今回の主人公、新田義重はとてもすごい人なんですよねぇ。
父(源義国)とともに新田郡(群馬県南西部、現在の太田市、みどり市、伊勢崎市周辺。旧脇屋村を含む。脇屋といえば、あの新田義貞の弟、脇屋義助ですね!!😤)の開拓に乗り出し、
新田荘を作り、
北関東のリーダー的立場となった人物であり、
そのプライドもあったのか、
または、あの源義家の孫にあたり、
一方の源頼朝は孫の孫(なんでこんなに差があるんだ…😓
源義国は義家が52歳の時の子どもだからか(;^_^A
ちなみに源義国の弟の義隆は長生きで、
なんと平治の乱で源義朝と共に出陣し😱、
逃げる義朝をかばって死んだという)にあたり、
自分のほうが義家に近いというプライドもあったのか、
源頼朝が挙兵してもなかなかすぐに従おうとしはしなかった人物であります。
源頼朝としても、佐竹・武田と同じように
源氏内の主導権争いの有力なライバルという意識があり、
危険視していたと思われます。
では、今回はその2人の関係や、その変化がうかがえる、
吾妻鏡のエピソードを紹介しようと思います😁
※ちなみに新田義重は長生きして源頼朝の死んだ3年後に88歳?67歳?で
亡くなったといわれています。
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