今日の「鎌倉殿の13人」も面白かったですね💦
北条時政の退場の時が近づいてきています…。
今回は北条時政に関するエピソードを書いてみました。
※マンガの後に補足を載せています。
〇北条時政(1138~1215年)と牧の方
北条時政はホクロ(ではないが)が気になると思うんですけど、
ネットで検索しても北条時政とホクロについての記事は全くと言っていいほど出てきません(ナゼだ😓)。
Twitterで「北条時政 ほくろ」と検索しても全然出てきません💦
気にならないのかなぁ??
さて、北条時政と牧の方(「鎌倉殿の13人」では「りく」)との関係について今回は触れてみる。
北条時政は牧の方と結婚しているが、
これにはこんなつながりがあったのだという。
すなわち、
牧の方は牧氏の出身であるが、牧氏の根拠地は駿河(静岡)の牧というところで、
牧氏は土地を寄進して荘園としていたが、
その地頭として荘園を管理していたのが北条時政だったのだという。
北条義時や姉の北条政子は前妻の子であるが、
北条政子は1157年生まれなので、北条時政19歳の時の子どもである!
しかもその上にまだ宗時という子どもまでいたのだから、
かなり早くに結婚していたのだろう。
「鎌倉殿の13人」では牧の方は北条政子よりだいぶ年上な感じであったが、
「北条時政の若き妻」と史書に書かれているので、
実際は北条政子と年齢はさほど変わらなかったと思われる。
北条義時は先に述べたように嫡男ではなく、
(そのため北条義時は江間義時と名乗っていた)
牧の方との間に生まれた北条政範を跡継ぎにしようとしたのであるが、
北条政範が若くして亡くなったため、北条氏は義時が跡を継ぐことになったのである。
政範を失った北条時政は、その代わりを平賀朝雅に求めていく。
しかし北条時政は息子義時との政争に敗れて平賀朝雅をも失い、
1205年に引退、1215年に亡くなった。
牧の方は1229年に亡くなったという説があるが、
それだと北条義時・北条政子より長く生きたことになる。
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