基本的に武士はヤバイです。
武士はヤンキーで、不良で、ヤクザで、武士団は暴力団だと思います😓
武士が暴れたエピソードは数え切れません。
その中で特にヤバい一人、土岐氏の祖先である源光国の紹介です!
※マンガの後に補足・解説の文章を載せました😆
〇ダンキラ!?
「源光国」と検索すると、
なんかイケメンの画像が出てきます。
「何…?😥」と思ったら、
2019~2020年にKONAMIにより配信されたモバイルゲーム、
「ダンキラ !!!-Boys, be DANCING!」に「源光国」という人物が登場するんですね😲
ピクシブ百科事典によれば、
『どこまでもアツい!熱血大和ダンサー
絶対に諦めない熱血根性を持つ大和男子。
実家は源覚心流武術の道場で自らも師範代を務めるほどの実力。
おぼろとゆかりとは同門で毎日共に稽古に励んでいる。
底なしの体力とキレのある身のこなしを武器に力強く舞い踊る。』
…という人物だそうです😌
名前が源光国と一緒ですが、なにかあるんでしょうかね😕
〇不良の父、息子
源光国の父親、源国房(?~1119)もなかなかやばい人物であります(;^_^A
国房はあの源頼光の長男、源頼国の6男にあたりますからすごい人です。
頼国は美濃守ですから、頼国の一族は美濃(岐阜県)が勢力範囲の1つだったのでしょう(本拠地は摂津(大阪府・兵庫県))。
(源頼光も美濃守、その父の満仲も美濃守の経験あり)
頼国の長男、頼弘はパッとせずに出家。
2男の頼資(よりすけ)は国司の館を焼いて佐渡に流罪となったヤンチャな兄。
3男の頼実(よりざね)は歌を詠むことにはまり、30歳で若くして亡くなる。
4男の実国(さねくに)(1020~?)はがんばったほうで、摂津に新たな荘園(生島庄)を開発した。子孫には天台座主(天台宗で一番えらい役職)となった人物も存在する。
5男の頼綱(1025~1097)は5男でありながらも頼光→頼国と受け継がれてきた本拠地の摂津にある多田荘を受け継いだ。
娘を天皇や藤原氏と結婚させることも積極的に行っている。
頼綱の二男の息子が、あの源頼政(1104~1180)😖
6男が光国の父の国房で、兄の頼綱の養子?にもなっているようです。
頼綱が摂津を受け継いで、弟の国房は美濃のほうを受け継いだのでしょう。
国房が自分のものとしていたのが美濃の鶉郷(うずらごう)です。
国房は東大寺から、鶉郷の近くにある茜部荘の管理も任されますが、
鶉郷と接するあたりの茜部荘の土地を鶉郷にこっそり横取りしていたことがばれ、
怒った東大寺から茜部の管理を任されなくなります。
お父ちゃんなかなかやりますな(;^_^A アセアセ・・・
そしてその子どもが源光国(1063~1148)ですが、
父の国房はけっこう長生きしたようで、光国が56歳の時まで生きています😧
父が美濃でがんばって?いるときに光国は検非違使となって京都にいました。
1094年、38歳の時に京都で火災が起き、
マンガで描いたように元天台座主の人の館を家来が襲っています💦
1110年、47歳の時に出羽の寒河江荘で乱暴を行い、勝手に美濃に帰るという事件を起こしています(;^_^A アセアセ・・・
なんかあったんでしょうか??
オモシロ半分でやっていたならマジでヤバい人ですが…(;^_^A
その後1117年・1124年と2度にわたって鶉郷の住人たちが茜部荘の土地や税を奪い取る事件が起きました💦
光国は訴えられますが、
「鶉郷の住人が茜部荘に侵入したことはないし、そもそも俺は京都にいるから美濃のことは知らん!」と開き直ります😓
まぁたぶん乱暴は事実で、こうやって少しずつなし崩し的に勢力範囲を広げていったのでしょう。
光国は1148年、85歳まで長生きをしてなくなりました。
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