今日(8月28日)の「鎌倉殿の13人」も面白かったですね💦
源頼家、殺されてしまいましたね…。そして善児までも…。
頼家はいろいろなことをやろうとするのですが、空回りしてしまった印象です。
源頼朝があと5年でも生きていてくれたら、また違った結末になっていたでしょう😥
そこで今回は、源頼家に関するエピソードを書いてみました。
※マンガの後に補足を載せています。
〇恋多き男・源頼家
鎌倉幕府第二代将軍・源頼家は、父・源頼朝と同じく、恋多き男だった。
妻としては4人が明らかになっている。
①若狭局
比企能員の娘。一幡を産む。
1203年の比企能員の変の際に、一幡と共に殺される(「吾妻鏡」では焼死だが、「愚管抄」では逃げ延びたが北条義時の命令で差し向けられた藤馬という者に一幡は殺されたとある)。
②辻殿
三河源氏・足助重長の娘。二男・善哉(公暁)を産む。
1210年に出家。
公暁はのちに1219年、3代将軍源実朝を暗殺した後、
三浦義村の命令で差し向けられた長尾定景によって殺された。
③一品房昌寛の娘
一品房昌寛は源頼朝のブレーンとして活躍した人物。
三男・栄実、四男・禅暁を産む。
1213年、栄実は泉親衡の乱の際に将軍として擁立されるが、
失敗して捕まる。翌年、和田氏の残党に擁立されようとしたが、
それを察知した幕府の手のものによって殺害された。
禅暁は源実朝暗殺にかかわっていたと難癖をつけられ、
1220年、殺害された。
④源義仲の娘
長女・竹御所を産む。
竹御所は1230年、28歳で12歳の第4代将軍藤原頼経と結婚するが、
1234年、難産の末の出産した子どもと共に亡くなった。
この他にも、1199年7月20日に、
安達景盛の妻が美しいと聞き、恋文を何度も送ったが返事がないので、
景盛に命令を与えて遠くに行かせている間に妻をムリヤリ奪った、
という事件が「吾妻鏡」に載せられている。
※マンガに出てくる「高麗寺」とは、朝鮮半島にあった国、
高麗の王族である高麗若光をまつった寺。
明治時代の廃仏毀釈によって破壊されてしまい、現存しない。
神奈川県の大磯町にあった。
「大磯町」は鎌倉から25㎞ほど西に行ったところにある町で、
車では40分ほどかかる位置にある。
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