前回(社会契約論④)では、
「法律を作る目的」は「すべての人を幸福にすること」であり、
「幸福」とは「自由」・「平等」(「平等」といっても「完全な平等」ではなく、
権力と財産のほどよい平等[なるべく両極を近づける]のこと)が守られている状態のことで、
放っておくと「平等」はいつも崩れていくものなので、
法律は「平等(ほどよい平等)」が守られるように作らなければならない、
ということをやりました。
今回は、「主権者と政府の関係」についての話をしようと思います!
(『社会契約論』では第三編第1章部分にあたります)
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇主権者と政府の関係はどうあるべきか?~ルソーはかく語りき
ルソーは行動は「意志」と「力」が協力してこそ成り立つ、と言います。
ルソーはこれについて、
「中風(脳卒中によって引き起こされる半身不随など)患者は走ろうと思っても走れず、速く走れる人でも走ろうと思わなければその位置にとどまったままだろう」
と、具体的な例を挙げてこれを説明しています。
前者は意志はあれども力がなく、
後者は力はあれども意志がないのです。
そしてルソーは、「政治も意志と力が協力することで動かされる」と言います。
政治の「意志」にあたるのが「立法権(法律を作る力)」であり、
「力」にあたるのが「執行(行政)権(法律を実行する力)」になります。
ルソーはこの2つは完全に分裂していなければならない、と言います。
なぜなら、「執行(行政)権は個人や特定の地域に対する行動を行う。
これは一般意志ではなく特殊意志に属することだから、
主権者である人民は関わってはならないことは明白である」のだと。
なぜ「明白」なのかというと、
ルソーは『社会契約論』の第二編第4章でこう語っています。
「一般意志(みんなのやりたいこと)はすべての人に平等に義務を課し、
全ての人に平等に利益を与える公正なものであるが、
特定の者や地域を対象にすると、主権者にとって関係のない人や地域を対象にすることになり、
主権者は公正に判断することができなくなってしまうので、
特定の者を対象にした行動は、一般意志とは呼べなくなってしまう」と。
例えばA市に橋を作る、とします。でも一部の人以外A市のことを知らない、となると、A市に対して公正な行動が取れなくなる…ということです。
でも思います。A市のことをよく知らない方が(中立的な立場である方が)、
「公正」に判断できるのではないかと。
しかしルソーは、「利害の一致」によってこそ「一般意志」ができあがる、という考えの持ち主なのです。
どういうことかというと、A市に橋ができることによって得をする立場の人、損をする立場にある人が意見をぶつけ合うことで、一致する部分(これが一般意志)が見つかる、ということです。
A市としても、自分の町のことをよく知らない人たちに橋を作るかつくらないかを決めてほしくないのではないでしょうか。中立の立場の人が判断する裁判と違って、その後の現地の人々の生活に強く影響することでもありますからね。
では、執行(行政)権は、なぜ立法にかかわってはいけないのか。
ルソーはそれについて、第三編第10章でこう語っています。
「政府が(法律を作るという)主権を奪い取ると、(全体の一部でしかない)政府の役人によって法律が作られるので、(一部の意志[特殊意志]に従わされることになるため、一般意志[みんながやりたいこと]に従うという)社会契約が破棄されるような事態が訪れてしまう」のだと。
法律は人民の利害の一致にもとづいて作られる物であって、政府の役人が作る物ではないのです。
しかし今の日本では、内閣立法が8割にも及ぶことからもわかるように、
政府が主権を奪い取ってしまっている状態になっています。
ルソーは「(このような政府の作る法律に)服従は強制されても、従う義務などないのだ」と言っていますが、確かにそうです。
「みんながやりたいこと」とはとても思えない法律とか多くありますからね…💦
(政治家や役人は『社会契約論』を読んでいるんだろうか)
では、このような政府の暴走を防ぐにはどうすればよいのか。
このことについて次回以降で取り扱っていこうと思います。
また、国会は何やっているんだ、とも思うわけですが(;^_^A
ルソーは国会についても語っています。
ルソーは国会についてどう語っているのか、ビックリすることを語っているので、それについても取り上げてみようと思います!
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