※マンガの後に補足・解説を載せています♪
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織田信長による永禄13年(1570年)1月23日付の書状がありますが、これは朝山日乗・明智光秀を通して、将軍・足利義昭に五ヶ条の項目の内容の承認を求めて作られたものであり、通称「五ヶ条の条書」と呼ばれます。義昭はこの内容を受け入れたようで、黒印を据えているものが石川武美記念図書館(東京)の「成簣堂文庫」に残されています。
この「五ヶ条の条書」について、これまで各研究者には次のようにとらえられてきました。
渡辺世祐氏「足利義昭と織田信長との関係に就いての研究」(1911年)…(殿中御掟から)僅に一年ならずして、今またその政治上の勢力をも奪わんがため、義昭との間に新たに条約を締結せり。素より義昭は信長の扶助によりてその旧業を恢復したりと雖も、かく頻繁に拘束を受くるは喜ばざる所なりしなるべし。…要するに、この各条は漸くにして旧業を復し得たりし義昭をして将事職にありと雖も、空しく尸位素餐(しいそさん。※高い地位にありながら働かないこと。少し使い方が違うか?)の地位に置かしめんとせしものにして、義昭としては耐え得べからざりし事なり。…その条約は強請的のものにして、義昭にとりては最も不利益なる条項をもって成り、義昭は実質上将軍としての資格を失墜せるの感あり。
桐野作人氏『織田信長』(2011年)…義昭にとっては信長から一方的に種々の規制を受ける内容だった。
池上裕子氏『織田信長』(2012年)…義昭の行動を非難し、義昭を信長の監視下において手足を縛るような内容となっている。
谷口克広氏『織田信長の外交』(2015年)…信長と義昭の「連合政権」はこの後、連携時代を終了させて確執時代に入る。その第一歩が…一月二十三日付で出された五ヶ条の条書である。
しかしこの解釈をめぐって、近年で異説も出されるようになってきています。
意見が分かれるその内容とはどのような物なのか、その内容について見てみましょう。

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