前回(社会契約論②)では、
「一般意志」とは「みんながやりたいこと」のことであり、
「みんながやりたいこと(一般意志)」は「全員一致」でもなく、「多数決」でもない決め方、
「否定が一番多い案」と「否定が一番少ない案」を除いた残りの案の共通部分を
「みんながやりたいこと(一般意志)」にするという決め方だということをやりました。
今回は、「みんながやりたいこと(一般意志)の対象」についての話をしようと思います!(『社会契約論』では第二編第二章・四章部分にあたります)
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇「一般意志(法律)」は何を対象とすべきか?…ルソーはかく語りき
ルソーは『社会契約論』第二編第二章でこう言っています。
「意志は一般意志であるか、そうでないかのどちらかである。
すなわち人民全体の意志であるか、
人民の一部の意志にすぎないかどちらかである。
人民全体の意志である場合には、それは法律となる」と。
法律とは憲法と違い、人々を拘束する(行動を制限する)ものです。
守らなければ罰が与えられます。
なぜ法律は人を拘束できるのか?
それは、法律は「みんながやりたいこと」を形にしたものだからです。
ルソーは同第四章で言っています。
「一般意志[みんながやりたいこと]に従うこと、という社会契約[約束]は、
相互的であるが故に拘束力を持つのである」と。
例えば「橋を作ってほしい」という一般意志[みんながやりたいこと]があれば、
人々はその分負担をしなければならないでしょう。
政府が損をするだけ、もしくは人民が損をするだけでは国は立ち行きません。
ルソーは第一編第8章でもこう言っています。
「多くの利益を失うけれど、その代わりに極めて大きな利益を受け取る」のだと。
例えばAさんは橋を作るためのお金を負担する。
するとお金が集まり政府は橋を作る。
橋ができれば生活はより豊かになるでしょう。
利益を失うけれど、多くの利益を得るのです。
しかし、法律が一部の人を対象にしたものだと、
利益を得られないのに負担だけすることになってしまいます(相互的ではない)。
ですから、ルソーは
「一般意志(みんながやりたいこと)は全部の人から生まれ、
全部の人に適用されなければならない」(第二編第四章)と言っているのです。
一部の人(地域)だけが利益を受ける橋を作るのであれば、
それは一部の声だけを聞いて一部の人にしか利益をもたらさないものになってしまいます。
(※でも、日本に生活していれば、自分に関係のない橋とかいっぱい作られていそうです。
ですから、ルソーも同第九章で、
「社会のきずなは大きくなるほどたるんでいく。
小さい国のほうがきずなは強くなる。
行政は距離が遠くなるほど困難になり、経費も高くつく。
異なった習慣や風俗を持ち、
気候や環境が異なる地方に一つの法律を合わせるのは不可能だ。
だからといって地方ごとに違う法律を作っては地方間のいざこざを生むだけである」と言っており、
国(政治体)はなるべく小さいほうがいい、と言っているのです。)
また、ルソーは、同第四章で、
「一般意志(みんながやりたいこと)は、すべての人に平等に義務を課し、
全ての人に平等に恩恵を与えるものでなければならず、
一部の人だけに多くの負担を求めてはならない」とも言っています。
続けて、
「すべての人に共通(公正)で、一般(みんな)の幸福を対象としているので、
人々は一般意志に従うのである」としていますが、
どうでしょうねぇ、今の世の中は…。
法律は、本当に「みんがやりたいこと(望むこと)」で、
「みんなの幸せを考えて」作られているんでしょうかね…(;^_^A アセアセ・・・
政治家は『社会契約論』を読んでいるんでしょうか。
読んでいないでしょうねぇ…😓
次回は「法律を作る目的」についてやろうと思います!😆
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