『臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。今朝、大本営陸海軍部からこのように発表されました。』
…それは1941年12月8日午前7時の事でした。
ラジオから臨時ニュースが流れてきたのです。
これから3年8か月続く、太平洋戦争の始まりを告げるニュースでした。
日本人はこのニュースをどのように受け止めたのか、
『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』(方丈社)を参考に、
漫画を描いてみました。
「戦争が始まった」と聞けば、次のような反応をしそうなものですー。
岡本太郎(芸術家。「太陽の塔」で有名)「まさかーー私はガク然とした。日本は独伊と同盟を結んでいた。しかしそれは米英などとのさまざまの交渉を有利に展開するためのかけひきであって、強硬なのも結局ポーズだけかと思っていたのに」
金子光晴(詩人)「不覚にも慎みを忘れ、「ばかやろう!」と大声でラジオにどなった」
清沢冽(ジャーナリスト。反戦を貫き、戦争下の様子を書いた『暗黒日記』は有名)「僕は自分達の責任を感じた。こういう事にならぬように僕達が努力しなかったのが悪かった」
正宗白鳥(作家・評論家。日本ペンクラブ設立メンバーの一人)「明治37年2月6日の、ロシアに対する宣戦布告は、…開戦の知らせもロマンチックな気持がしたものだ。しかし、今度はそうでなかった。陰惨な感じに襲われた」
しかし、日本人の大多数は、違った反応を示しました。
吉本隆明(思想家・詩人)「ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした」
黒田三郎(詩人)「今日みたいにうれしい日はまたとない。うれしいというか何というかとにかく胸の清々しい気持だ」
阿部六郎(ドイツ文学者)「前夜まで、狂いやすいばかりで進退二つの未知を量るようにして苛々していた心も、すっきりと澄んで、妙に楽天的に落着いていた」
島木健作(作家。社会運動にかかわり3・15事件で検挙。転向後、『生活の探求』がベストセラーに。終戦2日前に死去)「一切の躊躇、逡巡、猜疑、曖昧というものが一掃されてただ一つの意志が決定された」
長與善郎(作家・評論家)「この数ヶ月と云わず、この一、二年と云わず、我らの頭上に暗雲のごとく蔽いかぶさっていた重苦しい憂鬱は、12月8日の大詔渙発とともに雲散霧消した」
…というように、開戦をむしろ歓迎しているのです。
なぜこのようであったのかというと、太宰治の妻である津島美知子が『回想の太宰治』でわかりやすく説明してくれています。
「真珠湾奇襲のニュースを聞いて大多数の国民は、昭和のはじめから中国で一向はっきりしない〇〇事件とか〇〇事変というのが続いていて、じりじりする思いだったのが、これでカラリとした、解決への道がついた、と無知というか無邪気というか、そしてまたじつに気の短い愚かしい感想を抱いたのではないだろうか。」
昭和時代が始まって以来、
1927~28年の山東出兵、1931年の柳条湖事件・満州事変、1932年に第一次上海事変、1937年の第二次上海事変・盧溝橋事件・支那事変などが起こっていましたが、
どれも宣戦布告もなく、正式な「戦争」ではなかったため、外国の仲介もなく最終的な解決はできないまま、終着点の見えない戦いがズルズルと長引いていました。
それに加えて、中国を支援するアメリカとの対立が根深いものとなり、
日本は戦争を何とか回避するために交渉を重ねていました。
この状況を徳田秋声(作家)は、
「支那事変の進展とともに米英から受けた脅威が大きく、
日米会談が暗雲低迷の裡(うち)に荏苒(なすことがないまま月日が過ぎること)8か月を経過し、戦争か平和かの危機に立っていた」
と書いていますが、とても不安な状態に日本人は立たされていたことがわかります。
当時の日本人は、この戦争で懸案の問題が一挙解決できると考えたため、
開戦を歓迎したわけです。
逆に言えば、そこまで状況は行き詰っていたということです💦
太宰治も、『12月8日』という小説の中で、
開戦を告げるラジオを聴いて、
「じっと聞いているうちに、私の人間は変わってしまった。
強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ」がしたと書いています。
太宰治もこんがらがっていたものがすっきりする感じがしたのでしょう。
妻の津島美知子は、
「その点では太宰も大衆の中の一人であったように思う」
と書いています。
太宰治はまた、『12月8日』で、
「日本も、今朝から、ちがう日本になったのだ」
と書いていますが、同様の感想を持った人は多く、
加藤周一(評論家)「私は周囲の世界が、にわかに、見たことのない風景に変わるのを感じた」
上林暁(作家)「私はもう新聞など読みたくなかった。今朝来たばかりの新聞だけれど、もう古臭くて読む気がしないのだ。我々の住む世界は、それほどまでに新しい世界へ急展開したことを、私ははっきりと感じた」
獅子文六(小説家)「ふと、自分は、ラジオを聴く前と、別人になってるような気持がした。その間に、一年も二年も時間が経ってるような気持がした。一間も二間もある濠を、一気に跳び越えたような気がした」
高村光太郎(詩人、彫刻家。『道程』『智恵子抄』などが有名)「世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた。昨日は遠い昔のようである…この刻々の瞬間こそ後の世から見れば歴史転換の急曲線を描いている時間だなと思った。時間の重量を感じた」
日常が全くの非日常に変わったことを感じさせます。
そして日本は、大きな犠牲を出すことになる太平洋戦争へと突き進んでいくことになるのです…。
0 件のコメント:
コメントを投稿