社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 軍人は政治に関わるべきではない~河合栄治郎『ファッシズム批判』

2024年5月16日木曜日

軍人は政治に関わるべきではない~河合栄治郎『ファッシズム批判』

 朝ドラ『虎に翼』31話で帝大経済学部教授・落合洋三郎が登場しました。

その著書が「安寧秩序を妨害」する疑いがあると起訴された落合を、雲野六郎が弁護し、第一審を無罪判決に導く…というものでしたが、

この落合洋三郎のモデルとされる人物が、河合栄治郎なのですね(名前もかなり似ている)。

河合栄治郎は、1926年から東京帝国大学経済学部教授となっていますから、ドラマで肩書きと同じですし、起訴されるもととなった著書が6冊出てきましたが、書の書名は河合栄治郎が書いたものとほぼ同じでした。

今回は、この河合栄治郎が書き、発禁処分を受け、裁判の対象となった『ファッシズム批判』について見ていこうと思います🔥

※マンガの後に補足・解説を載せています♪

●軍人の政治参加を痛烈に批判

河合栄治郎は『ファッシズム批判』を書いた理由について、「昨年(1933年)に帰朝してから、…2箇月病床に閉じ籠められている間に、日本の将来に就いて色々のことを考えさせられた」「日本がファッショ的に転回しつつあることは…悲しむべきことだと思われた」ためだ、と冒頭に書いています。

「ファッショ」とはファシズム、また、ファシズム的な傾向を示すことです。

ファシズムとは何でしょうか?

河合栄治郎は1938年の『ファッシズム論』にて次のように言っています。

「ファッシズムの特質として、我々は次の4点をあげることが出来る。即ち、

第一、国家主義をとること。

第二、独裁主義、即ち反議会主義をとること。

第三、反資本主義をとること。

第四、その負担者が中産階級なること。」

この中の国家主義・独裁主義について説明します。

①国家主義

「国家主義とは国家という全体を以て最高の価値あるものとする主義をいう。これと対立するものが個人主義である。…個人主義は個人を以て最大の価値あるもの、即ち価値の根源となし、個人以外のもの(例えば、国家でも)は個人の為の派生的なものとするに対し、国家主義は国家を価値の根源となし、国家以外のもの(例えば個人をも)は、国家の為の派生的なものとするのである。」

また、河合栄治郎は、『ファッシズム批判』で国家主義について次のようにも説明しています。

「国家主義とは、国家を以て第一義的に終局的に価値あるものとして、他の一切のものは之に従属し、国家の手段として役立った場合にのみ、その価値を認めるに過ぎない思想を云う

②独裁主義(反議会主義)

議会主義とは『ファッシズム批判』によると、「国民の意志を問い、その多数の意志によって政治を行うこと」ですが、独裁主義は、国民の意志を問うことなく、1人(もしくは一握りのグループ)の意志によって政治を行うことになります。

なぜ議会主義を無視しようとするのかというと、河合栄治郎は『ファッシズム論』でドイツの例を挙げて次のように説明しています。

「ドイツに於ては」「戦後重大なる政務山積している時に」「1918ー1933年の間に20余の内閣が更迭した」「これが議会政治に対する失望を起した」

議会政治に対する失望が独裁主義の台頭を生むというのですね。

では、日本ではなぜ議会政治に対する失望が生まれたのでしょうか。

河合栄治郎は『ファッシズム批判』で、当時の日本に次のような社会的不安があった、と説明しています。

富は少数の大資本家に集中されて、社会は之等少数者に左右せられ、⋯中産階級は⋯下層に没落しつつあり、新階級たるべき学窓の青年は就職難に苦しみ、労働者階級はその賃銀の低額なることと、その労働時間の長いことと、衣食住の消費生活の苦しいことと、何よりも解雇失業の普段の脅威に曝されている」

日本は1914~1918年の第一次世界大戦中は大戦景気に沸いていましたが、その後は戦後恐慌(1920年)、震災恐慌(1923年)、金融恐慌(1927年)、昭和恐慌(1930年)とたてつづけに恐慌が発生し、国民は生活に苦しんでいました。

しかし「議会政治家は」「非常時状勢の根本的対策を示」すことができませんでした。

国民が議会政治家に代わる存在として期待したのが軍部でした。

軍部は閉塞的な状況を打開するために、1931年に満州事変を起こし、満州(中国北東部)を得ることに成功します。

その後、日本は「満州事変勃発以後最近1・2年間は、…社会的不安の声を減じたように見える。日満経済ブロックや軍需工業の繁栄や円為替安による輸出の増進や、多少のインフレ景気は、夫々何等かの湿(うるお)いを各階級に投じたに相違あるまい」という状況となったこともあり、軍部の台頭が進むことになりました。

しかし、当時の日本人の50%は農民でした(『ファッシズム批判』)が、好景気の恩恵は農村には及ばず、1935年10月に至っても、岩手県では欠食児童(昼食に弁当を持参できない児童)が5万人を超すか、と言われるような状況でした。

そこで、農村出身の軍人の中には、「革命独裁主義を真剣に唱えるものが出て来」るようになります。

革命独裁主義について、河合栄治郎は「少数の者が国民多数の意志如何を問わず、自己の是なりとする改革を強行せんとするもの」と説明しています。

具体的には、二・二六事件において、決起した軍人たちは「奸臣軍賊を斬除」(『決起趣意書』)…つまり、自分たちの意に沿わない大臣や軍の上層部の者などを殺害して、自分たちに都合の良い軍の人物による内閣を作ろうと考えていました。

これについて河合栄治郎は「その人の思想が何であり、その人の網領が何であるか少しも知られていない人物が、突如として現われて6千万の国民の運命を左右するかも知れない。而して国民は之に就いて一言も挿む余地ない立場に置かれている。誠に奇怪なる政治的状勢である」此の場合に於て国民の意志は唯無視され蹂躙されているのである「力を以て始まる政府は力を以て続」くことになる、つまり「強権」的で国民を「抑圧」する政治が行われることになる、と述べて国民の意志に基づかない革命主義に警鐘を鳴らします。

河合栄治郎はまた、革命主義の者たちが政権を取った場合にどのような抑圧が行われるかについて、次のように述べています。

「国内の思想を機械的に統一するために言論を圧迫し、能率を発揮するために多衆代表制度を無視する」「国家を批判することはありえず、国家の為すあらゆることは、そのまま承認し服従せざるを得なくなる」「領土の拡張や貿易の増加や軍隊の人数や軍艦の噸(トン)数のみが重要視されて、学問や芸術や宗教や之等の文化は軽視され」、「吾々各人は之が為に生き之が為に死し、之が手段として生き死ぬことによって吾々の存在価値が与えられる」ようになる…。

そしてその行きつくところは戦争だ、と河合栄治郎は言います。

「1932年ムソリニー(ムッソリーニ)は云った、「ファッシズムは平和主義の学説を排撃する…唯戦争のみが、一切の人間的精力を最高の緊張にまで引き上げ、それに突進する勇気ある人民に、高貴の印象を刻する」」。

すごい言葉ですね…💦

河合栄治郎が「国家主義は国家以上の価値を認めない。故に…国家を拘束するところの他国の利害、国際道徳、国際法等を認めないのである」と言うように、ファッシズムは自国を第一に考え「外国と対抗することを重要視」しますから、外国と対立します。外国との対立は外交で解決すればよいのですが、自国のことしか考えないので、これを戦争で解決しようとするのですね(現在のどこかの国と一緒ですね)。

そして戦争となると、「多数の生命と超巨額の財貨と夥しき生活の困苦を伴う。⋯戦時に国家は外国と交通のない卦鎖経済を甘んじねばならないから、在来の産業のあるものは倒壊し、市場は狭隘となって需要は減少し、巨額の軍事費を支弁するために税率は高められる。⋯中間階級はさらでだに抵抗能力の乏しいのに、此の負担を加えられて、其の没落が促さる。⋯物価騰貴となり、労働者の賃銀はたとえ増加したとしても、生活資料の高価によって実質的には低落する。のみならず戦時中は非常時の名の下に、彼等の労働条件改善は阻止されるだろうから、労働条件の向上は限界付けられる。」「予算の大部分は軍事費に投ぜられ.戦争と関係なき経費は延期される。」という最悪の状況をもたらすことになる…。

また、河合栄治郎は次のようにも予想しています。

日本を中心とする極東の戦争が仮定されるならば、その戦乱の広範囲なること、引続き諸国の渦中に捲き込まれる可能性の多いこと、その期間の長期に亙る危険性のあること、決定的の勝敗の困難なることに於て、我が国は歴史上空前の難関に逢着し、その惨害の著しき吾人をして疎然たらしめるものがある。

だから河合栄治郎は冒頭で述べたように、「日本がファッショ的に転回しつつあることは…悲しむべきことだと思」ったのです。

だから、河合栄治郎は日本がファシズムの国家にならないようにしなければならない、と考えます。

当時、ファシズムをめざす主体の勢力となっていたのは軍部でした。

そこで、河合栄治郎は「軍部が独自の対策を提げて自ら実行の衝に当たるとするならば、遺憾ながら反対せざるを得ない」と「軍部が政治の中心勢力となって、その政策を行なうことに反対」します。

『ファッシズム批判』にはその理由が次のように述べられています。

・軍人にとって軍事が専門であり、国民はこれを絶対に信頼している。しかし、この専門に精進すれば、社会的不安を検討しその対策を講ずる余裕はないはずである。余暇を以て為すには問題は余りに複雑だからである。もし軍部の中に社会問題の専門家があるとすれば、現在の軍部はかほどの過剰冗員を有するものと思ねばならない。

・軍人は軍事的立場に立って社会的不安を克服しようとするだろう。⋯その「解決に着手するならば、当然に生産力本位、能率本位に立つだろう。結局その被害者は弱者たる労働者階緑とならざるをえない。之こそが正に私の反対せんとする所なのである。軍的目的の為に力を総動員すれば、戦時経済、軍事経済となるが、臨時的なものであって、社会的不安の根本的解決にならない。社会不安は臨時非常に解決すべきものではなくて、永久的の解決を為さねばならない。

・軍人が政治にあたって失敗すれば、国民は軍人に不信を持つ。これは日本の国防の遺憾な結果となる。数年前軍人が不人気であったのは、軍人出身の藩閥政治家に対する反感が軍人全体に及んだもので、再び旧時の覆轍を踏まざらんことを祈る。

・私は軍部に毫も反感を持たず、祖国に対する熱情に尊教も感謝もするが、軍事の専門領域を固守されんことを切望する。

・もし軍部が欲する対策の政党がないと思うならば、自己の欲する新政党を樹立すべきである。⋯かかる新政党の出現は、世界観を持たざる既成政党と対立して、日本の政党史上に一転機を画するだろう。

・社会的不安の解決は武人ではなく、文人政治家によってなされるべきである。人々の公共へ奉仕するの路は、その各々の職分によって異ならねばなるまい。然し武人生を捨てるの覚悟を持つ時に於て、文人政治家亦一身を賭するの決意がなければならない。

…つまり、軍人は軍事に専念すべきである、軍人が政治を行なおうとすると軍人的思考に基づいて効率を重視した政治を行うことになるので、特に労働者が被害を受けることになる、政治に関わりたいならば、軍部が支持する者たちに新政党を作らせるか、軍人をやめて政治家となるべきである…というのですね。


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