新潮文庫『ろまん燈籠』(太宰治)を読んでいると、
その中の『鉄面皮』の中の一節が目にとまりました。
あぁ、自分の事だ…そっくり自分の事だ…と思いました(-_-;)
その部分を今回はマンガで紹介したいと思います💦
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇太宰治『鉄面皮』
『鉄面皮』は昭和18年(1943年)4月に発表されたもので、
太宰治(1909~1948年)が34歳の時の作品にあたります。
「鉄面皮」とは恥知らずで厚かましい様子…厚顔無恥な人のことをさします。
が、太宰治は「鉄面皮」とはほど遠い性格をしています。
「この頃私は、誰にでも底知れぬほど軽蔑されて至当だと思っている。芸術家というものは、それくらいで結構なんだ。人間としての偉さなんて、私には微塵(みじん)もない。偉い人間は、咄嗟(とっさ)にきっぱりと意志表示ができて、決して負けず、しくじらぬものらしい。私はいつでも口ごもり、ひどく誤解されて、たいてい負けて、そして深夜ひとり寝床の中で、ああ、あの時にはこう言いかえしてやればよかった、しまった、あの時、颯(さ)っと帰ってこればよかった、しまった、と後悔ほぞを噛(か)む[※1]の思いに眠れず転輾(てんてん)[※2]している有様なのだから、偉いどころか、最劣敗者とでもいうようなところだ。」
※1 後悔ほぞを噛む…自分の臍(へそ)を噛もうとしても届かないように、どうにもならないことを悔やむこと。
「春秋左氏伝」の「荘公六年」の「鄧国ヲ亡ボス者ハ、必ズ此ノ人ナラン。若シ早ク図ズンバ、後ニ君、斉(ほぞ)ヲ噬(か)マン。其レ之ヲ図ルニ及バンカ。之ヲ図ラントセバ、此レヲ時ト為ス、ト。」(鄧国を滅ぼすのは文王です。今のうちに手を打たねば、後でへそを噛むことになりますぞ(どうにもならなくなりますぞ)。手を打つなら、今この時です)に由来する故事成語。
※2 転輾…正しくは輾転。寝返りをうつ、という意味。
この文章、とても共感します。
自分は誰かに何かを聞かれて、(自信のある社会のこと以外で)うまく答えられた記憶がほどんどありません。
いつもあとで、「ああ言えばよかったのに」と思います。
うまく答えられないので、「あの人は頭が悪い」「にぶい」と思われているんだろうな…と思います。
なんだかバカにされてるようなものの言い方をされるときもあります。
理不尽なことを言われた時も、
うまく言い返すことができず、ストレスがたまります。
何年たっても、思い出すのです。
そのたびに、「あの時ああすれば」と思います。
後悔臍を噛む、なんですが。
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