社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 岩倉具視と床屋の話

2022年12月16日金曜日

岩倉具視と床屋の話

 日本人に人気があるのは戦国時代や幕末なんですが、

(でも幕末を扱った大河ドラマの視聴率はあまり良くない)

明治時代以降は、豊富な資料が残っていて、

歴史上の人物の人となりがよくわかるので、

私は明治時代以後も大好きなんですけどね(;'∀')

偏食良くない!

さて、今回は、岩倉具視に関するエピソードを、

『明治百話』(岩波文庫)から拾ってみました😆

※マンガの後に、補足・解説を載せています♪


〇散髪屋の登場

江戸時代までは、みんなちょんまげだったので、髪を切る(刈る)というよりは、

月代をそり、ちょんまげを結う、髪結いという仕事がありました。

月代は剃らないとすぐ生えてくるので、人々はかなり頻繁に床屋に行っていたので、床屋は一種の社交場になっていたようです。

明治時代になると、

明治4年(1871年)には「斬髪を許可する」(許可というよりは、斬髪を奨励する)という「断髪令」も出されて、

徐々にちょんまげの文化は無くなっていったのですが、

慣れ親しんだちょんまげをやめるのを嫌がる人も多かったようで、

『明治百話』には、

屋敷の者の斬髪を頼む、と言われて行ってみたら、

屋敷の者たちが「床屋を屋敷に入れるな、そうしないとみんなチョン切られる」とひどくいやがられた、というエピソードが載っています。

また、明治6年(1873年)3月、敦賀県(現在の福井県)で、断髪令に反対する3万人が散髪・洋装の撤廃を要求した一揆も発生しています(6人が騒乱罪で死刑)。 

しかし、散髪は徐々に普及していき、普及率は、明治5年10%、明治8年20%、明治10年40%、明治13年70%…と伸びていきました。

『明治百話』によれば、散髪を頼みに来る屋敷が非常に多く、

人力車に乗って屋敷と屋敷を駆け回っていたそうです。

〇日本の最初の散髪店

日本人による最初の散髪所は明治2年(1896年)、小倉虎吉という人によって開かれたそうです。

明治31年(1898年)8月7日の時事新報には、

「小倉虎吉率先して明治1、2年の頃、今の148番館即ち俚俗支那屋敷に散髪床を開き、神奈川県庁に出願して理髪営業鑑札48枚を受け、原、松本、竹原等と腕を揃えて専ら西洋流の散髪を始めたり。これを横浜における日本人散髪業者の元祖なり」

…と記されています。

散髪のやり方は、外国船に乗り込んで、西洋人の理髪師のやり方を何度も繰り返し見て覚えたんだそうな。

〇岩倉具視と床屋

『明治百話』によれば、

岩倉具視は「疳の高い」人物であったそうです。

「疳」とは、「癇癪(かんしゃく)」と同じ意味だそうで、

「ちょっとしたことにも興奮し、いらいらする性質・気持ち」(大辞泉)だそうです。

そのため、お付きの二人は、岩倉具視が「疳の高い恐ろしい人だったから、…いつもハラハラしているよう」だった、とあります。

大変ですね…(;^_^A


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