートさせることにしている。

同省によると、紙の消費は公害対策などで伸び悩んでいる供給を上回る勢いで増加しており、従来のような使い方を続けると、55年[1980年]には47年[1972年]のほぼ2倍の2700万トンに達すると予想される※。

すでに本年度の供給見通しは、在庫分を11万トン放出してようやくトントンになる綱渡り状況となっている。この傾向は今後いっそう強まる見込みで、原木の外材依存率も45年[1970年]の18.9%から本年度は33.3%へ高まっている。同省はこうした事態に対処するため、設備投資の推進、海外資源の開発と古紙回収の促進など供給増加に努める一方、消費節約の国民運動を進めることにした。

※1980年の紙消費は、節約運動が功を奏して、1809万トンまで抑えることに成功した。1972年に1365万トン、1973年に1598万トンだった紙消費は1974年に1565万トン・1975年に1360万トンと2年連続で減少した。

ちなみに今の紙消費は2331万トン。紙消費のピークは2000年の3183万トン。その後、リーマンショックやコロナによって紙消費は減少を続けた。

また、目の敵にされた電話帳だが、当時年間8万トン分の紙を消費していた。政府から要請を受けた電電公社(現NTT)は①収録区域の分割による分冊化、②発行周期の延長(1年から1年半)を実施している。

(記事は『福井新聞縮刷版1973年10月中』 10月20日より。)

2022年10月17日月曜日

10月17日はどんな日??

 今日は10月17日ですね~☆

10月17日といったら「あの日」ですね~😝

…ということで、それにちなんで、

10月17日はどんな日なのか紹介したいと思います☆

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


10月17日とは??

10月17日が「あの日」なんで、

10月17日のことについて何かないかな、と調べていたら、

10月17日が昔、祝祭日だったことにびっくりしました!!(◎_◎;)

なんでも10月17日は「神嘗祭(かんなめさい)が行われる日であるそうな!

今年も伊勢神宮で外宮では10月15~16日に、内宮では16~17日に神嘗祭が行われているそうです。

しかも伊勢神宮で行われる祭りの中で、最も重要な祭なんだとか!!😱

伊勢神宮のホームページには、

『神嘗祭は、その年に収穫された新穀を最初に天照大御神にささげて、御恵みに感謝するお祭りで、由貴大御饌と奉幣を中心として、興玉神祭(おきたまのかみさい)、御卜(みうら)、御神楽(みかぐら)などの諸祭を行います。

さらに附属のお祭りとして、春に神宮御園で行われる御園祭、神宮神田で行われる神田下種祭、秋の抜穂祭のほか、御酒殿祭、御塩殿祭、大祓があり、神宮の年間の祭典は神嘗祭を中心に行われているといっても過言ではありません。』

『収穫に感謝し新穀を奉る神宮至高の神事』

と書かれています。

そうなんだ…!(◎_◎;)💦

しかし戦後になって、国家神道の影響を日本から無くそう、という方針のもと祝祭日から外されてしまいます😓(休みが減ってしもうた…)

他に消えた休日というと、

1月3日の元始祭、1月5日の新年宴会(外国の大使などを招き盛大に宴会が行われる日であったという)があります。これは祝日で、

神嘗祭は祭日でした。

同じく祭日であった新嘗祭は、「勤労感謝の日」にチェンジしています。

新嘗祭は収穫に感謝する祭であることから、

はじめ「新穀祭」「生産感謝の日」という名称が候補としてあがったものの、

「感謝の日」で決まりとなります。

しかし、「感謝の日」とは何に感謝するのかあいまいだ、

という注文が入って、「勤労感謝の日」「労働感謝の日」の2つの案が出て、

「勤労感謝の日」に決まったそうです。

10月17日もなんとか休日で残せなかったのかなぁ~(;^_^A

[誕生日]

ヨハネ・パウロ1世(1912~1978年)

1978年8月26日にローマ教皇に就任。

これまでのローマ教皇の一人称は「朕」だったのを「私」に変えたり、

豪華な戴冠式をやめたりするなど、改革派の教皇でした。

また、教会の要職に、中南米やアフリカ出身の人物を採用します。

また、カトリック教会ではこれまで避妊をすることに否定的でしたが、

ヨハネ・パウロ1世は「本当に望んでいる女性だけが妊娠すべきだ」と主張しました。

他にも不透明な財政であったバチカン銀行にもメスを入れます。

しかし、ヨハネ・パウロ1世は就任後33日にして、自室で死亡しているのが発見されます。

その死には謎や不可解な部分が非常に多くあり、暗殺説が根強いそうです…。

バチカンの闇…😰

趙紫陽(1919~2005年)

趙紫陽は、第3代国務総理(首相。1980~1987)、第2代総書記(1987~1989)であった人物です。

総書記は共産党のトップの事ですが、

総書記となった人物は、

胡耀邦(1982~1987)②趙紫陽 ③江沢民(1989~2002)④胡錦涛(2002~2012)⑤習近平(2012~)です。

総書記の任期は5年で、2期10年が最高と江沢民後に憲法で決まったそうですが、

2018年に習近平の下で撤廃されました。

趙紫陽は5年も務めてませんが、これは任期中に天安門事件が起きたためです。

趙紫陽は民主化に理解があり、そのため天安門事件を招いたと非難されて失脚したのです。

失脚後も軟禁生活が続き、2005年に亡くなりました。

2022年10月16日日曜日

「勇敢すぎる男」 佐々木盛綱

 今回の「鎌倉殿の13人」も面白かったですね!😊

まったく「穏やかな一日」ではありませんでしたが…💦

今回は『吾妻鏡』に出てくるエピソードを紹介しようと思います😆

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


建仁の乱(城長茂の乱)(1201年)

城長茂は、以前のマンガで紹介したように、平氏滅亡後没落していたところを、

梶原景時によって引き立てられて(以前ほどではないが)復活することに成功した人物です。

そのため、梶原景時に恩義を感じていたのですが、

1200年、梶原景時が滅亡したことを知ると、

長茂は恨みに思っている幕府を滅ぼすために行動を開始します。

1201年、まず大番役(京都の警護)で京都にいた小山朝政の宿所をおそいます。

なぜ小山朝政の宿所をおそったのかはわかりませんが、

土御門天皇の行幸に小山朝政がついていって留守なのを知っていて、

倒しやすいと考えたのかもしれません。

しかし、残っていた小山朝政の家来たちは必死に応戦し、

城長茂は勢いに押され退却します💦

最初の行動に失敗した長茂ですが、続いて天皇・上皇のいる御所を包囲して、

幕府追討の宣旨を出してもらうように要求しますが、

断られたため京都から逃亡します。

…というように、長茂の行動はことごとくうまくいきませんでした。

木曽義仲と戦って敗北し、城氏を衰えさせた人物ですから、

あまり能力は高くなかったのかもしれません(;^_^A

長茂は大和国の吉野に追いつめられて家来たちと共に殺されます。

長茂が反乱を起こしたわけですから、一族もただではすみません。

そこで、城氏の本拠地にいた甥の城資盛が挙兵します。

そこに佐渡・越後の武士が攻めかかりますが、

資盛はこれを撃退することに成功します。

困った幕府は上野国(群馬県)にいた佐々木盛綱(1151~?。佐々木四兄弟の3番目。早くから頼朝に仕えて信頼も厚かった)に、

大将となって城氏を攻めるように命令したわけです。

佐々木盛綱はこれまでに2回、マンガに登場していますね。

マンガの2回目は藤戸の戦いで活躍した場面を描いたものでしたが、

非情に勇猛な武士でした。

源平の戦い後、越後守護となり越後に土地も与えられていましたが、

頼朝の死後、政争に巻き込まれ越後守護も越後の地頭職も失ってしまい、

失意の中で出家して西念と名乗っていました。

幕府の命令を受けて、佐々木盛綱は土地を取り戻すチャンスとばかりに

あっという間もなく出陣します。

戦いはどうなったかについては、この後マンガにして紹介したいと思います😆


2022年10月15日土曜日

明治維新と洋服

 明治維新となり、ヨーロッパに追いつくために

政府はどしどしヨーロッパ化を進めていきますが、

長く続いてきた習慣はそうそうスパッと変えられる物ではありませんでした(;^_^A

※マンガの後に補足・解説を載せています。


〇日本人と洋服

明治天皇は率先垂範ということで、

明治5年には洋服に切り替えていますが、

日本人が洋服を受け入れるようになるまでにはだいぶ時間がかかります。

ヨーロッパに行って、日本に帰国しルソーの著書を紹介し、

「東洋のルソー」と呼ばれた中江兆民や、

外国のようすを紹介していた福沢諭吉ですら、

ふだん着は着物でした。

イギリスに留学した夏目漱石も、1000円札では洋服でしたが、

家では着物でした。

洋服を着る人もチグハグなところがあり、

和服に帽子、和服に外套、などの和洋を組み合わせたスタイルが明治時代を通じて続きます。

また、明治4年10月の『新聞雑誌』には、次のように書かれています。

『西洋衣服類品々、奇なり妙なり。

世間の洋服頭に「普魯土」(プロシア[ドイツ])の帽子を冠(かぶ)り、

足に「仏蘭西」(フランス)の沓(くつ)をはき、

筒袖に「英吉利」(イギリス)海軍の装、

股引(ももひき)は「亜米利加」(アメリカ)陸軍の礼服、

婦人の襦袢(じゅばん)は膚(はだ)に纏(まと)うて窄(せま)く、

大僕[役人]の合羽(かっぱ)は脛(すね)を過ぎて長し、

恰(あたか)も日本人の台に西洋諸国はぎ分けの鍍金(めっき)せるが如し』

なんとも統一感のない不格好な様子であったことがわかります。

新聞も、外見しか欧米化していない、ただ日本人の表面にメッキをしているだけだと皮肉っています。

お雇い外国人のドイツ人医師のベルツも、

「衣裳が服装ではなく仮装になっている。固有の古代日本式衣裳を着ければ、自然でよく似合うものを。」と語っています(『ベルツの日記』)。

しかしだんだんと洋服族は勢力を広げていきます。

昭和時代の1928年11月に資生堂は、三越デパート正面を通る男女のうち、どれだけ洋服の人がいるか調査を行いました。

すると、男性で洋服の人は61%とけっこう洋服が広がりを見せていましたが、

女性は16%にすぎなかったそうです(中公文庫『日本の近代5』138P)

これはヨーロッパのコルセット文化が受けつけられなかったためであるといわれています。

ベルツも、「何しろ洋服は、日本人の体格を考えて作られたものではないし、衛生上からも婦人には有害である、すなわちコルセットの問題があり、また文化的・美学的見地からは全くお話にならないと。」と語っています(『ベルツの日記』)。

女性の洋装化は、戦後まで待たなくてはなりませんでした(しかも、戦後も地方では和服の女性がまだまだ多かったそうです)。


2022年10月14日金曜日

ドキュメント石油危機9 1973年10月17-18日~鼻血も出なくなる!?中東諸国の作戦第二弾

不思議なことがあります💦

前回のマンガは10月18日の福井新聞の記事をもとにしたものです。

今回のマンガは10月19日の福井新聞の記事をもとにしたものです。

しかし、どちらもクウェートで17日に発表されたことが記事になっていると福井新聞に書いてあるのです‼😱

なぜ二日に分けて!?

しかし、『中東戦争全史』などでは、16日に1度目の発表(石油の値上げ)を発表し、

17日に2度目の発表をした、と書いてあります。

なんやねん…(;^_^A

当時は日本時間で書いていたんでしょうか??

では、17日に発表された内容はどのようなものだったのか?

今回はそれについて見ていきます!

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


〇アラブ石油輸出国機構(OAPEC※)緊急宣言の内容(全文)

一、アラブ諸国は石油輸出によって世界の繁栄と経済発展に参加し、アラブ諸国の石油生産がこれら諸国の経済情勢及び将来の予想される需要が必要とする限度を超えているのにもかかわらず、これら諸国は国際協力と消費者の利益のため、自国の利益を犠牲にして生産を増加し続けてきた。

一、アラブ産油国の広大な地域が1967年6月1日※※にイスラエルによって武力で占領された事はよく知られた事実である。イスラエルは国連決議を無視し、アラブ諸国、あるいは他の平和愛好諸国のすべての平和の呼びかけに挑戦して占領を続けている。

一、国際社会は国連諸決議を履行し、侵略者が侵略の成果をあげ、あるいは他の諸国を武力によって占領するのは許さないことを約束している。それにもかかわらず、主としてアラブの石油を消費している大部分の大工業国は、その約束を尊重していることを示すいかなる手続きも取っていない。逆に、これら諸国の一部を占領を支持し、特に米国は現在の戦争前及びその最中、できる限りのあらゆる手段でイスラエルを極めて活発に支持しているが、この情勢はイスラエルの傲慢さを助長しイスラエルが法的権利と国際法の基本原則を無視し続けることを可能にしている。

一、イスラエルは1967年にスエズ運河閉鎖の原因を作り、その結果、欧州経済は被害を受けた。現在の戦争で、イスラエルは地中海東部の石油基地を爆撃し、欧州は新たな石油供給不足に苦しんだ。我々の法的権利がこのように無視され、それが米国に後押しされ、支持されているため、国際社会が占領された我々の領土からイスラエルを撤退させ、米国のイスラエルに対する無制限の支持の結果として、欧州工業国が支払っている高い代償を米国に認識させることによって、この情勢を是正しない限り、アラブ諸国はその経済的必要をはるかに超える量の石油を生産して経済的犠牲を払うことをやめることを決めた。これはイスラエルがそうさせたものである。

一、これらすべての理由から、アラブ諸国石油相は10月17日クウェートで会合し、石油生産を9月の生産から毎月5%を下回らない範囲で直ちに削減することを決定した。イスラエルが1967年6月に占領したすべてのアラブ領土から完全に撤退し、パレスチナ人の法的権利が回復されるまで、毎月、前月同比率の削減が実施される。

一、アラブ諸国石油相は世界諸国民、特に米国民に対し、帝国主義とイスラエルの占領に対する我々の戦いで我々を支援するよう呼びかける。アラブ諸国石油省は他のすべての諸国民と協力する意思があり、世界が我々に同情し、侵略を非難することを条件に、我々の側のあらゆる犠牲にもかかわらず、世界が必要とする石油を供給する用意があることを確認する。

(※アラブ石油輸出国機構[OAPEC]OAPECは石油関連事業などビジネス活動が中心。OAPECは1968年、クウェート・サウジアラビア・リビアにより1968年に結成。のちにアラブ首長国連邦・アルジェリア・イラク・エジプト・カタール・シリア・バーレーンが加わり、加盟国は10か国。本部はクウェートの主とクウェートシティ。

石油輸出国機構[OPEC]は石油産出国の利益を守ることを目的として1960年に結成。こちらにはOAPECと違いイラン・アンゴラ・ナイジェリア・ベネズエラ・ガボン・赤道ギニア・コンゴ共和国が加盟しており、エジプト・カタール・シリア・バーレーンが入っていない。加盟国は13カ国。本部はなんとオーストリアのウィーン。

OPECは純粋に世界の産油国が参加しており、

OAPECにはアラブの石油に関係する国々が参加している感じだろうか(゜-゜)

シリアなどは産油国ではないがヨーロッパ向けの石油の輸出港があるし。)

(※※第三次中東戦争は1967年6月5日~10日にかけて行われており、明らかな誤り。おそらくイスラム圏で使用されているヒジュラ暦を新聞?が訳す際に間違えたのか。例えば1967年6月10日はヒジュラ暦だと1387年3月2日となる)

〇電力業界に値上げの機運 来年、7社が申請? 原油の価格アップで

アラブ産油国の原油大幅値上げと供給削減の決定は、大口需要家であり、同時にコスト上昇による経営悪化に悩んでいる電力業界に強い衝撃を与えている。

産油国の決定の結果、国際石油資本がわが国など消費国に売り渡す原油価格は一バレルあたり1ドル、値上げ率にして40%程度に達する見通しだ。

電力業界はこれにより現在1キロワット時あたり1円60銭ー1円90銭の燃料費が同2円以上にはね上がり、燃料費の約20%を占める燃料費高騰で経営悪化は決定的な段階に入るとしている。

すでに北海道電力、北陸電力、東北電力などが来年に値上げを申請する意向をもらしているが、今回の原油価格の大幅値上げで関西、四国電力以外の7電力会社が来年次々に値上げ申請に出る可能性も出てきた。

加藤電気事業連合会会長(中部電力社長)は18日「電力業界はまず燃料を確保に全力をあげる。電力不足から産業の操短を招けば、物価高からインフレをさらに加速することにもなる。燃料費は石油会社との交渉になるが、電力業界としては”鼻血も出ない”段階まで値上げしないで済むよう頑張る」と語った。

同日東京で記者会見した東北電力の若林社長は「本年度下期の決算次第だが、燃料費がこれほど高騰すれば、来年は残る七社がそろって値上げ申請の事態になる」と語っている。

東北電力の場合、火力発電の比率は全体の70%。燃料は1キロリットル当たり7000円(47年度)燃料費は1キロワット時1円70銭(同)だが仮に原油が1バレル5ドルとなれば燃料費は1キロリットルあたり12,000円ー13000円、燃料費は1キロワット時12円60銭にも達して、総経費に占める比率は30%近くになるという。

9月末に値上げを認可された関西電力の場合、原価計算の中の燃料費を昭和50年度で1キロワット時3円1銭としている。この場合の中東原油の価格は1バレルあたり2ドル69セントと推算している。しかし今回のアラブ産油国の値上げ通告によれば、この原油価格は4ドル程度まで一気に上がることが確実で、燃料費の高騰は電力業界の予想を大きく上回った。

原油供給削減の影響については「電力の節約について国民に広く協力を求め、停電や産業界の相談などの事態のないよう努める」(加藤電事連会長)としているが燃料費高騰については打つ手がなく、電力業界は参院選(来年7月)電力料金体系の改定という料金値上げに不利な情勢を抱えながらも値上げに走る気配である。

〇産油国の値上げと生産削減 石油業界にダブルパンチ

アラブ石油輸出国機構(OAPEC)が決めた5%の石油生産削減は、前日ペルシャ湾岸6カ国が決定した原油大幅値上げと一体となって、わが国石油事情を直撃する情勢となってきた。

特に、原油値上げの内容が公示価格で70%、実勢価格でも1バレルあたり1ドル以上、40%もの大幅なものであることがわかったため、石油業界は「価格と量の諸面で大きな打撃を受けることになった」と強いショックを受けている。

生産の5%削減により「国際石油資本は自国や子会社への供給を優先するので、日本に対しては最初から10%程度の供給削減を通告してくる可能性が強い」(加藤石油連盟副会長、出光興産副社長)と受け取られている。

このため石油業界の中には、中東戦争が長引くようなら、対策に後手後手に回っている通産省の決定を待たず、石油スタンドで10%程度の販売規制するよう検討を始めたところさえ出ている。

わが国の年間の原油輸入量は、昨年度で1日あたり472万バレルこのうち43.2%はイランを除く中東地域から輸入している。輸入量は本年度は同500万バレルを超え、国際石油資本がOAPEC諸国の生産額削減を理由に中東原油の供給を10%削ってきたとすると、20万バレル以上輸入量が減ることになる。

世界的には原油そのものの絶対的不足はまだない(湯浅日本石油仕入部長)といわれるが、原油確保への強い不安、タンカー運賃高騰などから、国際石油資本が先行きを読んで大幅な供給削減を通行してくる恐れが大きいというのが石油業界の受け取り方である。

OAPEC諸国は「友好国には配慮する」と言っているので、教会には「この配慮にワラにもすがりたい気持ちで期待している」(某外資系石油会社幹部)との声もある。

しかし「日本が対イスラエル政策で明確な態度を表明していない以上、友好国とは見られないのではないか」(加藤石油連盟副会長)との悲観的な見方の方が多い。

原油確保については政府、民間ともに打つ手がないと言うのが実情で、このため石油業界では国内消費の規制について早急な具体化を政府に働きかけ、同時に石油連盟政策委員会でも具体的な方法を検討したいとしている。

(記事は福井新聞縮刷版1973年10月中 10月19日より。)


2022年10月12日水曜日

サラエボ事件のきっかけとなったバルカン戦争

 なぜセルビアは、サラエボ事件オーストリアの皇嗣を暗殺しようと思うほどオーストリアを憎んでいたのか。

それは、前年・前々年に起きた二度にわたるバルカン戦争が関係していました💦

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


第一次バルカン戦争

1912年3月、セルビア・ブルガリアは「両国の独立と、ヨーロッパの大国がオスマン帝国領を侵略しようとする動きに反対するため」に同盟を結んだ。

まもなく、ギリシャ・モンテネグロもこの同盟に加わり、

この4カ国はオスマン帝国と戦争を始めた。

つまり、この同盟は、「ヨーロッパの大国の奴らに、俺たちのバルカンを取られてたまるか、取られる前に俺たちで取っちまおうぜ同盟」だったのである(;^_^A

10月に戦争は開始された。

オスマン帝国はマケドニア方面が中心になると考え、そこに軍隊を集中させていた。

しかし、予想に反してブルガリアはトラキア(バルカン半島南東部。イスタンブール周辺)に軍隊を集中させてきた。

オスマン帝国は負けに負け、首都イスタンブールの近くの防衛線まで追い詰められた。

ロシアはイスタンブールを攻撃したらブルガリアと戦争をする、と脅したが、

ブルガリアはロシアの制止を振り切って防衛線に攻撃を仕掛けた。

しかし、オスマン帝国はこれをかろうじて撃退することに成功し、

12月にブルガリアとオスマン帝国は停戦した。

しかしオスマン帝国内で再戦派によるクーデターが起きると、

1913年2月に再び戦争は開始された。

オスマン帝国軍はバルカン同盟軍に多数の損害を与えたが失敗し、

バルカン同盟軍はオスマン帝国の重要拠点エディルネ(アドリアノープル)を攻撃し、多くの死傷者を出しながらもこれを陥落させた。

一方、ギリシャも優勢に戦いを進めていた。ギリシャは海戦でオスマン帝国海軍を破り、制海権を奪った。

また、1913年2月8日のピザニの戦いではギリシャ軍の飛行機が爆撃を試みて撃墜されているが、これは世界最初の撃墜記録であったという✈

セルビアもオスマン帝国軍を各地で撃破し、マケドニア北部を占領した後はアルバニアの占領を進めていた。

1913年5月、ロンドン条約により第一次バルカン戦争は終結した。

バルカン同盟諸国はそれぞれ領土を拡大したが、

しこりを残したのがアルバニア方面とマケドニア方面だった。

アドリア海に関心があり、アドリア海と接するアルバニアがセルビアにとられると困るオーストリア・イタリアがアルバニアの独立を主張して認められ、

セルビア・モンテネグロ・ギリシャはアルバニアにおける占領地を失った。

また、マケドニア北部ではセルビアとブルガリアが、マケドニア南部ではブルガリアとギリシャが領土問題でもめた。

利害が一致したセルビアとギリシャは同盟を結び、

第一次バルカン戦争が終わって間もない1913年6月に第二次バルカン戦争が開始された。

第二次バルカン戦争

ブルガリアはセルビア・ギリシャを攻撃したが撃退された。

その後、ブルガリアはセルビア方面は防衛に成功したが、ギリシャ軍は止められず連敗を重ねた。

そこにルーマニア・オスマン帝国もブルガリア攻撃を開始し、

オスマン帝国はエディルネ(アドリアノープル)を占領、

ルーマニアはブルガリアの首都ソフィアに迫った。

ここに至ってブルガリアは敗北を認め、8月10日に講和条約が結ばれた。

ギリシャ・ルーマニア・オスマン帝国は領土を広げたが、

ブルガリア軍に苦戦したセルビア軍はあまり領土を広げられず、

講和会議では勝者として、ストルマ川までをセルビアに譲るようブルガリアに要求したが、

オーストリアはこれ以上のセルビアの拡大を望まず、ロシアはこれ以上のブルガリアの縮小を望まなかったので、

オーストリア・ロシアの圧力を受けたセルビアは領土要求を取り下げなければならなかった。

バルカン戦争中、2度にわたって干渉してきたセルビアのオーストリアへの憎しみは強まった。

1910年のオーストリア皇帝のサラエボ訪問時と、1918年のオーストリア皇嗣のサラエボ訪問時では何が変わっていたかというと、

セルビアのオーストリアへの憎悪の増大と、セルビアの軍事力の自信の高まりであった。

セルビアは続いてセルビア人が多く住むヘルツェゴビナを求めるようになり、

戦争を始めるためにフランツ・フェルディナントの命を狙ったのである。

(フランツ・フェルディナントを暗殺した秘密組織「黒手組」(統一か死か)はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフのサラエボ訪問後の1911年に結成されている)

2022年10月11日火曜日

日本ではサラエボ事件はどう伝えられたか

 すみません、シリーズ『第一次世界大戦』の更新が超久々になってしまいました💦

Twitterで前回のマンガをアップしたのが6月21日(2022年)ですから、

3か月半ぶりの更新ですね(ひえー😱)💦

さて、第一次世界大戦のきっかけとなった1914年のサラエボ事件

日本ではその2日後の6月30日に新聞でニュースが報じられます。

日本ではサラエボ事件はどのように伝えられたのでしょうか?

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


〇日本で伝えられたサラエボ事件

最初に現地から伝えられた第一報は、以下の内容でした。

「墺太利・匈牙利国皇嗣フランツ・フェルジナンド大公、同妃ソフィヤ・コデック両殿下は28日、ボスニヤに於いて何者かのために狙撃せられたり」

墺太利とはオーストリアのこと、匈牙利とはハンガリーのこと(現在は洪牙利)。

これまでにも述べてきたように、フェルディナントは皇太子と扱われておらず、皇嗣(皇位継承者)とされていました(現在、秋篠宮殿下は天皇の直系ではないため「皇太子」ではなく「皇嗣」)。

当時の新聞も正確に伝えているわけです(スゴイ)。

まだこの段階では「狙撃された」というだけで死亡したかどうかは分かっておらず、犯人についても不明でした。

第二報では、自動車で進んでいたところに爆弾が投げつけられたこと、車に入ったが爆発せず、大公がそれを車外に投げたところ爆発して後続の自動車の2人と6名の群衆が負傷した、とあります。

詳細が伝わってきましたが、フェルディナントが爆弾を車外に投げたことになっています(;^_^A

実際は自動車の幌にバウンドして後続の車付近で爆発したものです。

また、被害者も死者はいなかったものの20人近く出ていました。

第三報では、その後両殿下は市役所に向かい、帰る途中にセルビア人の学生にピストルで撃たれ、落命したとあります。

以上はウィーンからの電報でしたが、現地のサラエボからの電報は次のようなものでした。

別報:馬車で移動していたところに爆弾が投げつけられたが、通過後爆発し、後続の車の2名と群衆6名が被害を受けた、皇嗣は市会館を出て市内を巡視していたところ、高等学校生がピストルを2発発射し、皇嗣大公・大公妃に重傷を負わせ、2人は病院に運ばれたものの数分後に絶命した、犯人は群衆に取り押さえられ殴打された、オーストリア皇帝は行幸中であったがウィーンに戻った。

いろいろ違うところがありますが、「馬車」というのが大きな間違いであるところ。現地からの電報のはずなのに…💦

また、ドイツのベルリンからの電報では次のようにあります。

馬車で市会館に向かう途中、爆弾を投げられたが大公が爆発する前にこれを取って路上に投げたところ、後続の馬車の2名を傷つけた。市会館に到着して帰る途中に17歳くらいのセルビア人と思われる青年学生が群衆をかき分けて馬車内に入りこみ、ピストルで大公の頭部を撃ち、続いて大公妃の腹部を撃った。2人は病院に運ばれる途中に死亡した。

馬車内に入る、というのはすごいですね💦実際はタラップを踏んでいただけです。

ウィーン・ベルリンのは「爆弾を大公が車外に投げた」とし、サラエボ・ベルリンのは「馬車」とするなど、

情報が錯綜しているため新聞も複数の情報を載せています。

〇サラエボ事件の原因の予想

大阪毎日新聞は、サラエボ事件の原因を次のように予想している(要約したもの)。

「事件の起きたボスニアは数年前にオーストリアに併合された場所であるが、その住民の大部分はセルビア人であったので、併合時にはオーストリアとセルビアの開戦かと伝えられたぐらいセルビアの反発を招いた。

その後セルビアはバルカン戦争・ブルガリアとの戦争で目覚ましい成功をおさめて領土を拡大し、オーストリアへの反発心は減少した。その証拠に併合まもなくの1910年にオーストリア皇帝がサラエボを訪れたが、住民の歓迎を受け、なんの不祥事も起きなかった。

その後にオーストリアが特別にセルビアの恨みを買うようなことがあったのだろうか。

オーストリアがエーゲ海に進出したいという野心を放棄するか、セルビアが古の大セルビアを復活させたいという欲望を捨てない限り、両国の関係は仇敵の関係にあり、この問題が解決されない以上、両国の融和はありえない状態にあった。そのためバルカン戦争とブルガリアとの戦争において、オーストリアはセルビアの領土拡大を妨害するような工作を行った。しかしオーストリアの工作はセルビアの思ったほどではなく、フェルディナント大公を殺害するという手段に出るほど険悪な状態ではなかった。

だから今回の事件は何かの事件をきっかけとして起きたわけではなく、大公がサラエボに来る機会に憎悪心が爆発したものであろう。」

大阪毎日新聞は本能寺の変のような突発的暗殺説(突発的以外の説もあります)を唱えていますが、

今回の安倍総理暗殺事件のように、原因となった事件はあったと思います。

それはバルカン戦争です。

そこで、次回はバルカン戦争についてまとめてみようと思います💦

(なかなか第一次世界大戦に入らなくてごめんなさい。でも、戦争の内容を知るよりも、原因を探ることの方が大事だと思います)

2022年10月8日土曜日

マンガでわかる!社会契約論⑤~主権者と政府の関係は?

 前回(社会契約論④)では、

「法律を作る目的」「すべての人を幸福にすること」であり、

「幸福」とは「自由」・「平等」「平等」といっても「完全な平等」ではなく、

権力と財産のほどよい平等[なるべく両極を近づける]のことが守られている状態のことで、

放っておくと「平等」はいつも崩れていくものなので、

法律は「平等(ほどよい平等)」が守られるように作らなければならない

ということをやりました。

今回は、「主権者と政府の関係」についての話をしようと思います!

『社会契約論』では第三編第1章部分にあたります)

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


〇主権者と政府の関係はどうあるべきか?~ルソーはかく語りき

ルソーは行動は「意志」と「力」が協力してこそ成り立つ、と言います。

ルソーはこれについて、

「中風(脳卒中によって引き起こされる半身不随など)患者は走ろうと思っても走れず、速く走れる人でも走ろうと思わなければその位置にとどまったままだろう」

と、具体的な例を挙げてこれを説明しています。

前者は意志はあれども力がなく、

後者は力はあれども意志がないのです。

そしてルソーは、「政治も意志と力が協力することで動かされる」と言います。

政治の「意志」にあたるのが「立法権(法律を作る力)」であり、

「力」にあたるのが「執行(行政)権(法律を実行する力)」になります。

ルソーはこの2つは完全に分裂していなければならない、と言います。

なぜなら、「執行(行政)権は個人や特定の地域に対する行動を行う。

これは一般意志ではなく特殊意志に属することだから、

主権者である人民は関わってはならないことは明白である」のだと。

なぜ「明白」なのかというと、

ルソーは『社会契約論』の第二編第4章でこう語っています。

「一般意志(みんなのやりたいこと)はすべての人に平等に義務を課し、

全ての人に平等に利益を与える公正なものであるが、

特定の者や地域を対象にすると、主権者にとって関係のない人や地域を対象にすることになり、

主権者は公正に判断することができなくなってしまうので、

特定の者を対象にした行動は、一般意志とは呼べなくなってしまう」と。

例えばA市に橋を作る、とします。でも一部の人以外A市のことを知らない、となると、A市に対して公正な行動が取れなくなる…ということです。

でも思います。A市のことをよく知らない方が(中立的な立場である方が)、

「公正」に判断できるのではないかと。

しかしルソーは、「利害の一致」によってこそ「一般意志」ができあがる、という考えの持ち主なのです。

どういうことかというと、A市に橋ができることによって得をする立場の人、損をする立場にある人が意見をぶつけ合うことで、一致する部分(これが一般意志)が見つかる、ということです。

A市としても、自分の町のことをよく知らない人たちに橋を作るかつくらないかを決めてほしくないのではないでしょうか。中立の立場の人が判断する裁判と違って、その後の現地の人々の生活に強く影響することでもありますからね。

では、執行(行政)権は、なぜ立法にかかわってはいけないのか。

ルソーはそれについて、第三編第10章でこう語っています。

「政府が(法律を作るという)主権を奪い取ると、(全体の一部でしかない)政府の役人によって法律が作られるので、(一部の意志[特殊意志]に従わされることになるため、一般意志[みんながやりたいこと]に従うという)社会契約が破棄されるような事態が訪れてしまう」のだと。

法律は人民の利害の一致にもとづいて作られる物であって、政府の役人が作る物ではないのです。

しかし今の日本では、内閣立法が8割にも及ぶことからもわかるように、

政府が主権を奪い取ってしまっている状態になっています。

ルソーは(このような政府の作る法律に)服従は強制されても、従う義務などないのだ」と言っていますが、確かにそうです。

「みんながやりたいこと」とはとても思えない法律とか多くありますからね…💦

(政治家や役人は『社会契約論』を読んでいるんだろうか)

では、このような政府の暴走を防ぐにはどうすればよいのか。

このことについて次回以降で取り扱っていこうと思います。

また、国会は何やっているんだ、とも思うわけですが(;^_^A

ルソーは国会についても語っています。

ルソーは国会についてどう語っているのか、ビックリすることを語っているので、それについても取り上げてみようと思います!

2022年10月6日木曜日

1973年10月16-17日~強力な「石油軍」の出現

 1973年10月6日に始まった第四次中東戦争

1990年に起きた湾岸戦争ではイラクに攻められたクウェートは。

第四次中東戦争ではかなり好戦的で、

前回のマンガで描きましたが、クウェート政府は10月9日には『石油をいかに中東戦争の武器として利用するか』について話し合うため、アラブ石油産出国会議を招集したいと発表していました。

そして10月16日、ついに産油国は石油を武器にします。

しかし、これは第一弾にしか過ぎなかったのです…😱

※マンガの後に補足と解説を載せています♪



〇中東産油6カ国 原油大幅値上げ

ペルシャ湾産油6カ国は17日[正しくは16日。日本時間だと17日という事か]、原油価格を一方的に値上げし、アラブ産の代表的原油アラビアン・ライトの新市場価格※をバーレルあたり3ドル65セントとすると発表した。6カ国はアラビアン・ライトの現在の市場価格を3ドル12セントと一方的に規定し(実勢価格※は2ドル80セント程度)、これを基準に新しい市場価格を決めたもので、この値上げ幅は17%。

一方、市場価格と公示価格※の比率は、1971年のテヘラン協定以前の公示価格は市場価格の1.4倍という比率を採用することを決めたため、アラビアン・ライトの新公示価格は10月1日現在のバーレル当たり3ドル011セントの1.4倍の5ドル11セントにはね上がることになる。公示価格の引き上げ幅は69.7%※※となる。6カ国と西側石油会社との値上げ交渉はウィーンで行われていたが、話し合いがつかず、先週末物別れとなっていた。このため、産油国側が集まって討議した結果、一方的値上げを宣誓したものである。

(※「市場価格」とは、生産者から卸売業者が買うときの価格のようなイメージ。競りで落としている場面があったりするが、需要が多ければ値段は吊り上がっていく。マグロみたいに。需要が少なければ買いたたかれる。だいぶ需要と供給に左右される価格といえる。「公示価格」は「希望小売価格」のようなもの。生産者が設定した販売参考小売価格のこと。一方の「実勢(じっせい)価格」とは、お店で売られている価格のイメージ。スーパーとかで夕方値引きが行われたりするが、売られている価格より上がることはないだろう。だから、実勢価格は「公示価格」より低めになりやすい。)

(※※今回の場合、公示価格は約70%引き上げとなったが、販売参考小売価格が上がっただけで、こちらには大きな意味はない[だから、新聞でもこっちは後回しになっている。ウィキペディアさんなどでは70%上がったことを強調しているが、何度もいうが参考価格が上がっただけなので、「実勢価格」2.8ドルから、「市場価格」を3.65ドルに上げた方が問題なのだ。これはつまり、生産者である産油国から、卸売にあたる西側石油会社が3.65ドルで買うことになった、ということになった、ということである。小売りにあたる日本の石油関連会社は、もちろん3.65ドルよりも高い値段で買わざるを得ない。そうじゃないと卸売の西側石油会社はもうからんので。だから、次の記事のようなことになる)

〇頼みは消費規制だけ 原油値上げ 無為無策の業界

(日本は)供給面でも、メジャーズ※に61.2% (46年度)依存しているため、メジャーズの不興を買う産油国からの原油直接買い付けなどの動きにも出られない。結局のところ無為無策なのが現状で、ガソリンの在庫余剰や政府の灯油卸売価格の凍結策などによって、原油値上げの石油製品価格への上乗せに苦しむ業界の中からは「この際国内の石油消費規制を真剣に考えるべきだ」(加藤石油連盟副会長)と言うギリギリの声が上がり始めた。…

メジャーズ側は値上がり分をそのまま販売価格に上乗せするので、日本の輸入する原油価格は年内にも1ドル前後上がりそうな形勢である。

(※メジャーズとは、エクソン=モービル、シェブロン=テキサコ[アメリカ]と、ブリティッシュ・ぺトロリアム=アモコ[イギリス]、ロイヤル・ダッチ・シェル[イギリス・オランダ]から成る、西側石油会社である。1970年代までは、生産者のペルシャ湾産油国よりも立場が上で、石油販売価格を決定していたが、1970年代以降はペルシャ湾産油国と立場が逆転し、力は大幅に弱まった)

〇中東の戦火 日本も”ジリジリ”

石油業界は中東戦争の荒波をモロにかぶった。エネルギー危機の最中にアラブの石油戦略の矢面に立たされ「日本が最も苦しい立場」(アラビア石油※)と石油不安は深刻である。99.7%輸入に頼る日本は、そのうち81%までが中東諸国から。ところが石油備蓄量はたった79日分。アラブ側が石油戦略をエスカレートさせれば”日本株式会社”の動脈がエンスト状態になりかねないとあって、強力な「石油軍」の出現に戦々きょうきょうだ。単価運賃もぐっとアップするありさまに「このままでは家計へのしわ寄せも…」(石油連盟)と石油業界は早くも値上げの構えで、消費者としても早期停戦を祈りながら、クウェートでのアラブ産油国会議の成り行きが気になるところだ。

(※アラビア石油は、まぎらわしいが、日本の会社。石油の開発を行っていたが、現在はクウェートからの石油の輸入・販売にシフトしている)

(記事は福井新聞縮刷版1973年10月中 10月18日より。)



2022年10月5日水曜日

ぶっ飛んでいた江戸時代までの日本人~違式詿違条例(1872年)

 東京府(1943年まで東京府)知事、大久保一翁(1818~1888年)は

明治5年(1872年)11月8日に「違式詿違条例」を交付、

わずか5日後の11月13日からこれを施行します。

このきまりは簡単に言えば「軽いルール違反(軽犯罪)の取り締まり」です。

しかしこの決まりを見ると、そんなことも取り締まるの??

当時の日本人、どんだけ!?とビックリしてしまいます(;^_^A アセアセ・・・

当時の日本のぶっ飛んだ様子を見てみましょう💦

※マンガの後に、マンガでは出し切れなかった残りの項目や、補足・解説を載せています♪


〇周りの目を気にしていなかった日本人

「違式詿違条例」の内容を載せると、

●違式項目

地券所持の者諸上納銀を怠り、地方の法に違背いたす者。

(納税違反の罪、けっこう軽いですね…)

・贋造の飲食物並びに腐敗の食物を知て販売する者。

(偽物の飲食物とは??メバチマグロと言ってキハダマグロを売るようなこと?)

・往来または下水外河中等へ家作並びに孫庇等を自在に張出し、或は河岸地除地等へ願いなく家作する者。

(孫庇とは、出っ張った屋根の下に建てた柱の事ですね。公共の所に家を勝手に作るな、ってことですな)

・春画(ワライエとルビがふってあります)及びその類の諸器物を販売する者。

(18禁の物を販売するなと)

・病牛、死牛その他病死の禽獣を知り販売する者。

(病気の牛やその辺で死んでた牛、病気で死んだ牛だと知っていながら販売してはいけない)

・身体に刺繍をなせし者。

(当時の日本は入れ墨をしている人がかなり多かったんですよね。今と逆です)

・男女入込の湯を渡世する者。

(混浴の先頭を運営してはいけないよと。開国後日本に来た外国人が仰天したそうです)

・乗馬してみだりに馳駆しまたは馬車を疾駆して、行人を触倒す者。ただし殺傷するはこの限りにあらず。

(馬や馬車で通行人を転ばせたらダメだよと。ケガや死人が出たらもちろん軽犯罪でなく銃犯罪で扱いますよと)

・外国人を無届にて止宿せしむる者。

・外国人を私に雑居せしむる者。

(1899年まで、外国人と無用のトラブルを避けるために外国人は決まった場所以外は自由に日本を移動できなかったし、住むことができなかった)

・町火消鳶人足、町に普請造営の節、地所組合違の者を雇う事に故障する者。

(「故障」とは「反対、邪魔」という意味もあるそうな💦組合員以外を雇う事に反対してはいけない、ということですね。独占禁止です)

・夜中無燈の馬車を以て通行する者。

(無灯火走行は危険です)

・人家稠密の場所に於てみだりに火技を玩ぶ者。

(住宅密集地で花火をしたら危険です。当時の日本は木造家屋が多いのに。)

・火事場に関係なくして乗馬せし者。

(火事の時は馬に乗ってよかった、ってことでしょうか)

・願いなく床店、葭簀張等を取建る者。

(床店[とこみせ]とは板で屋根を作る店、葭簀張[よしずばり]とは、葦で作ったすだれで店を囲うことです。簡単に言うと露店です。無許可で露店を作ってはいけないよと)

・たわむれに往来の常燈台を破毀する者。

(ふざけて街灯を破壊する…ヤバいですね💦この条例が出る少し前に、ガス灯が日本で建てられるようになっていました)

・裸体または袒裼(はだぬぎ)し或は股脛を露し醜体をなす者。

・第22条(上記)の如き見苦しき容体にて乗馬する者。

(当時の日本は上半身裸で歩く人が多くいました。それどころか裸で歩く人もいたみたいですね💦)

・馬及び車留の掲示ある道路橋梁を犯して通行する者。

(通行禁止の所を通ったらアカンですね)

・無検印の舟、車を以て渡世する者。

(無許可で船や人力車・馬車などの営業をしてはいけませんよと)

・男女相撲並びに蛇遣いその他醜体を見せ物に出す者。

(江戸時代、目が見えない男と女性による相撲がけっこう人気があったようです。女性も上半身裸です。日本にも蛇使いがいたんですね…)

・川堀、下水等へ土芥、瓦、礫等を投棄し、流通を妨ぐる者。

(昭和時代半ばぐらいまで、川や海は天然のごみ捨て場でした)

・軒外に木、石炭、薪等を積置く者。

(公共の場所=自由勝手に使っていい場所、という認識でした)

●詿違項目

・狭隘の小路を馬車にて馳走する者。

(狭い道を馬車で行ってはいけませんね)

・夜中無提燈にて人力車を挽き及び乗馬をする者。

(馬に乗る場合も灯りを持ってなければいけなかったんですね。まぁそうか(;^_^A)

・暮六つ時より荷車を挽く者。

(暮れ六つとは、午後六時頃のことですね)

・斟酌なく馬車を疾駆せしめて行人へ迷惑を掛し者。

(猛スピードで道を馬車が走ってたらそら怖いですよ)

・人力車挽の者しいて乗車を勧め過言等申掛る者。

(無理やりな客引きはダメですよと)

・他人園中の果実を採り食う者。

・馬車及び人力車、荷車等を往来に置き行人の妨をなし、及び牛馬を街衢に横たえ行人を妨げし者。

(「衢」とは大通りの事です。周りのことを考えてないですね~💦)

・禽獣の死する者、或は汚穢の物を往来等へ投棄する者。

(上記のように公共の場所=自由勝手に使っていい場所、という認識でした)

・湯屋渡世の者戸口を明け放ち、或いは二階へ見隠簾を垂れざる者。

(先頭を経営する者は外から中のようすがわからないようにしなければいけませんよと。当たり前ですけど当時は開放的でした)

・居宅前掃除を怠り或は下水を浚えざる者。

(家の前の見栄えを気にしなさいよと。側溝をきれいにしないと伝染病のもとにもなりますし)

・婦人にていわれなく断髪する者。

(断髪とは短い髪にすることですね。女性は長い髪にしなさいと。差別ですねぇ。日本では第一次世界大戦以降にモガと呼ばれる髪を短くする人が少し現れました。ちなみに正当な理由(いわれ)があれば女性も断髪できたのですが、それは夫と死別した場合でした。政府の役人たちが、「私たちの老母は条例が出る前に、夫を失い、断髪していたのですが、今回の条例が出て、髪を元に戻そうと思っているのですが、なにぶん年寄りで、髪が少なく、元に戻すのが難しいのです。今のままでもよろしいでしょうか、と上にお伺いを立てたところ、『夫が死んで断髪するのは「いわれなし」とは言わないので、そのままにしてかまわない』という返事を受け取っています)

・荷車及び人力車行逢う節、行人に迷惑をかけし者。

(当時は安心して歩くこともできませんでした)

・下掃除の者、蓋なき糞桶を以て搬送する者。

(当時は下水道とかないですから[1884年に東京に初めて下水道が作られた。本悪的に全国に広がったのは戦後になってからのこと。現在日本の下水道普及率は80%。徳島県は現在でも18%。吉野川周辺に人家が集中していることが大きな理由だそうな]、糞尿は業者が桶に汲み取るタイプでした。で、それを農家とかに売るんですね。)

・旅籠屋渡世の者、止宿人名記載せず、或はこれを届けざる者。

(防犯のためでしょうか)

・往来筋の号札または人家の番号、名札、看板等をたわむれに破毀する者。

(ふざけて壊すって…💦)

・喧嘩口論及び人の自由を妨げかつ驚愕すべき噪閙をなし出せる者。

(さわがしい、やかましいのはダメだと。「驚愕すべき噪閙」(非常に驚くほどのさわがしさ)ってすごいなぁ(;^_^A)

・往来常燈をたわむれに消滅する者。

(ふざけて消すって…💦)

・踈忽により人に汚穢物及び石礫等抛棄(ほうき)せし者。

(粗忽とは軽はずみ、軽率、ということです。ふざけて糞や石や砂を投げつけていたのでしょうか。物騒な…💦)

・田園種芸の路なき場を通行しまたは牛馬を牽入る者。

(田んぼに突入してはいけませんね)

・物を打掛け電信線を妨害する者。

(当時は電信線に物をくくりつけたら運ばれていく、と考える人が結構いたそうです)

・市中往来筋に於て便所にあらざる場所へ小便する者。

(今でも酔っ払いとかしますけどね(;^_^A)

・店先に於て往来に向い幼子に大小便せしむる者。

(なぜ店の前で…?店に対する嫌がらせなのか…??)

・荷車及び人力車等を並べ挽きて通行を妨げし者。

(自転車もそうですが並進は迷惑です)

・誤って牛馬を放ちて人家に入りしめし者。

(当時ならでは)

・犬を闘わしめたわむれに人に嗾する者。

(闘犬というやつですね。それをふざけ半分で人に差し向けられたらたまったもんじゃないです)

・巨大の紙鳶(たこ)を揚げ妨害をなす者。

(なんの妨害なんでしょうか?他のたこの妨害?)

〇条例の変更・追加

条例も時代に合わせて変更・追加されていきます。

出されてから6年後の明治11年(1878年)の物を見ると、

罰金は「違式」が50~75銭だったのが75銭~1円50銭に、

「詿違」が6.25銭~12.5銭だったのが5~70銭に変わっています。

インフレの影響ですね。

笞刑も消滅しており、両方とも出せる金がない場合は拘留になっています。

「違式」は5~10日、

「詿違」が1~2日だったのが半日~3?日に変わっています。

「違式」は地券所持の者~・往来または下水外河中等へ~・願いなく床店~・無検印の舟~・軒外に木~、が消滅しています。

「詿違」は暮六つ時より~・旅籠屋渡世の者~・物を打掛け電信線を~・巨大の紙鳶~、が消滅しています。

一方で追加されたものとして、

「違式」は

・制禁の場所にて竹木を伐り魚鳥を捕る者。

(今でも入ったらダメなとこで釣りをしてる人いますよね…)

・神仏祭礼節世話人等強いて出費を促す者。

(祭りの運営者が参加者に無理やり金出させたらダメだという事でしょうか)

・男にして女粧し女にして男粧し或は奇怪の扮飾を為して醜体を露す者。但し俳優歌舞妓等は勿論女の着袴するの類は此限に非ず。

(これはLGBTだからなのか、奇をてらっているのか。しかし、往来ではなく、演劇や歌舞伎などは例外としています)

・牛馬其他諸獣の斃れたる者の皮を定まり場所外にて剥取る者。

(獣の皮をはぐ場所は決まっていたようです)

・猥(みだ)りに筏を橋梁又は材木に繋ぎ或は通舩を妨る可き処に泊する者。

(これは船の通行の邪魔ですね)

・制限に背きたる筏にて川筋を往来する者。

(大きさが決まってたんでしょうね)

・豚肉営業規則に違背する者。

・伝染病予防に関する諸規則に違背する者。

(当時はコレラがよく流行っていました)

・河海岸石垣等へ棹を突き入れ舟筏を繋留する。

(無許可はダメですね)

・猥りに附会揚言して新聞紙を売歩行く者。

(大声を張り上げながら新聞紙を売り歩くのはダメ)

「詿違」は

・酔に乗じ戯に車馬往来の妨害をなす者。

(酔っぱらいはダメですな)

・格子を揆き檣塀を挙ち徒に顔向を出し往来を敢み嘲哢する者。

(こんな人いたんですね(;^_^A 家の窓から歩いてる人を見てバカにする人…)

・牛馬の繋ぎ方を忽にして他人に妨害をなす者。

(しっかりつないでおかないと怖いです)

・遊園及び路傍の花木を折り或は植物を害する者。

(うーん風流を解さない人…)

(※「詿違」のここまでは明治11年以前に既に追加されていたもの)

・道傍又は人家に於て強て合力を申掛け或は押売する者。

(「合力」とは金銭をめぐんでもらうことです。無理やりお金をとろうとするのはダメということですね)

・官林宮園及び公園等に掲示する禁状を犯す者。

(公園などのルールを破ってはダメですね)

・菓子其他の物品を賭し営業をなす者。

(今だったら祭りとかでバンバンやってますけどね)

・神社仏閣亦は他人の家屋檣壁等へ楽書及び張紙を為す者。

(中に旅行客の名前とか千社札とかいっぱいあるお寺ありますよね…)

・街上に於て高声に唱歌する者但し歌舞営業の者は此限に非ず。

(外で大声で歌っては迷惑ですよね)

・夜間十二時後歌舞音曲亦喧呶して他の安眠を妨げ者。

(夜中に音を鳴らしたりやかましくされては寝れません)

以上です!疲れた~(;^_^A アセアセ・・・

2022年10月3日月曜日

マンガでわかる!社会契約論④~法律を作る目的は?

 前回(社会契約論③)では、

法律は「みんながやりたいこと(一般意志)」を形にしたものであり、

そのため「特定の個人や地域」を対象とせず、

「みんな」を対象として作らなければならず、

その内容も「みんな」に「平等」なものでなければならない、

ということをやりました。

今回は、「法律を作る目的」についての話をしようと思います!

『社会契約論』では第二編第11章部分にあたります)

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


〇何のために法律を作るか?~ルソーはかく語りき

法律を作る目的は、「みんな」の幸せを達成するためです。

法律は「みんながやりたいこと(一般意志)」を形にしたものですからね。

「みんながやりたいこと」が「橋を作ってほしい」だったら、

橋ができればみんなは幸せになりますからね😆

そしてルソーは、「みんな」が「幸せ」であるためには

「自由」と「平等」であることが必要だといいます。

ルソーは「自由」が必要な理由について、

「国民が何かに依存(従属)していると国が力を失うから」と説明します。

これだとなんだかよくわかりませんが、(;^_^A アセアセ・・・

福沢諭吉の言うところの「一身独立して一国独立す」のようなことでしょうか。

このことは『学問のすすめ』の第3編に書かれています。

この後、『学問のすすめ』もマンガで紹介しようと思っているので、

ここでは詳しくは言いませんが、😅

人や国に頼って(任せきって)ばかりいる人は、自立できるだけの経済力を持たず、

国のやることなすこと黙って言うことを聞き、

外国の要求も黙って受け入れてしまう。

これでは国の独立は守れない…という話です。

これでは国の力は弱まるでしょう。

続いてルソーは「平等」が必要な理由を「それがなければ自由が続かなくなるからだ」と言っています。

ルソーは「平等」について「権力」と「富(財産)」の面から説明しています。

政府の役人の力が強すぎると、

暴力的な支配を行うようになり、人々は自由でなくなるでしょう。

ロシアとか中国とかそうでしょう。

いろんな自由がありませんが、言論の自由なんか無いに等しいでしょう。

「富(財産)」については、

物を人に恵んでもらってやっと生活できるような状態であれば、

それは自由な生活はできないでしょう💦

ルソーは「平等」について、「すべての人の権力と富(財産)を完全に同じにすることではない」と言っています。

つまりルソーは社会主義者でも共産主義者でもないのですね。

「社会主義」は「政府がすべての資本(土地・工場など、金を生み出すもととなる物)を管理して、手に入れたお金を平等に分配する社会」をめざし、

「共産主義」は「政府が存在せず(権力が完全に平等)、自分たちで手に入れたお金を平等に分配しあう社会」を作ることを目指す考え方の事です。

ルソーはそこまでは言いません。

「完全に平等にすると不自由になる」からです。

例えば「全員農業をやりなさい」となったら、

各自のやりたいことは無視されることになります。

ルソーは、「各自のやりたいこと(意見)がぶつかりあう中で、

共通点が見つかって、一般意志(みんなのやりたいこと)が見えてくる」

という考えの持ち主ですから、完全な平等は認められないのです。

しかし一方で、ルソーは「百万長者(大金持ち)」と「乞食」の存在は許してはならない、とも言っています。

なぜかというと、「どちらも『みんなの幸せ』にとって有害」だからというのです。

なぜ「有害」なのか?ルソーはそれについても説明しています。

「乞食は暴君(人々を苦しめる政治を行う人)が政治を行うように誘導する。

大金持ちは暴君となる」と。

ん~…、ちょっと、意味わかんないですね(;^_^A アセアセ・・・

大金持ちが暴君になるのはわかるんですけど(自分勝手な政治を行いそう)、

乞食が大金持ちの政治を求める、というのは意味不明ですね💦

乞食はお金が欲しいから大金持ちを支援する、ということなんでしょうか?

実際はその逆で、乞食は社会主義(共産主義)を求めると思うんですが💦

でも「国の安定のために大金持ちと乞食の存在は許してはならない」、というのは賛成です。

貧富の差が極端に広がると不満が生まれ、暴動などにもつながっていきますから。

しかし、貧富の差は必ず生まれ、拡大していくものです。

ルソーも「平等が破壊されるのは自然の成り行きである」と言っています。

だから、「法律で平等が維持されるようにしなければならない」のです。

現在の日本では例えば「所得税法」がありますね。

所得税は収入が多くなるにつれて税額が増えていく(累進課税)です。

4千万円を超える収入分については、45%の課税があります。

例えば1億円の収入がある人は、4千万を超える分は6千万円ありますので、

これに45%の税をかけるわけです。

つまり4千万を超える分には2700万円の税がかかるわけです。

しかしこれは昔は70%ありました。

つまり、昔は1億円の収入がある場合、4千万を超える部分については、

4200万円の税がかかっていたわけです。

しかしそれでも十分な金額が残るでしょう。

現在の日本の法律は「平等を維持するような法律」にはなっていないと思います😓

程よい範囲に収まるようにしなければなりません。

また、ルソーは第三編第5章にて、

「ある程度の財産の不平等が許されるのは、公共の仕事のために自分の時間のすべてをささげることができる人に行政官を任せるためである」

とも言っています。

お金に余裕がある人は、社会全体のことに心を配れる…ということなんでしょうね。

今の政治家を見るととてもそうには思えませんが…(;^_^A

次回は、「主権者と政府の関係」についてやろうと思います!😆

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