※マンガの後に補足・解説を載せています♪
1890年
・昨夜籠手田知事の使者が、珍しい形の箱に入れて籠手田令嬢からの贈り物(ウグイス)を拙宅に持参しました。
小泉八雲はウグイスについて「「法華経」と唄う功徳により…(さまざまな)善い性質を与えられているはずで」ある、その中でも言語についての善い性質が与えられていると信じたい、その声が「絶美」だから、と言っています。
・1月21日…貴君の訪問、多謝々々。たとい短い訪問でも、私にとってはいつも良薬です。
八雲はこの頃体調を崩していました。
・1月23日…私の親愛なる西田様ーー貴君の親切は実に至れり尽くせりです!
早くも八雲の信頼を勝ち得ている西田千太郎。
・御子供様のために少しばかり餅を差し上げます。
・今日三年級へ始めて書取の課業をやってみました。私はただ詩を書き取らせるのです。ロングフェロー訳の『母の幽霊』と題するノルウェーの美しい小さな物語の詩をやり出したのです。生徒はこれを好いたように見受けられました。…生徒はいつも極めて善良ですーー尤も下級で書取の際、生徒悉くに書かせるという点に、幾分困難を感ずるのですが、しかし私共は日を追って親密になって行きます。もし私が現在、授業をすることが出来なかったら、私は非常に悲観することでしょう。授業は私に取って、ますます愉快と慰藉(※なぐさめ)になりつつあるのです。
その後、八雲は八橋(やばせ。鳥取県琴浦町)に旅に出ます。この旅には結婚したばかりの妻のセツも同行していました。新婚旅行的な旅であったようです😄八橋について、八雲は「水泳には最上の場所です」と西田への手紙に書いています。「鳥取中部癒しの旅紀行」のサイトには、八橋海岸について、「小泉八雲も感嘆した白い砂浜、エメラルドグリーンの海は絶景。以前は海水浴シーズンには大勢の家族連れや若者で賑わっていましたが、現在は海水浴場は開設されていません。冬には、上空に数百羽のウミネコが優雅に飛んでいる姿を見ることができます。小泉八雲が海水浴をした場所であることは有名ですが、当時(明治24年)日本人は海水浴をする習慣がなかったため、見物客がたくさんいたといわれています」とあります。
・1891年8月 八橋にて 私は諸所の眠そうな小さい海村で、楽しい時日を過ごしています――寝て、食べて、酒を飲んで、遊泳をして。ここで逗留した場所のうちでは、八橋は殆ど一番愉快な所です。…盆踊りを見るため、徒歩で行った大塚(逢束[おおつか]。八橋駅から約3㎞離れていて、徒歩で40分ほど)では、特殊な冒険に出逢いました。大塚は乱暴な土地らしいのです。人民は退しく騒々しい田合漢で、酒に酔うと、悪戯を演じ勝ちです。彼等は外国人を見るために踊りを中止し、外国人は群集の圧迫を脱して、或る家に避難しました。そこで床に座って喫煙していると、群集は家の内外へやってきて、珍らしい文句を言って、外国人に砂を投げ、水をかけたのです。そこで、外国人と伴われ立って来た八橋の人達は、蹶然猛烈に反抗しました。して、私共は一同八橋へ引上げました。八橋では、巡査と数名の有力者達は、大塚の人民の無礼な振舞いに対して、私に大いに詫びを入れました。実際私はかくまで世話を続いてもらって、恥じ入るばかりでした。して私は大いに歓待を受け、巡査は私に何でも相談或は助力を要することがあれば、唯だ言ってよこせばよいと告げました(大塚の人民の乱暴は、実際極めて子供らしいことで、騒ぎ立てるほどでもなかったのです――西洋の群集ならば、石や腐れ卵を投じたのでしょう。私は群集が果たして実際些少なりとも敵意を含んでいたか、どうか、判然知りません。彼等は外国人の動くのを見たかったのだと、私は寧ろ考えます。――檻中の獣のように――だから、彼等は彼を起ち上がらせやうと試みたのです)。明日私は美保の関を経て松江へ帰ります――実際八橋を去るのは惜しい心持ちがします。村民は何とも云えないほど親切で、正直で、率直です。また私は数名の知人を得ました。――ここの日蓮宗の寺院では、美しい御符を手に入れました。
・私は鶯を貴君に贈呈しようと思います。この鶯は毛替わりをしたので、その新しい着物は綺麗です。彼はまだ病気に罹ったこともなく、あまり御面倒をかけることはありますまい。もしお困りの場合は、彼を愛し、彼をよく世話してくれる人にお遣わし下さい。もう暫くすると、また唄いだすでしょう。杵築に関する私の最初の論文は、大部分数箇月の中に印刷されるでしょう。貴君の名も、…その中に現われているから、貴君は御覧になることを愉快に感じなさるでしょう。必らず一冊をお送り致します。私の小さな洋燈(ランプ)をも差し上げます。それは大した価値のものではありませんが、燈光がよく輝らします。また、記念にもなるでしょう。…私は鶯が貴君のお気に入ることと信ぜざるを得ません。その恵与者なる彼女は、貴君も私も共に尊敬し、愛好していた人です――それは知事の親切な家族の楽しき記念となるでしょう。
籠手田知事の娘からもらったウグイスを「ばけばけ」では籠から外に逃がしていましたが、実際は西田に贈っていたことがわかります。
1891年11月、八雲は熊本の第五高等中学校に転任し、西田と離れることになりますが、かなりの量の手紙をやりとりすることになります。
・今日芳書を欣然拝見しました。丁度昨日ここへ到着した私の料理人が、松江は頗る寒かったと申したので、私は心配し始めていました。烈しい気候が貴君に寒冒を惹き起こしはしないかと、恐れたのです。貴君が御用心なされているのを私は大いに欣びます…。今では稍や熊本にも馴れた気分になりましたが、日本で私が行ったことのある中では、最も殺風景な都市です。郊外の飽田郡にある加藤清正の有名な神社と佛閣(加藤社と本妙寺)は、訪ねる価値があります。市には兵士が一杯います。品物は高価且つ拙悪。よいのは絹布だけ。全くここは綺麗な絹の場所で、値段も松江よりは安いのです。しかし漆器、陶器、或は青銅器の方面には、立派なものはなく、掛物も、骨董店もないのです。ここの天候は奇異で――桑港(サンフランシスコ)の北数百里に当たる太平洋斜地の天候に似た感があります。夜間と朝は寒冷で、満地暁霜(地面いっぱいに、霜が降りている)に白く、山々に靄(もや)がかかっていますが、真昼頃になると、暖かくなって、午後には暑い位。それから、日没後また寒くなります。(校長の)嘉納(治五郎。柔道の父、日本の体育の父。)氏は、譲遜にも、(嘉納)氏よりも外に、もっと英語を話すことのうまい数員が居ると私に云いましたが、実際は居ないのです(※治五郎は12歳の時から英語を学び始め、14歳の時には官立外国語学校[後の東京外国語大学]に入学している)。私の知っている如何なる日本人よりも、英語を話すこと、書くこと共に、一層上手です。しかし、京都から来た佐久間(信恭)氏というのは、文学的英語について稀に見る知識を有し、博識で、蔵書家で、古代英語と中世英語の専攻者で、英文学及び文典などを教えています。大澤氏[と私は思う]が第二席の英語教師です。私一個人としては、(大澤)氏が最も好きです。氏は貴君と同じく、他人に対する行届いた思いやりの念を有っています。それは何処でも、なかなか容易に得難い性質です。氏は佛語を話します。若くて、沈黙の教頭櫻井氏も佛語を話します。丁度すべての教師が、英語を話します――巨髯を蓄え、ソクラティースの如き頭を有する、愉快な漢学の老教師(秋月胤永)の外は。丁度片山(尚綗)氏を一見して好きになったように、私はすぐにこの漢学者が好きになったのです。漢学には人を温雅ならしめる力が存するのか知らんと思う。多分斯学講究に際して、始終必要な忍耐と、これに伴なえる美的情操が、かように人品を変えるのでしょう。しかし私は教員達について、多くのことは知りませぬ。私はお早うとか、今晩はとかいって、私の席隅に坐って、煙草を吸っているのです。今日までの所、彼等は皆温和で、丁寧に見受けられます。私は彼等と楽しく暮らして行けると思うのです。しかしその中の誰れに対しても、私が貴君と親しくなったようになることはあるまいと思います。実際ここには貴君のような人は一人もなくーー十分間の休憩に雑談もなくーー珍聞の報告もなくーー計画や発見事件もないのです。私は貴君の恵賜品なる、蟬と蜻蜒(やんま)の書かれた、美しい小さな茶盆を眺めーーして、玄関に貴君の声が聞こえたらばと、願うことが毎度あります⋯。
・私は余程丈夫になって、昨夏に比すれば、約二十斤(12㎏)も体重が殖えたのです。どういう理由によるか、はっきり分からないが、多分一日二食でなく、十分な三食を摂っているからでしょう。私の宅は松江で借りてるたものほど、大きくはありませぬ。私共は私と妻、料理人、車屋及びおよね(松江時代から八雲の下女として働く。「ばけばけ」では熊本生まれになっているが、実際は松江生まれだったのである)の五人家内です。およねが始めて来た時には余程可笑かったのです。[彼女は今市生れです]彼女の出雲訛りは誰れにもわからなかったが、今では彼女と車屋、両人共に言葉が通じます。ここの宿屋は非常に高いのです――少くとも或る宿屋は。私は四楽園を安いといって、賞賛する訳には行きませぬ。茶代を合わせて、六日半の宿料に二十四円を支払いました。もう懲り懲りです。…日本人の敏腕な教師は、非常に働きます。目下私の受持の或る一二の級には、英語課業の準備を与えてくれる教師がないのです。私はその訳を知っています。外人教師の主要な役目は、アクセントと会話の習慣を数えることです。しかし次の時代になるまでに、英語のために外人教師を雇うことは、殆んど無くなるだろうと、私は想像します――高等な諸学校と特殊の目的以外には。完全にうまく英語を話す日本人教師が、幾千人もいるやうになるでしょう。私は貴君が新校長たらんことを希望します。追伸。節子が是非貴君に告げるようにと申します。それは当市の車屋は鬼だから、雇うときに注意せねばならぬということ、だから、貴君が気候がよくなってから当地へ御来遊の節、東京に於けると同様御注意なさらねばならぬこと、また家賃も高いということです。私の家賃は十一円です。
