7月24日の「鎌倉殿の13人」もおもしろかったですね💦
梶原景時を失って、どんどんカオスになっていきそうな感じですね…😰
さて、今回は佐々木四兄弟の3番目、以前にマンガでも登場した
佐々木三郎盛綱(1151~?)のお話です!
※マンガの後に補足・解説の文章を載せています。
〇藤戸の戦い
1184年12月、一の谷の戦いで平氏を破った源氏は、
九州・四国に残る平氏と戦っていた🔥
佐々木盛綱(佐々木四兄弟の3番目。早くから頼朝に仕えて信頼も厚かった)は源頼朝からもらった葦毛の馬に乗って九州に向かう途中、
備前の国(岡山)の児島に平行盛(平清盛の二男の長男)が城を築き、
源氏方の食糧の補給路を攻撃してきていることを知りこれと戦うことに決める。
マンガでも書いたが、児島は当時は本当に島だった。
日本神話でも、イザナギとイザナミは
淡路島ー四国ー隠岐の島ー九州ー壱岐の島ー対馬ー佐渡島ー本州
…をまず大八島(おおやしま)として産み、
次に児島ー小豆島(香川)ー屋代島(山口)ー姫島(大分)ー五島列島(長崎)ー男女群島(長崎にある無人島)
…の島々を産んだとされているが、ここに児島が入っている。
児島の干拓は奈良時代から少しずつ進められており、
1618年の岡山藩の夜干拓によって陸続きになったのだという😲
〇能にもなった藤戸の戦い
マンガで出てきた、かわいそうな道を教えた男(漁師)であるが、
この話は「吾妻鏡」には出てこない。
「平家物語」に出てくる。また、地元に伝わっていて地名に残っている。
「吾妻鏡」だけを見ていると「海をわたったの!?すげぇ😱」
となるのだが、「平家物語」などに出てくる話のほうが信ぴょう性がある。
干拓もされるくらいだから、馬で通れるような浅瀬もあったのだろうし。
藤戸の戦いは「能」でも演じられており、
そのあらすじは、
『児島の領主となって戻ってきた佐々木盛綱。
そこに殺された男の母親が、わが子を殺したとつめよってくる。
最初は否定していた盛綱だが、ついに殺害を告白する。
それを聞いた母親は半狂乱となり、自分も殺せ、わが子を返せ、と暴れる。
困った盛綱は供養をするから、と言って帰らせる。
供養を行った盛綱の前に、男の亡霊が現れる。
亡霊は、水神となって刀で刺し殺されたうらみを晴らそうと思ったのだが、
意外にも盛綱が供養をしてくれたことに対して、感謝の言葉を述べ、成仏する』
…というもの。
殺された男の人、優しすぎでしょう😢
母親も嘆き悲しんでいるのに…💦
※藤戸の戦いに関連する地名
乗り出し岩 |
「乗り出し岩」…この場所から盛綱が海に乗り出したとされる。少し離れたところに「乗り出し橋」がある。
「先陣庵」…盛綱が島に上陸した場所とされる。ヤフー地図を使って「乗り出し岩」~「先陣庵」の距離を計測してみると、約2kmある。約300メートルどころじゃないよ!?😱
盛綱橋 |
少し離れたところに「先陣橋」がある。
「藤戸寺」…行基が建てたとされる。
盛綱が戦乱で荒れ果てていた藤戸寺を修復したという。近くに「盛綱橋」がある。
笹無山 |
「笹無山」…現在は母親の恨みも晴れたのか、笹が生えているそうです。
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