社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 「律令」(養老律令)⑥律令と戸籍からわかる、驚きの古代の夫婦関係!~戸令・戸籍

2024年2月19日月曜日

「律令」(養老律令)⑥律令と戸籍からわかる、驚きの古代の夫婦関係!~戸令・戸籍

 今回は古代の家族の様子はどのようであったのか、律令と戸籍を使って探っていこうと思います!😆

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


〇婚姻関係に関するきまり

まずは結婚と離婚について、律令ではどのように定められていたのかを見ていこうと思います!😆

戸令 [24条] 男は15歳、女は13歳以上で結婚を許す。

この年齢は数え年です。

数え年というのは、生まれた時を0歳とせず、1歳とする年の数え方のことです。

さらに、年齢は1月1日をもって1歳プラスされます。

つまり、12月末に生まれた子どもは、生まれた翌日に2歳になるということです(;^_^A

現在の年齢で言うと、男は14歳、女は12歳以上で結婚を許す…ということになります。

結婚するにあたって、次のやってはいけないことがありました。

[27条]男女の関係となった後に結婚するのは認められない。

[25条]結婚する際には、祖父母・父母・伯叔父姑・兄弟・外祖父母に、次に舅従母(母の兄弟姉妹)・従父兄弟(いとこ)に知らせる事。

[30条]結婚や離婚するにあたっては、25条の親族に知らせなかった場合、結婚や離婚は認められない。親族が結婚や離婚を知ってから、3か月の間、結婚や離婚が不当だと親族が訴えなければ結婚は認められる。

30条に離婚の話も出ていますが、戸令には離婚の条件も載っています。

[28条]妻と離婚するには、七つの条件のどれかを満たす必要がある。①子がいない(令義解には女の子がいても、男の子が生まれていなければ離婚の条件を満たす、とある。戸婚律には、妻が50歳以上になっても子がいない場合、とある)②性欲が強すぎる(令義解には、「淫は、蕩なり。泆は、過なり。その姧訖(お)えるを須(もと)める」とあり、蕩は淫行にふけること、過は過剰なことなので、夫が中断を求めるほど、過剰に淫行にふけろうとすること)③舅・姑(夫の父母)に尽くさない④おしゃべり(令義解は、『詩経』の「婦に長舌あるは維れ厲の階」[女子の口数が多いのは禍の元である]を紹介して、この事をいうのである、と書いている)⑤物を盗む⑥嫉妬心が強い⑦治りにくい病気にかかっている。夫は離婚の理由を書いて妻を離縁するようにせよ。夫妻の親族はこれに署名せよ。字が書けない場合は、自分の指の形を書き写せ。しかし、次の3つの場合は、離婚できない。①妻が夫の父母の喪をつとめ終えた時。②結婚した時は身分が低かったが、その後身分が高くなった時。③妻の帰る場所が無いとき。ただし、義絶・性欲が強すぎる・治りにくい病気にかかっている場合は、この限りではない。

義絶については、次のように書いてあります。

[31条]夫が妻の父母・祖父母を殴ったり、妻の外祖父母・伯叔父姑・兄弟姉妹を殺したり、自分と妻の祖父母・父母・外祖父母・伯叔父姑・兄弟姉妹を共に殺したりした場合、妻が夫の祖父母・父母をののしったり、殴ったり、夫の外祖父母・伯叔父姑・兄弟姉妹を殺傷したり、夫を害しようと(罪に陥れようとしたり、身体を傷つけようとしたりすること)したりした場合は、夫婦の縁を切ることができる。

妻の方がハードルが低いですね(◎_◎;)夫が妻を害しようとしても縁を切る理由にならないとは…。

総じて律令は妻の立場が低いです(-_-;)

一方で妻も義絶以外にも、婚姻関係を解消できる場合がありました。

[26条]結婚が決まったのに、3か月間結婚式が行われない、夫が逃亡して一か月間帰ってこない、外国の捕虜となって1年間帰ってこない、徒罪以上の罪を犯した場合は、妻は婚姻関係を解消できる。

かなり場面が限定的ですね…(;'∀')

 〇半布里戸籍を読む

半布里戸籍は美濃国(岐阜県南部)半布(はにゅう)の里(現在の富加町羽生。「道の駅 半布里の郷・とみか」があるの大宝2年(702年)11月に作られた戸籍です(『岐阜県史 史料編 古代・中世4』584~615Pを参考にさせていただきました)。

それでは、戸籍の載せられている各家族の様子を見ていきます。

石部三田

戸主の三田は50歳、妻は45歳(数え年)。子は8人、上は女子24歳、下は男子2歳。43歳で出産しているのがすごい。

寄人(よりゅうど。従兄弟より遠い親族)の安倍は46歳、妻は32歳。子は13・3・2歳。

県主族嶋手

戸主の嶋手は45歳、妻は46歳。子は6人。上は19歳、下は2歳。こちらも44歳の高齢出産。

戸主弟小嶋は44歳、妻は35歳。子は6人。子の上は16歳、下は2歳。

戸主弟多都は37歳、妻は42歳。子は7人。子の上は18歳、下は1歳。

戸主にはさらに寺という弟(32歳。兵士とある)がいて、1歳の男の子と4歳の女の子がいるが、妻は記されていない。

最高齢は戸主の母で64歳。

県主族都野

戸主の都野は59歳、妻は52歳。子は5人。上は29歳、下は1歳。51歳の超高齢出産になってしまうが、47歳の妾がいると書かれているので、こちらの子か?それでも46歳の出産だが…。

寄人の牧夫(21歳。兵士)には22歳の妻がいる。

最高齢は戸主の姑で82歳。

県主族安麻呂

戸主の安麻呂は60歳、妻は57歳。子は10人で、上は33歳、下は3歳。38歳と24歳の妾がいるので、その子か?

嫡子の石椅は28歳、妻は24歳。子は6歳。

他の子の大石は25歳、妻は22歳。子は1歳。

他の子の龍麻呂(かっこいい名前)は23歳、妻は17歳。子は2歳。14歳頃に結婚?

娘に33歳の玉がいて、夫は書かれていない。子は11歳。

県主族牛麻呂

戸主の牛麻呂は53歳。妻は49歳。子は7人で、上は26歳、下は2歳。47歳の高齢出産!

嫡子の已乃弥は26歳。一目盲、残疾とある。2歳の子がいるが、妻は書かれていない。

戸主の兄、安閉は70歳、妻は67歳。33歳の嫡子(1歳の子がいる。妻は載っていない)がいて一番下には21歳。他に、亡くなった妻がいた。25歳の子には、久漏(重度の痔瘻)、残疾とある。

戸主のもう1人の兄、安都は54歳。一枝廃(手足の一本が動かない)、廃疾とある。妻(安「津」の妻とあるが、誤りか?)は49歳、子は上は27歳、下は9歳。

最高齢は73歳で、戸主の妻の母。

県主族安麻呂(先の安麻呂とは別人)

戸主の安麻呂は53歳、妻は42歳。子は6人で、上は22歳、下は2歳。嫡子の安倍は22歳で兵士。

戸主の弟犬麻呂は41歳、妻は42歳。子は上は13歳。下は2歳。

県主族津麻利(正8位上とある。「たからづかデジタルミュージアム 農民の階層」には、次の記述がある。「(摂津国の富農である)日下部宿禰浄方(くさかべのすくねきよかた)は銭100万と杉材1000枚を献上して、天平神護二年(766)九月に従六位上から外従五位下に昇叙され、神人為奈麻呂(みわひとのいなまろ)は職務に忠実、そして農民の生活に配慮をおこなったということで、延暦四年(785)一月に外正六位上から外従五位下に昇叙されているのである。」

戸主の津麻利は60歳、妻は50歳。子は12人もいて、上は35歳、下は5歳。

2番目の子の嶋は30歳、妻は載っていないが子は上は10歳、下は2歳がいる。

3番目の子の佐留は27歳、妻は載っていないが2歳の子がいる。

県造吉事

戸主の吉事は28歳、妻は29歳。子は上は6歳、下は1歳。

戸主の妹の名前は多知波奈。「たちばな」と読むのか。

戸主の同党(親族)である加比は54歳、妻は52歳。子は上は33歳、下は15歳。

加比の嫡子の知依は28歳。兵士、歩桙取(矛や槍を持つ兵士)とある。妻は載っていないが、3歳の子がいる。

寄人の石上部加多弥には妹が2人いるのだが、2番目の妹の名前は奈見。現代でもいそう。

また、この家には奴が8人(1~26歳)、婢が5人(2~55歳)がいる。このうち、婢の宮は50歳、33歳と26歳の娘がいて、2人とも婢。33歳の娘の由伎(「ゆき」と読むのだろうか?)には2歳の都という娘がいて、こちらも婢。

県造荒嶋

戸主の荒嶋は26歳、妻は25歳。6歳の子がいる。

この家には25歳の奴がいる。

県主万得

戸主の万得は42歳、妻は52歳。子は6人で、上は20歳、下は7歳。嫡子の安麻呂は14歳で、二目盲(両目が見えない)とある。

戸主の弟の古万は40歳(兵士)で、妻は37歳。子は13・11・4歳。

寄人の石上部根猪は35歳、妻は59歳!25歳の娘がいる。そうなると根猪が10歳の時の子という事になるが…⁉おそらく連れ子ではないか??

戸主に18歳の奴が1人、戸主の弟の古万に19歳の奴が1人。

神人辛人

戸主の辛人は43歳、妻は42歳。20歳の子(兵士)がいる。

戸主の母は67歳、47歳の娘(戸主の姉)がいて、その娘に麻呂という名前の娘!がいる。

寄人の牟下津部麻呂(戸主の妻も牟下津部なので妻の一族か?)は33歳、妻は22歳。子は7・3・2歳。14歳くらいで結婚?

県主族比都自

戸主の比都自は66歳、妻は67歳。50歳の妾がいる。子は8人いて、上は40歳、下は19歳。

寄人の古麻呂は51歳(一手折、残疾とある)、妻は52歳。子は9人いて、上は28歳、下は2歳。

他の寄人の都野は44歳(兵士)、妻は載っていないが子は3歳。都野の母は93歳!

県主族安麻呂

戸主の安麻呂は44歳、妻は48歳。子は上は25歳、下は17歳。

県主族与津

戸主の与津は39歳、妻は36歳。上は13・12・2・2歳(双子?)。すべて娘。

(戸主の弟と書いていないがおそらく弟である)弟都は39歳(戸主と双子?)で、妻は36歳。15歳の女子がいる。

さらに弟の麻佐利は29歳(兵士)、妻は載っていないが、8・4・1歳の息子がいる。

寄人の根麻呂は55歳、妻は49歳。子は10人もいて、上は27歳、下は8歳。

最高齢は戸主の母の72歳。

守部加佐布

戸主の加佐布は63歳、妻は47歳。子は上は19・16・10歳。

戸主の弟の阿手は47歳、妻は42歳。子は5人いて、上は20歳、下は2歳。すべて娘。

寄人の安閉は29歳(兵士)で、妻は載っていないが5歳と3歳の男子がいる。

秦人弥蘇

戸主の弥蘇は52歳、妻(名前は加奈という。「かな」…今でも通用する名前)は47歳。子は5人いて、上は24歳、下は3歳。

戸主の弟の目里は47歳、妻は42歳。子は5人いて、上は16歳、下は5歳。27歳の妾がいる。

目里の弟(なぜか戸主の弟と書かれていない)の小目里は43歳(兵士)で、妻は載っていないが、上は11歳、下は2歳の子がいる、

小目里の弟の麻佐利は37歳、一枝廃、廃疾とある。

最高齢は戸主の母で73歳。

秦人小玉

戸主の小玉は73歳、妻は59歳。子は7人いて、上は37歳、下は14歳。

戸主の同党の知西は33歳(兵士)は、妻は載っていないが3歳の子がいる。

知西の弟の八嶋は23歳で、17歳の妻がいる。

秦人部身津

戸主の身津は71歳、妻は57歳。子は5人いて、上は30歳、下は6歳の子がいる。

嫡子の止也麻呂は30歳、妻は載っていないが、子が3人(9・4・2歳)いる。

戸主の弟の加太は57歳、妻は42歳。子は9人いて、上は29歳、下は1歳。

29歳の嫡子、加良尓は兵士。25歳の妻がいて、4歳の男子と2歳の女子がいる。

秦人古都

戸主の古都は86歳(!)。妻は68歳。子は上は50・26・19歳。67歳の時の子ども…!(◎_◎;)

嫡子の金弓は50歳、妻は42歳。上は25歳の娘と23歳の子がいる。25歳の娘(名前は刀自)には1歳の子がいる。

秦人身麻呂

戸主の身麻呂は32歳(兵士)、妻は28歳。子は5人で、上は11歳、下は1歳。

戸主の弟、古麻呂は22歳、妻は23歳。

県主族安多

戸主の安多は65歳(一枝廃、廃疾)、妻は62歳。子は6人で、上は41歳、下は28歳。

3番目の男子である身麻呂(33歳)は兵士。

28歳の娘(名は猪奈)には7歳の娘がいる。

穂積部安倍

戸主の安倍は34歳、妻は載っていないが、25歳の子(二目盲、廃疾)がいる。

寄人の秦人比都自は48歳(兵士)、妻は37歳、子は6人で、上は22歳、下は5歳。妻は14歳頃に結婚したという事になる。

比都自の弟、目知は42歳、妻は20歳。子は上は7歳、下は3歳。妻は12歳頃に結婚したという事になる。

神人牧夫

戸主の牧夫は63歳、妻は61歳。子は上は35歳、下は16歳。

嫡子の忍勝は25歳(兵士)。31歳の兄がいるのに嫡子なのは、兄が両目盲で篤疾であるため。

戸主の弟の小牧は61歳、妻は57歳。子は7人で、上は39歳、下は3歳!

小牧には亡くなった妾がいた。39歳の嫡子以外の男子は、15・14・6歳と年齢差が大きいため、嫡子以外は妾が産んだ子なのだろう。

小牧の嫡子、布奈手(39歳)は妻は載っていないが、3歳の娘がいる。

神人波手

戸主の波手は56歳(一枝廃、廃疾)、妻は51歳。子は5人で、上は30歳、下は18歳。

戸主の同党、都留伎は40歳、妻も40歳。子は14・8・6歳。

生部津野麻呂

戸主の津野麻呂は68歳、妻は47歳。子は7人で、上は37歳、下は13歳。10歳で出産したわけではなく、24歳で亡くなった妻がいるので、その子だろう。

嫡子の知麻呂は37歳(兵士)、妻は載っていないが、4歳の子がいる。

この家には5歳の婢がいる。

秦人多都

戸主の多都は60歳、妻は44歳。30歳の嫡子がいる。妻は13歳頃に結婚したという事になる。

嫡子の小依は30歳(兵士、歩桙取)、妻は載っていないが、11・9・7歳の子がいる。

戸主の兄の多比は73歳、妻は62歳。子は4人で、上は22歳、下は14歳。

多比の嫡子の稲寸は22歳、妻は25歳。2歳の息子がいる。

多比の2番目の子、久麻止理(別の箇所には久麻「鳥」とある)は19歳、妻は20歳。

戸主の甥の麻佐理は37歳、妻は34歳、子は9・6・2歳。

この家には14歳の婢がいる。

秦人部都弥

戸主の都弥は85歳(!)、妻は載っていない。子は58歳と50歳の息子。

嫡子の馬手は58歳、妻は47歳。子はいない。

戸主の2番目の子の小己里は50歳(二耳、残疾)。妻は載っていないが、上は25歳、下は8歳の子がいる。

小己里の25歳の娘(名は知怒)には2歳の娘がいる。

秦人多麻

戸主の多麻は80歳(!)、妻は73歳。子は4人で、上は45歳、下は37歳。

嫡子の小須は45歳、妻は37歳。子は5人で、上は17歳、下は3歳。

戸主の2番目の子の乃伎は41歳、妻は34歳。子は4人で、上は11歳、下は1歳。

3番目の子の小乃伎は38歳(一目盲、残疾)、妻は載っていないが、1歳の息子がいる。

4番目の子の阿麻留は37歳(兵士、弓中)、妻は33歳。子は5人で、上は11歳、下は1歳。

この家には奴が1人、婢が3人いる。12歳の婢の名前は佐己、「さな」と読むのだろうか?

秦人久比

戸主の久比は30歳、妻は載っていないが、1歳の息子がいる。

戸主の同党の椋人は37歳、妻は34歳。子は4人で、上は12歳、下は2歳。

県主族母呂

戸主の母呂は73歳、妻は65歳。子は5人で、上は37歳、下は15歳。50歳の高齢出産である(もしくは妾がいたが亡くなったのか?)。

嫡子の粳手は37歳(兵士)、妻は36歳。14・10・8・1歳の娘がいる。

戸主の甥の佐加志は58歳(一目盲、残疾)、妻は52歳。42歳の妾もいる。子は10人もいて、上は28歳、下は10歳。

佐加志の嫡男、安麻呂は28歳、妻は18歳。3歳の娘がいる。

県主族安倍

戸主の安倍は52歳、妻は42歳。亡くなった妻もいた。子は14人もいて、上は33歳、下は3歳。

現在の妻はおそらく以前は妾だったのだろう。2人はほぼ同時期に子どもを産んでいる。

嫡子の小止は25歳(兵士)、妻は26歳。子はいない。

戸主の2番目の子の宮知は23歳、妻は載っていないが、1歳の息子がいる。

戸主の3番目の子の己波は22歳で、こちらも兵士。

戸主の5番目の子の名前は奈々。女の子みたい。

戸主の甥の大人は37歳、妻は33歳。子は5人いて、上は13歳、下は1歳。

神人小人

戸主の小人は46歳、妻は載っていないが、子は7人で、上は22歳、下は2歳。

戸籍には移和の妻が出てくるのだが、移和と言う名前の者はどこにもいない。おそらく戸主の弟、弱のことか。「いわ」と読むのかな(゜-゜)戸主の弟、弱は35歳。妻は33歳。14・11・7・7歳の娘がいる(双子?)。

県主族長安

戸主の長安は53歳、妻は52歳。子は5人で、上は33歳、下は14歳。

嫡子の馬手は33歳(兵士)、妻も33歳。子は12・10・4歳。

戸主の同党の多都麻呂は47歳、妻は48歳。子は5人で、上は19歳、下は12歳。

秦人都弥

戸主の都弥は54歳、妻は52歳。子は8人で、上は22歳、下は9歳。

嫡子の安麻呂は22歳で兵士。

戸主の同党の久比は30歳、妻は24歳、3歳の娘がいる。

秦人石寸

戸主の石寸は40歳、妻は載っていない。子は5人で、上は20歳、下は2歳。

戸主の兄の麻呂は45歳、妻は37歳。20(兵士)・14・2歳の子がいる。

戸主の弟、伎佐見は36歳、妻は27歳。子は4人で、上は10歳、下は1歳。

秦人甲

戸主の甲は50歳、妻は42歳。子は7人で、上は23歳、下は1歳。

嫡子の速梂は23歳(兵士)、妻は17歳。子はいない。

戸主の弟の小麻呂は42歳、妻は37歳。子は7人で、上は19歳、下は3歳。

もう1人の弟、余は27歳、妻は20歳。2歳の娘がいる。

この家には19歳の婢がいる。

秦人止也比

戸主の止也比は42歳、妻は36歳。子は5人で、上は20歳、下は5歳。

戸主の甥の加尼麻呂は24歳で兵士。

秦人山

戸主の山は73歳、妻は47歳!しかも27歳の妾まで。子は上は14・11・2歳。だいぶ遅咲きだったのか。71歳で子ども…。

戸主の弟の林(兄は山で弟は林…)は59歳、妻は42歳。子は7人で、上は30歳、下は3歳。前妻や妾がいたとは載っていないが、この通りだとすると、妻は12歳(数え年)で子どもを産んでいる。

林の嫡子の衣手は30歳、妻は19歳。8歳の息子がいる!この通りだと、年齢制限以前の11歳で子どもを産んでいることになるのだが…⁉(大宝律令ができる前なので、問題はないのか。でも、今の年齢だと10歳で子供産んでいることになるのだが(◎_◎;))今津勝起氏は、『戸籍が語る古代の家族』で、おそらく前妻の子だろう、としている。

秦人小咋

戸主の小咋は60歳、妻は45歳。子は4人で、上は20歳、下は9歳。

戸主の同党の佐目は36歳、妻は34歳。

秦人都々弥

戸主の都々弥は68歳、妻は45歳。上は43歳、下は9歳。亡くなった妻がいたとは書かれていないが、2歳で子どもが産めるわけが無いので、おそらく嫡子は前妻の子だろう。43歳の嫡子以外の子どもは、13・11・9歳なので、こちらが現在の妻の子だろう。

嫡子は加良比(とあるが、戸籍ではその後ずっと辛人、と書かれている(;^_^A)、43歳(兵士)。妻は35歳(名前は麻理。今でも十分いそう)。8歳の男子、2歳の女子がいる。

戸主の弟の也呂は61歳、妻は50歳。子は4人で、上は25歳、下は16歳。

不破勝族金麻呂

戸主の金麻呂は62歳、妻は60歳。子は5人で、上は30歳、下は17歳。

戸主の弟の阿手良は53歳、妻は42歳。亡くなった妻がいた。子は8人で、上は25歳(兵士)、下は2歳。亡くなった妻が産んだ1番目の娘の名前は多知波奈。「たちばな」と読むのか。3番目の娘の名前は真衣。今でも十分通用する名前。

この家には23歳の奴がいる。

秦人安麻呂

戸主の安麻呂は38歳。妻は34歳。子は7人で、上は15歳、下は1歳。

戸主の同党の所波は45歳、妻は42歳。子は7人で、上は20歳、下は3歳。

寄人小広は65歳、妻は57歳。子は4人で、上は30歳、下は15歳。

小広の嫡子の阿手良は30歳、妻は載っていないが、5歳の女子と2歳の男子がいる。

秦人知尓

戸主の知尓は58歳、妻も58歳。子は上は27・23・17歳。

嫡子の音速(名前がかっこいい[当て字だけど])は23歳。

寄人の古馬は26歳で兵士。

県主族身津

戸主の身津は77歳、妻は67歳。妾も67歳。しかし子はいない。

戸主の甥の大麻呂は35歳、妻(名前は麻理)も35歳。子は上は13・8・3歳。

もう1人の甥の目々手は38歳、妻も38歳。15・13・10歳の男子がいる。

寄人勝猪手は52歳、妻は41歳。子は9人もいて、上は24歳、下は1歳。嫡子の身麻呂は兵士。

県主族稲寸

戸主の稲寸は55歳、妻は34歳。亡くなった妻がいた。子は6人で、上は33歳、下は1歳。男子の年齢が33・22・3・1歳となっているので、3・1歳の子が後妻の子だろう。

嫡子の大麻呂は33歳、妻は32歳。子は5人で、上は11歳、下は2歳。

最高齢は戸主の母の82歳!

県造紫

戸主の紫は30歳、妻は22歳。子はまだいない。

戸主の弟の功志は18歳、妻は20歳。6歳の息子がいる(!)。現在だと11歳と13歳くらいで結婚したことになる…。

戸主の弟の味当は16歳、妻は15歳。

寄人の田原部小山は42歳、妻は44歳。この妻の下の段には、亡夫の娘(13・9歳)が書かれている。

この家には戸主に25歳の奴、弟の大鳥に7歳の婢、戸主の妻に17歳の婢がいる。

県主古麻呂

戸主の古麻呂は48歳、妻は42歳。子は10人もいる。子は上は25歳、下は3歳。嫡子の名前は音速、弟は小速である。

戸主の同党の荒海は59歳(久漏、残疾)、妻は44歳。子は4人、上は25歳、下は1歳。嫡子の黒麻呂は25歳で兵士。

秦人桑手

戸主の桑手は47歳、妻は42歳。子は5人。上は20歳、下は7歳。

嫡子の波加西は20歳、妻は16歳。妻の名前は「加穂」。

戸主の弟の諸弟は42歳、妻は34歳。子は3人。10・3・2歳。

戸主の弟の根猪は37歳、妻は33歳。子は4人。上は8歳、下は3歳。

戸主の弟の己乃弥は28歳で兵士。妻は載っていないが、7歳の娘がいる。

秦人阿波

戸主の阿波は69歳、妻は載っていない。子は6人、33・13・11・8・5・2歳と大きく違うので、亡き前妻の子と亡き後妻の子か?

戸主の甥の小人は57歳、妻は54歳。子は5人。上は30歳、下は17歳。

戸主の甥の志比は49歳、妻は22歳。子は8人。上は22歳、下は3歳。0歳で産めるわけがないので明らかな後妻。年齢も大きく離れているし。嫡子の牛麻呂は22歳で兵士。20歳の妻がいる。

不破勝族吉麻呂(従7位下)

戸主の吉麻呂は58歳、妻は52歳。子は11人もいる。上は35歳、下は11歳。

嫡子の豊麻呂は31歳、妻は35歳。子はいない。

☆戸籍を見て驚く点

①高齢出産

厚生労働省によると、2018年、日本で40代女性の出産数は100人につき6人なのに対し、30代女性の場合は100人につき76人もあります。

出産数の全体に占める割合を見ても、40歳以上の女性は約5.8%と、意外とけっこうあります(◎_◎;)が、30代の場合は全体の59%を占めていますので、大きな違いがあります。

40代での出産はなぜ少ないかというと、

①流産率が高まる(約4倍)、②妊婦が死亡するリスクが高まる(約5倍)、③難産になりやすい、といったことが挙げられます(40代の出産は高リスク?高齢出産における5大リスクとその対処法)。

40歳は100人に2人が出産している(!)というかなりの高い割合なのですが、45歳になると1千人に1人に、49歳になると1万人に1人と割合が低下していきます(それでも49歳で1万人に1人というのは多い!)。

2018年のデータでは、45~49歳の女性が産んだ子供の数は1659人もいます(全体の約0.2%)。

一方で、1925年では、40代女性は100人につき43人を産んでいます(これはマラウイ・リベリア・サモアなどの国々の2008~2011年の記録とほぼ同じだそうです)(ちなみに1925年の20代女性は100人で243人、30代女性は100人で198人を産んでいます)。

細かく見てみると、40歳は100人で12人を出産、45歳は100人に2人、49歳は100人に1.7人が出産しています(!)。

50歳以上のデータは載っていませんが、このペースで行くと50代での出産もけっこうあったのではないでしょうか💦

45~49歳が産んだ子供の数は、19338人にもなります(全体の0.9%)。

1925年の45~49歳女性は、10万人につき6354人を産んでいるので、10万人につき180人である2018年の45~49歳女性よりも、出産する可能性が35倍も高かったということになります(しかし、40代女性が産んだ子どもの全体に占める割合は、全体の約6.6%と、現在の約5.8%と比べて、微増にとどまっており、40代以上で産む割合は今より35倍も高かったといっても、やはり40代で出産することが主流であったわけではありません)。

さて、では古代ではどうだったのでしょうか。

戸籍を見ると、50歳以上の女性が62人いるのですが、なんと、そのうち25人が40代で出産しているのですね(◎_◎;)

また、このうち9人が40代後半で出産しています。

最も高齢で出産しているのは県主族安麻呂の妻、県主族古と、秦人部身津の妻、秦人大津で、2人はなんと51歳(現在の50歳)で出産しています(◎_◎;)

今津勝紀氏は「末子出産時51、誤記か再婚か」と記しているのですが、日本人女性の兵系の平均年齢は50.5歳とのことで、十分にあり得るのではないかな、と思います(゜-゜)

(秦人大津の場合は、2人子どもを産んでいるのだが、1人目が27歳の時に産んだ子で、もう1人は51歳の時なので、出産間隔が離れすぎており、誤記の可能性はある)

ちなみに歴史上の有名人物の妻で高齢出産している例をいくつか挙げると、

・福沢諭吉の妻は38歳で9人目の子を産んでいる。

・マリア・テレジアは39歳で16人目の子を産んでいる。

・バッハの妻は41歳で13人目の子を産んでいる。

与謝野晶子は41歳の時12人目の子を産んでいる。

・伊達政宗の妻は41歳の時に末子を産んでいる。

藤原道長の妻、倫子は43歳で最後の出産をしている。

渋沢栄一の妻、兼子は44歳で最後の出産をしている。

・戦国武将・中川秀成の妻・佐久間虎姫は46歳の時、出産がもとで亡くなっている。

…ということになります。

また、高齢出産(正常分娩)のギネス記録は、57歳のアメリカ女性だそうです。

②若年出産

2020年の日本で、15歳での出産は0.02%、1万人に2人は出産しているという計算になります。意外とありますね(◎_◎;)

戦前はどうだったかというと、1925年は0.6%、つまり1千人に6人(1万人に60人)は出産していました(!)。これは今の19歳・36歳の割合とほぼ同じです。

半布里の場合は、49人が10代での出産を経験しています。

これは多いのか少ないのかというと、半布里で出産の経験がある女性が166人なので、約30%は10代で出産しているという事になり、2022年のデータでは、10代で初産の経験がある女性は1.1%となっているので、現在と比べてすさまじく高いことがわかります(◎_◎;)

さらにすごいのは、10代で出産を経験している49人のうち15人は、15歳未満で出産しているという事です💦

その中でも最も低い年齢で出産しているのは、衣手の妻の秦人太志で、なんと11歳(現在だと10歳)で出産しています(!)。

10歳で出産は可能なのでしょうか??

調べてみると、女性が初潮を迎えるのは、10~15歳とあるので、不可能ではないようですね…💦

他にも、半布里では、奈尓毛・林の妻、秦人和良比・荒海の妻、秦人波伎自の3人が12歳(現在の11歳)で出産しています。

ちなみに大河ドラマの主人公にもなった前田利家の妻、まつは12歳(11歳11か月)で第一子を出産しています。

これを見ても10歳出産は十分あり得たのではないか、と思いますね(゜-゜)

2021年にはイギリスで11歳が、2022年にはブラジルで同じく11歳が出産した、ということがニュースにもなっていました。

また、ギネスブックには、5歳7か月で出産した女の子がいたと記されています(!)。

③夫婦の年齢差

最も年齢差が大きい夫婦は、秦人阿波の甥の志比・49歳とその妻・22歳で、年齢差は27歳になります。

秦人山は、73歳で、妻は47歳ですので、年齢差が26歳あるのですが、山は妾も持っており、その年齢が27歳なので、なんと年齢差は46歳もあった事になります💦山は2歳の子がいますので、つまり71歳で子を成したことになります(◎_◎;)

徳川家康は64歳で(側室は35歳差)、渋沢栄一は68歳で最後の子を成しているので、この2人を上回っていることになりますね💦

近年の有名人では、歌舞伎俳優の中村富十郎(1929~2011年)さんが74歳の時に長女が生まれているそうです。

インドでは2012年に96歳の男性に子が生まれています(妻は52歳。これもすごい)。

また、基本、夫の方が年上の場合が多いのですが、その中で際立っているのが、県主万徳の寄人・石上部根猪で、根猪は35歳なのですが、妻はなんと59歳!なのですね💦

④一夫多妻

古代は妾(正妻以外の妻)を持っていても良かったのですが、半布里において、妾を持っているのはわずか7例しかありません。

120組の夫婦があるので、割合にするとわずか5.8%しかありません。

妾を持つ、という事は相当に特殊な例であったようですね(゜-゜)

だいたいは妻は1人で、妻が亡くなった後に再婚する、という場合が多いですね。

そんな中で目立つのは、県主族安麻呂で、妾が2人もいます(それ以外はすべて1人)。安麻呂は60歳で、妻は57歳、妾は38歳と24歳です。一番下に3歳の息子がいるのですが、これは年齢差から見て妻の子と見るのは難しく、おそらく妾のどちらかの子でしょうね(;^_^A

ちなみに、律令において妾についての規定は戸婚律逸文に1条あるのみで、そこには、

「妻を妾に変更してはならない。また、婢を妻としてはならない。これに違反した者は徒刑1年。妾や官戸の女性を妻としたり、婢を妾とした場合は、徒刑1年半。婢に子があり、この子が自由にされて良民となった後ならば、妾にすることを許す」

…とありますので、妻と妾の立場ははっきり分けられていたようです(が、妻と妾の産んだ男子は、区別されなかったようです)。

⑤高齢化率

2023年の日本の65歳以上の割合は、29.1%でした。

では、1300年前の半布里の場合はどうだったのでしょうか?

半布里の人口は1119人なのですが、そのうち65歳以上は31人(男:13人、女:18人)です。

割合にすると約2.8%、ということになりますね(◎_◎;)

ちなみに100年前の1920年の日本では、高齢化率は5.3%だったそうです。

つまり、高齢化率は1200年かけて約2倍になり、そこから100年で6倍となったわけですね。すさまじい高齢化…。

半布里の高齢者の中身を詳しく見てみると、

65~69歳は男:5人、女:8人の計13人、

70~74歳は男:5人、女:6人の計11人、

75~79歳は男:1人、女:0人の計1人、

80~84歳は男:1人、女:3人の計4人、

85~89歳は男:1人、女:0人の計1人、

90~94歳は男:0人、女:1人の計1人…ということになります。

75歳以上になると途端に人口が減少しますね…。

男で最高齢は秦人古都の86歳(現在の85歳)です。戸籍を見ると19歳の娘がいるので、67歳で子を成していることがわかります。

女で最高齢は県主族都野の母、若帯部母里の93歳(現在の92歳)です。都野を産んだのは49歳です。

⑥最も多い名前は??

戸籍を見ていると、同じ名前が何度も登場することに気づきます。

それを集計すると、以下のようになります。

男:1位…安麻呂 17人 2位…古麻呂 14人 3位…大麻呂・小人 9人 

女:1位…古 21人 2位…刀自 15人 3位…都 12人 4位…古刀自 9人

「安麻呂」といえば、同時期に活躍した、古事記の編者である太安麻呂(安万侶)(?~723年)や歌人の大伴安麻呂(?~714年)がいますね。当時のトレンドだったのでしょう。

2位の古麻呂は、同じ「こまろ」という読み方をする「小麻呂」の人数も加えると、14+5人で19人となり、1位に躍り出ます。

当時は農民たちも漢字を考えて名づけていたわけではないでしょうから、「古麻呂」も「小麻呂」も一緒に扱ってもいいのかな、と思います(゜-゜)

農民たちも「麻呂」がつく名前を付けていたのにはびっくりですね(◎_◎;)

女性1位の「古」は、男性2位の「古麻呂」の女性版でしょうね。

他にも大古・小古といった派生パターンもあります。

2位の「刀自」は当時、全国的に多く見られた名前だったようです。後に、「刀自」は年配の女性や、主婦を指すようにもなったそうです。

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