今回の「鎌倉殿の13人」も面白かったですね!😊
まったく「穏やかな一日」ではありませんでしたが…💦
今回は『吾妻鏡』に出てくるエピソードを紹介しようと思います😆
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇建仁の乱(城長茂の乱)(1201年)
城長茂は、以前のマンガで紹介したように、平氏滅亡後没落していたところを、
梶原景時によって引き立てられて(以前ほどではないが)復活することに成功した人物です。
そのため、梶原景時に恩義を感じていたのですが、
1200年、梶原景時が滅亡したことを知ると、
長茂は恨みに思っている幕府を滅ぼすために行動を開始します。
1201年、まず大番役(京都の警護)で京都にいた小山朝政の宿所をおそいます。
なぜ小山朝政の宿所をおそったのかはわかりませんが、
土御門天皇の行幸に小山朝政がついていって留守なのを知っていて、
倒しやすいと考えたのかもしれません。
しかし、残っていた小山朝政の家来たちは必死に応戦し、
城長茂は勢いに押され退却します💦
最初の行動に失敗した長茂ですが、続いて天皇・上皇のいる御所を包囲して、
幕府追討の宣旨を出してもらうように要求しますが、
断られたため京都から逃亡します。
…というように、長茂の行動はことごとくうまくいきませんでした。
木曽義仲と戦って敗北し、城氏を衰えさせた人物ですから、
あまり能力は高くなかったのかもしれません(;^_^A
長茂は大和国の吉野に追いつめられて家来たちと共に殺されます。
長茂が反乱を起こしたわけですから、一族もただではすみません。
そこで、城氏の本拠地にいた甥の城資盛が挙兵します。
そこに佐渡・越後の武士が攻めかかりますが、
資盛はこれを撃退することに成功します。
困った幕府は上野国(群馬県)にいた佐々木盛綱(1151~?。佐々木四兄弟の3番目。早くから頼朝に仕えて信頼も厚かった)に、
大将となって城氏を攻めるように命令したわけです。
佐々木盛綱はこれまでに2回、マンガに登場していますね。
マンガの2回目は藤戸の戦いで活躍した場面を描いたものでしたが、
非情に勇猛な武士でした。
源平の戦い後、越後守護となり越後に土地も与えられていましたが、
頼朝の死後、政争に巻き込まれ越後守護も越後の地頭職も失ってしまい、
失意の中で出家して西念と名乗っていました。
幕府の命令を受けて、佐々木盛綱は土地を取り戻すチャンスとばかりに
あっという間もなく出陣します。
戦いはどうなったかについては、この後マンガにして紹介したいと思います😆
0 件のコメント:
コメントを投稿