肉じゃがやフライドポテト・ポテトチップスなど、身近で人気の食べ物であるジャガイモ。
そのジャガイモは、意外にも苦難の道を歩んだ歴史があったようです…(;^_^A
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇ジャガイモとは何か
ジャガイモ(ばれいしょ)の発祥の地はアンデス山脈の真ん中にあり、ペルーとボリビアにまたがるチチカカ湖の周辺です。
アンデス山脈でとれることからもわかるように、
冷涼な気候でも、土地の栄養分が低い場所でも栽培可能です。
それなのにジャガイモは栄養価が高く、
タンパク質・炭水化物などは米・小麦に劣りますが、
カリウム(細胞の浸透圧の維持・水分の保持・心臓機能や筋肉機能の調節・血圧を抑制などの効果がある)は米・小麦の10倍含まれており、米・小麦では取れないビタミンCまで含まれています。
そのため、「大地のリンゴ」ともよばれるそうな🍎
そのことから全世界に栽培が広がり、今では世界四大作物の1つに含まれるそうです(他はトウモロコシ[10.3億トン]・小麦[7.4億トン]・米[4.8億トン]。ジャガイモは3.8億トン])。
ジャガイモはアンデス地域では「パパ」と呼ばれていたそうですが、
ヨーロッパに伝わった際、「パパ」はローマ教皇を指すので都合が悪く、
「パタタ(patata)」と言い換えました。
これの英語読みが「ポテト(potato)」です。
ジャガイモ大国、ドイツでは「カルトッフェル(kartoffel)」と全然違う呼び方をされていますが、これはトリュフを意味するイタリア語、「タルトゥーフォ(tartufo)」から来ているそうです。
なぜトリュフ?というと、ドイツの人は地中に育つ幻のキノコをトリュフというらしい、というのを聞いていて、
そこに地中で育つジャガイモがやってきたので、これがトリュフか、と勘違いしたからだとか(;^_^A
(…というかトリュフってキノコやったんや…(〃ノωノ))
(※ちなみにドイツ語でトリュフは「トリュッフェル(Trüffel)」です。)
ドイツからジャガイモが伝わったロシアは「カルトフェル(kartofel)」と呼んでおり、誤解されたまま伝わっていることがわかります(;^_^A
伝言ゲームみたいですね…。
日本ではジャガイモですが、これはインドネシアのジャガタラ(現在のジャカルタ)から伝わったことに由来しています。
(※日本では縄文時代後期から山芋・里芋・長芋が栽培されていました)
(※「いも」の語源は、地中に埋もれていたことから、ウモ→イモ、となったという説があります)
(※別名の「ばれいしょ(馬鈴薯)」は、中国の呼び方で、馬の首につける鈴の形に似ていることからつけられたもの。現在の中国ではジャガイモのことは「土豆」と言っている)
〇火あぶりにされたジャガイモ
このように世界に普及したジャガイモですが、
その普及には苦難の歴史がありました(-_-;)
アメリカ大陸からヨーロッパに伝わったのは1570年頃と言われています。
しかし、ジャガイモはヨーロッパの人々から強い拒絶反応を受けます。
なぜか。
①昔のジャガイモは形が悪く、ごつごつしていて、ハンセン病などを連想させ、また、色も悪かったため。
②ジャガイモの芽や緑色に変色した部分にはソラニンという毒が含まれていたため。ソラニンの致死量は400㎎と、かなり強力。毒ではないが、よく聞くタウリン1000㎎の半分以下である。
(ジャガイモは乾季を生き延びるために地中の茎[実に見えるのは茎]にエネルギーをためておく。これがイモ部分。エネルギータンクを食われては生きていけないので、外敵から身を守るために毒を持つようになったのだという)
③聖書に書かれていない植物だったため。聖書には、植物は、種子によって増える、と書かれていたが、イモはイモを植えることで増える。
…などのことから、ヨーロッパでは「悪魔の植物」扱いをされたそうです。。
フランスでは、ある地方の議会で栽培禁止が決定され、
ロシアではジャガイモ栽培反対の一揆(1842年)が起こり、
あと、どこの国かもはっきりしていませんが、ある国ではジャガイモは宗教裁判にかけられ、あわれ火あぶりの刑になってしまったといいます。
しかし、当時は1550年~1850年頃にかけて、小氷期と呼ばれる寒い時期が続いていて、フランスでは16世紀…13回、17世紀…11回、18世紀…16回の飢饉が発生したといいます。
食料不足の解決は喫緊の課題でした。
エリザベス1世(1533~1603年)はジャガイモパーティを開き、
ジャガイモの普及を図りましたが、
コックの調理方法の不手際で、女王自身がソラニンの毒にあたってしまい、イギリスでの普及を逆に遅らせる結果になってしまったそうです💦
プロイセン(ドイツ東部)のフリードリヒ2世(1712~1786年)は、
1756年、ジャガイモ令を出します。その内容は、
①農民にジャガイモ栽培のメリットを理解させ、栽培を勧めること。
②空いた土地があればジャガイモを栽培すること。
③農民がちゃんと栽培するか、兵士や使用人に監視させること。
…というものでした。
その強制栽培により、プロイセンではジャガイモが広まることになりました。
そのプロイセンの影響でジャガイモが広まることになったのがフランスです。
濃学者であったパルマンティエ(1737~1813年)は7年戦争(1756~1763年)に参加、プロイセンの捕虜となりますが、捕虜生活の中でジャガイモを食べさせられます。
パルマンティエはここでジャガイモの有用性に気づき、1772年、フランスアカデミーの「食料飢饉を緩和する食物」の論文募集に応募してジャガイモの栽培を訴え、採用されます。
パルマンティエはジャガイモ普及のために3つの作戦を実行します。
①パリ郊外のジャガイモ畑を柵で囲み、兵士に厳重に守らせることで、人々にジャガイモに対する興味を持たせるとともに、その価値を高めた。また、夜はわざと警備を緩くし、人々が畑からジャガイモを盗めるようにした。
②上流階級の人たちにファッションの一環でジャガイモの花を挿してもらうようにした。これを受けてルイ16世やマリー・アントワネットたちがジャガイモの花を挿したので、上流階級でジャガイモの花が流行し、抵抗感が薄れていった。
③ジャガイモを美味しく食べられるように料理をいくつも考案した(オムレツ・ポタージュ・グラタンなど)。
その後、フランスでは1788年にフランス革命につながる飢饉が起こり、
ジャガイモ普及が促進されました。
また、ナポレオン(1769~1821年)も国家プロジェクトとしてパルマンティエを支援してジャガイモ栽培を推進、フランスのジャガイモ生産は15倍まで拡大したといいます。
以上のような涙ぐましい努力などもあり、ジャガイモは世界4大作物まで出世したのです。
現在、ジャガイモの生産ランキングは、
①中国 ②インド ③ウクライナ ④ロシア ⑤アメリカ ⑥ドイツ ⑦バングラデシュ ⑧フランス ⑨ポーランド ⑩オランダ ⑪イギリス…となっています。
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