日本人に人気があるのは戦国時代や幕末なんですが、
(でも幕末を扱った大河ドラマの視聴率はあまり良くない)
明治時代以降は、豊富な資料が残っていて、
歴史上の人物の人となりがよくわかるので、
私は明治時代以後も大好きなんですけどね(;'∀')
偏食良くない!
さて、今回は、岩倉具視に関するエピソードを、
『明治百話』(岩波文庫)から拾ってみました😆
※マンガの後に、補足・解説を載せています♪
〇散髪屋の登場
江戸時代までは、みんなちょんまげだったので、髪を切る(刈る)というよりは、
月代をそり、ちょんまげを結う、髪結いという仕事がありました。
月代は剃らないとすぐ生えてくるので、人々はかなり頻繁に床屋に行っていたので、床屋は一種の社交場になっていたようです。
明治時代になると、
明治4年(1871年)には「斬髪を許可する」(許可というよりは、斬髪を奨励する)という「断髪令」も出されて、
徐々にちょんまげの文化は無くなっていったのですが、
慣れ親しんだちょんまげをやめるのを嫌がる人も多かったようで、
『明治百話』には、
屋敷の者の斬髪を頼む、と言われて行ってみたら、
屋敷の者たちが「床屋を屋敷に入れるな、そうしないとみんなチョン切られる」とひどくいやがられた、というエピソードが載っています。
また、明治6年(1873年)3月、敦賀県(現在の福井県)で、断髪令に反対する3万人が散髪・洋装の撤廃を要求した一揆も発生しています(6人が騒乱罪で死刑)。
しかし、散髪は徐々に普及していき、普及率は、明治5年10%、明治8年20%、明治10年40%、明治13年70%…と伸びていきました。
『明治百話』によれば、散髪を頼みに来る屋敷が非常に多く、
人力車に乗って屋敷と屋敷を駆け回っていたそうです。
〇日本の最初の散髪店
日本人による最初の散髪所は明治2年(1896年)、小倉虎吉という人によって開かれたそうです。
明治31年(1898年)8月7日の時事新報には、
「小倉虎吉率先して明治1、2年の頃、今の148番館即ち俚俗支那屋敷に散髪床を開き、神奈川県庁に出願して理髪営業鑑札48枚を受け、原、松本、竹原等と腕を揃えて専ら西洋流の散髪を始めたり。これを横浜における日本人散髪業者の元祖なり」
…と記されています。
散髪のやり方は、外国船に乗り込んで、西洋人の理髪師のやり方を何度も繰り返し見て覚えたんだそうな。
〇岩倉具視と床屋
『明治百話』によれば、
岩倉具視は「疳の高い」人物であったそうです。
「疳」とは、「癇癪(かんしゃく)」と同じ意味だそうで、
「ちょっとしたことにも興奮し、いらいらする性質・気持ち」(大辞泉)だそうです。
そのため、お付きの二人は、岩倉具視が「疳の高い恐ろしい人だったから、…いつもハラハラしているよう」だった、とあります。
大変ですね…(;^_^A
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