社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 新聞紙条例による言論弾圧(1875~1876年)②改正新聞紙条例・讒謗律に対する人々の反応

2023年9月7日木曜日

新聞紙条例による言論弾圧(1875~1876年)②改正新聞紙条例・讒謗律に対する人々の反応

 改正新聞紙条例・讒謗律が出て、新聞紙人たちはどのようにこれを受け取ったのでしょうか(◎_◎;)

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


〇青天の霹靂

末広鉄腸は『新聞経歴談』で、

明治8年6月政府の頒布したる新聞紙条例讒謗律は我々記者に取っては実に晴天の霹靂にてありたり。固より其後改正になりたる条例に比較すれば左まで厳峻と云う程にてもなけれども、是れまで全く自由なりし言論に束縛を加えられし事なれば、我々はさながら林檎の籠に入り勝手に馳聘せし野馬の中に押し込られし想いありたり(※いつ食べられるかわからない…転じて、いつ捕まるかわからないと不安を感じたという事)。別して維新来文字の獄は絶えてあらず、世人も新聞紙を以て政事上社会上の害を矯正するに必要なる者に感じ夫の諫鼓(※昔の中国で、政治の間違いを指摘したい者にたたかせたという太鼓の事)に比せし程なりしに、突然にして法律を設け言語に従事する者を禁獄罰金に処する事となりし故、其驚愕一方ならず、始皇の書を焚き儒を坑するの轍を履む者なりと評する者さえありたり。」

と、驚きをもって新聞人に迎えられたことを記しています。

そして、新聞人たちが困ったのは、どこまで書いて良くて、どこから書いてはダメなのか、という線引きでした。

そこのところについて、末広鉄腸は『新聞経歴談』で、

殊に我々の最も当惑したるは如何なる事が成法誹毀となり如何なる事が官吏侮辱となるや更に見込みがつかざれば筆を執るにも非常に迷惑を感じ、当分は各社の紙上に往々論説なく偶まに記載する文章は極て単短にて意味なき文字のみを臚列せり」と書いています。

でもこのままではらちが明かないので、新聞人たちは連合して、いくつかの文章の例を挙げ、それを政府に持って行って、これは新聞紙条例・讒謗律に引っかかるのかどうか質問することにしました。

その質問の内容は、

①新聞紙条例・讒謗律は言論の自由と両立できないので速やかに廃止すべし…と書いたら新聞紙条例に言う法律批判にあたるか。

②ある裁判官は法律に未熟なので、訴訟人は迷惑している…と書いたら役人を侮辱したことになるか。

③専制政治では永遠に我が国に平和をもたらすことはできないので、速やかに民撰議院を作るべきである…と書いたら新聞紙条例に言う政府の変更にあたるか。

…などというものでした。

しかし政府の反応は「回答する義務はないので質問書は差し戻す」という、つれないものでした(-_-;)

どこまで書いて良くて、どこからが処罰の対象になるのか、それがわからないため新聞人たちは疑心暗鬼状態になり、自主規制に入ります。

先に引用した『新聞経歴談』には改正新聞紙条例は青天の霹靂であった、と書かれていますが、実際は6月9日の『東京日日新聞』が新聞紙条例が改正され、言論自由に制限が加えられそうだ、という噂を記事にしていたのですが、これに対して、新聞記者たちは次のように反応しました。

・6月17日『東京日日新聞』…節度の無い言論を放置すれば政府の「厳律」の制定を招くことになる。

・6月19日『郵便報知新聞』…これまで新聞は人の名誉を傷つける記事を書くような行き過ぎなところがあったため、今回の改正はやむを得ない。言論の自由を求めるには、まず自分たちがそれにふさわしい素質を身につけなくてはいけない。

以上のように、各新聞は改正新聞紙条例が出される前から早くも自粛モードに入っていたのですが、

(『横浜毎日新聞』は1872年6月17日に、恨みなどによる非難・事実かどうか定かではないことで人に損害を与える投書は取り上げないと述べ、『日新真事誌』は1873年1月27日に、道理に合わない個人的な意見や、むやみやたらに法律を馬鹿にしたり、政府の役人の悪口を言ったりしているもの、根拠のない噂の類の投書は掲載しないと載せ、『東京日日新聞』は、1873年5月31日に、人の名誉にかかわる投書は、事実かどうかをよく見極めて掲載を決める、政治に関わる意見は是非を判断して掲載する、と発表するなど、改正新聞紙条例が出されるより2年以上前から、新聞社は自主的に過激な表現は抑えるように努力はしていました)

その中で、政府への批判をゆるめなかった男がいました。

それが末広重恭であったのです。

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