今日(9月4日)の「鎌倉殿の13人」も面白かったですね💦
さらに不穏な雰囲気がただよっていますが、
今回は、畠山重忠に関するエピソードを書いてみました。
※マンガの後に補足・解説を載せています。
〇奥州合戦
源頼朝は源義経をかくまっていた奥州藤原氏を倒すために
1189年7月19日、鎌倉を出発します。
部隊は3つに分け、頼朝は下野→岩代方面、千葉常胤・八田知家は下総・常陸→磐城方面、比企能員・宇佐美実政は上野・越後→出羽方面を進みます。
藤原泰衡は阿津賀志山(厚樫山。標高289m)に防衛ラインを引きますが、
わずか3日で突破され、藤原泰衡は以後9月3日に家来に殺害されるまで
逃避行をつづけることになります。
源頼朝の進軍ルート |
さて、今回の話ですが、9月7日、戦後処理で陣岡に滞在していた
源頼朝のもとに、宇佐美実政と天野則景が「自分こそが由利維平を捕らえた」と
言い争ってやってくるところから始まります。
宇佐美実政は、伊豆の武士。早くから源頼朝に仕えて信任厚く、
頼朝の寝る場所を守る一人に選ばれます。
そして先ほど述べたように出羽方面の大将を任せられ、出羽を平定しますが、
そこで由利維平を捕らえるわけです。
由利といえば秋田県南部。つまり出羽ですからね。
一方の天野則景は、よくわかりません💦
名前からして天野遠景の一族とは思われます。
マンガに描いたように、正しかったのは宇佐美実政のほうで、
宇佐美はその後津軽奉行に任命されますが、
その後由利維平とともにある事件に遭遇することになりますが、
それについてもまたマンガで描こうと思います😣
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