社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 新聞紙条例による言論弾圧(1875~1876年)③周囲から心配されるほど政府を批判した末広鉄腸

2023年9月7日木曜日

新聞紙条例による言論弾圧(1875~1876年)③周囲から心配されるほど政府を批判した末広鉄腸

 政府が言論を押さえつけるために出した改正新聞紙条例・讒謗律。

しかし、新聞人たちは黙ってこれを受け入れることはありませんでした…!

※マンガの後に補足・解説を載せています♪



〇周囲から心配されるほど政府を批判した末広鉄腸

新聞人たちは、改正新聞紙条例・讒謗律に抵抗する姿勢を見せました。

7月の『評論雑誌』には、「思いの外(ほか)」、「各種の新聞紙上反覆、これを論駁するいよいよ激切にして、隠然政府に抗するの色をあらわし、いまだ数日ならざるに、その論鋒の説、政府の権勢を以てするとも、ついに圧抑するあたわざらんとす」とあります。

特に新聞紙条例・讒謗律について手厳しく論じたのは、『東京曙新聞』の編集長、末広鉄腸でした。

まず、新聞紙条例・讒謗律の内容を載せた6月30日の『東京曙新聞』で次のように反応しました。

…新聞紙条例が改正されたが、これは新聞に大きな影響を与える。日本の文明史が書かれれば、明治8年(1875年)に新聞紙条例が改正されたことを、特に取り上げ、強調するだろう。新聞紙条例が改正されるかもしれないという噂は、既に去年の末に流れていた。その時、ある者は言論は自由であるべしと言い、ある者は厳酷の制度で言論を封じるのを憂慮していた。今、改正新聞紙条例が出たが、世の人は、言論の自由が得られていると見るか、言論の自由が制限されたものと見るか。上の者は文明の良法であると言い、下の者は圧制の制度であると言う。物事を見分ける能力のある者は、新聞紙条例の内容を読めば、どちらであるか、きっとわかるだろう。朝廷は清く明らかであり、役人は賢く善良であるので、条例を適用することは厳しくせず、国民をのびのびと活動させてくれるはずである。厳しく取り締まれば、人々はこれを恐れて、政治・社会に対しての物の見方は発達しなくなるだろう。我が政府は文明開化を進めているから、人々を抑圧することは無いにちがいない。しかし、私は条例の内容を読んでも意図がわからないところがあったので、昨日29日、政府に次の質問をした。「14条に法律を悪く言った者は100円以下の罰金とする、とありますが、法律とはどのようなものを指すのでしょうか、国民が法律に従わないようにさせる、というのはどういうことを言うのでしょうか。法律で良くないところがあればこれを指摘し、あってはならない法律があればこれを論述するのも、法律を悪く言った、ということになるのでしょうか。過去のことで言えば、去年各紙の紙上をにぎわした、民撰議院についての議論は、新聞紙条例には抵触しないと考えているのですが、どうでしょうか」私はまだその回答をいただいていないのだが、その回答によって、政府が言論の自由を禁止しようとしているのか、そうでないかがわかるだろう。

最初から戦闘モードですね(;^_^A スゴイ…。

文中に「新聞紙条例が改正されるかもしれないという噂は、既に去年の末に流れていた」というのがありますが、『東京曙新聞』でも、改正新聞紙条例が公布される前に、2度、それについて記した社説が見受けられます。

6月10日。

…6月9日に東京日々新聞が、新聞紙発行条目を政府が改正するらしい、と伝え聞いたことを紙面に載せた。私は先月の末にその噂を聞いたが、確実である証拠はなかったので、これを新聞で紹介しなかった。しかし、日々新聞によって新聞紙発行条目の改正の話が掲載されたことで、この話は、私だけでなく、世の中に広く知られているということがわかったので、どうやら根も葉もない噂ではないらしい。伝え聞いたところによれば、改正は新聞記者や世の中の議論をする者を妨害する内容であるらしい。新聞紙上において行われる議論で政府の嫌がっていることに触れるものがあり、権力があって、大事な役職に就いている者はこれを人の心を乱し、行政の妨害をするものだとして、新聞紙発行条目の内容を厳しくして世の中の議論する者を束縛し、自由に論述させなくしようとしているのだろう。これは開化の進み具合を後退させるものではないか。新聞が始まって8年になるが、ようやく新聞の議論が人々の心を動かすようになり、人々から評価を受けるようになってまだ1年も経たないのに、政府はこれを嫌がって新聞発行条目を改正しようとしている。法律は世の中から承認を受けて定められるべきものであるのに、なんで人民が口出しするのを拒むのか。改正が事実であったとして、言論の自由が妨害されるならば、新聞記者は黙って政府の言うことに従うだろうか。必ず私と心を同じくする者たちが一緒になって、政府に屈することなく自分の意見を主張するだろう。世に言論の自由が行き渡らなくなっても、私は三寸の舌・一柄の筆を使うのやめない。それで罪を得ることになっても構わない。しかし、今の世では賢明な人物が政治を行っているので、改正するという噂が事実でないことを私は信じている。

6月20日。

…これまで政府が行うとしたことは全て実施されないものは無かった。新聞も政府の鼻息をうかがうばかりで、世の中の出来事を手厳しく論じることもなかった。しかし、二・三人の論者により[民選議院設立の建白書]、状況は大きく変化し、人々は争って法律の良い点と、良くない点について議論するようになり、新聞は世間からの評価を一変させて、言論の自由を得たかのような勢いがあった。議論の中には過激なものもあって、人を悪く言い、けなすものや、秘密を暴くようなよくないものも見られるが、それも皆、今の世のことを心配し、嘆く気持ちから行われているものである。数百年抑圧されていたものが一挙に噴き出しているのだから、このような弊害が起こるのも仕方がない面もあろう。しかし政府が新聞条例を改正し、議論を制限するらしいともうわさが流れると、世の論者たちはおとなしくなり、同業の新聞記者のある者は、「政府のすることはもっともである、新聞があまりにも道に外れたことをするから、政府も条例を改革するのだろう。これからはよく考えずに行動してはならない。『戒慎』[用心深く慎むこと]の二字を意識することが大事だ」、と言い出すようになった。条例が改正されるというのは噂に過ぎず、まだ行われていないのにこのありさまでは、改正条例が公布されれば、世の出来事を論ずるものはこの世からいなくなってしまうのではないだろうか。議論することが封じられてしまって、どうやって日本の人民の気力を奮い立たせることができるのだろうか。

これを見ると改正新聞紙条例は公布される前からすでに、噂段階でも人々に大きく影響を与えていたことがわかりますね(◎_◎;)

さて、公布された改正新聞紙条例に対し、末広重恭は論ずることをやめないわけですが、

7月3日になると一気に論調は過激になっていきます(◎_◎;)

…正論を述べて抗議するか、罰せられるのを恐れて沈黙するか。学んだことと違う事をするのをどうしたらよいのだろうか。世の中の論者は、皆このように思ってため息をついている。政府が議論を制限する制度を設けた今であるが、嘆いてばかりで命を惜しんでいるのではなく、現在の実情を手厳しく論じる者はいないだろうか。今、世の中の議論する者は、政府にへつらい、妥協しようとする意気地のない態度を取っているので、暴君官吏は反省することなく、世の人々は表面では政府に従うそぶりをせざるを得なくなっている。何という世の中の有様だろうか。今生きている者はなんと不幸なのだろうか。後の世の人々は涙を流すのを禁じ得ないだろう。

読者は、私が冒頭に悲しみ怒る言葉を並べたことに対し、必ずビックリしてこう言うだろう。「曙新聞の記者は、発狂したのではないか。今の状況を理解せず、ムチャクチャな暴言を吐いている。罰金ではとても済むまい。2・3か月の禁獄となるのは間違いないだろう。」私はこう答えよう。私は粗暴ではあるが、自分の身を守ることは知っている。なんで法律を犯して獄につながれることを望むだろうか。冒頭で言ったのは、中国の漢・明時代の終わりのころや、徳川氏の世の中に暮らしていた人々が言論の自由が制限されていた状態のことについて論じたに過ぎない。君主が優れて聡明である今の世な中で、冒頭に述べたことが起きるわけがないではないか。それでは一体、お前は何が言いたいのか、と読者は思うだろう。読者の方はまた我慢して私の話を聞いてほしい。暴政を行う者は、必ず言論を制限する。世の人々が少しでも政府の嫌がっていることに触れると、政府の悪口を言ったとして、その出版物を発禁にし、世の中に出回らないようにする。それだけでなく、政府を批判した者を島流しにし、最悪の場合死刑にしてしまう。当時の君主や大臣たちは、これで逆らう者は無くなったと思ったであろうが、世の有様を嘆く者は密かにこれを批判しているものである。100年後に、当時の人々が密かに記した記録を見ると、当時の君主・大臣の様子がくっきりと見えてくる。政府を恐れていただけでは、今に当時の様子が伝わることは無かっただろう。私はため息をついて思うのには、今の人々は昔の人にまったく及ばない、という事である。今、政府が公布した新聞紙条例・讒謗律は、世の中が人の秘密をあばいたり、人の名誉を傷つけたりする風潮になっているので、政府が臨時に設けたものであって、言論を制限したり、政治・社会に対しての物の見方を発達させないようにしたりするものでは決してない。これらの法律について、議論するところは見当たらない。しかし、世の学者先生の中には、条例が公布されたのを聞いて、漢・明・徳川氏の時代のような暴政が行われるのではないか、と思い、刑罰を受けることを恐れて、意見を述べなくなっている者もいる。意見が活発に出なくなり、国の元気が失われていっている様子を見るのは、嘆かわしいことだ。昔の人々は風刺や冗談の中に批判を紛れ込ませていたものだが、それを見れば当時の状況がよく分かる。だから私も今の状況についてそのように記すのである。後の世の人々で、私の書いたこの文章を読み、当時の状況に思いをはせて、涙を流す者がいるかどうかはわからないが。

7月5日。

…新聞人として、世の中の為に論ずべき話題があればこれを論ずることによって、日本の文化の進歩に微力ながら手伝わさせていただこうと思っているのであるが、讒謗律・新聞紙条例が公布されて以来、論ずることが難しくなり、一つの言葉を書く時にも、法律・条例に違反していないか、処罰を受けるのではないか、と心配になって、ついに書けなかったことが何度もある。その中で外国人が出している横浜新聞(ヘラルド)だけが条例について論じていた。ああ、日本人3500万人は皆言葉を発することができなくなってしまったのか。私はせめてヘラルドを翻訳して曙新聞に載せたいと思うのだが、それもまた条例に触れて、責めを受けるのではないかと思ってできない。日本の法律や制度について論じることが、日本人はできずして、外国人によってなされている。嘆き悲しみ怒るのをこらえることができない…。

同日に掲載された投書。

…「おい佞奸公君、君は実に幸せ者だよ」「なに、剛正。おれがなんで幸せなんだ」「よく考えてみたまえ。君、正院第110号の布告[讒謗律]を見たろう」「見たが、あれがどうした」「その中に、事実でないことを言って人の名誉を傷つけるのを讒毀といって、ひどい罰を受けることになるそうだが、幸せというのは、他でもない、君の仲間たちが内緒ごとをしたり、女性や酒にだらしなかったりすると、僕の仲間が、新聞にそのことを書いて君たちのことを悪く言うものだから、君たちは心から楽しめないようだったが、これからは新聞紙を使ってやかましく言うことも出来なくなるので、これからは君たちは悪いことも出来るし、女性やお酒を存分に楽しめるのだから、さぞ愉快、満足だろう。それに対して僕らは、正直でうそをつかなくても、人をほめて褒美を与えるという法律が無いから、誰からもほめられないし、お金もないから君たちのようにお酒や女性に溺れることも出来ないのでつまらないことだよ」「貴様は剛正という名前なのに、女々しくねたんでくる男だな。あの法律はそういう目的のものではない。日本の人民3500万人の名誉を守ろうという趣旨のものだ。貴様のように心得違いのものはひどい目に遭うかもしれないぞ」「そう言われちゃあ返す言葉もない。人の名誉を守ってくださるありがたい御趣旨であるということだが、これまでお酒や女性にだらしがなく、恥を知らなかった人間が、これからは気づかいする必要が無い、こちらの世界になった、という気持ちになって、芸者屋や花街が繁盛すると思うと、それが心配でならない。また、あこの奥さんが浮気している、ここの娘さんが愛人を作った、と新聞紙でやかましく言ってきたから、悪いことはできない世の中だと思っている者もいる様子だったが、これからは浮気をする夫・妻や不孝者・正義に外れた行いをする者たちは怖いものなしになるだろう。我々は正直に生きているから、他人から悪口を言われても後ろめたいところは無いから怖くもないが、聖人ではないからたまには失敗もする。その時、人からそれを責められると、なるほどと思って改めることができるから、逆に誹謗した者をありがたく思ってもうらんだり憎んだりすることなどない。そうして見ると、讒謗律というのは、品行方正な人には少しも役に立たないものだなあ」…東京下谷町 高橋矩正

登場人物の名前になっている「佞奸」とは、表面はおとなしそうに見えて、腹黒い人のことを言うそうですので、名づけからして悪意がありますね(;^_^A

ちなみに「剛正」とは、意志が強く、信念を曲げないこと、だそうです。

7月16日には次の投書を掲載。

…新聞紙条例・讒謗律が公布されて、世の人々はこれを言論の自由を制限・抑圧するものと誤って受け取り、そのために世の中で議論する者は少なくなった。これまで新聞は政府や裁判所の是非について論じ、民権のことについて紹介して恐れるところが無かった。これは今であれば禁獄でなければ100円以上の罰金にあたるだろう。しかし、新聞には世の人々に正しい考えや、新しい知識を届けるという、大きな役目があるのだ。条例があるといっても、自由に意見を言う事・自由に考えることが全て制限されたわけでもない。しかし、新聞を書く者は、罰金が重いのと、禁獄の期間が長いのを恐れて臆病症を起こし、これを治療しようとしないので、政府に対する奴隷心はますます甚だしくなり、黒人と同じようになっている。嘆かわしいことだ。新聞を書く者は条例をいたずらに意識せず、自由の思想・自由の議論が発達するように努力することで、大日本帝国が独立を維持し、ヨーロッパの鳥やロシアの蛇に呑み込まれないようにしなければならない。法律は厳しく、恐れるのももっともであるが、国が危急存亡の秋にあり、国民が塗炭の苦しみに遭うかもしれない今のような時期にあたっては、法律のことを気に懸ける暇はないのではないだろうか。…愛媛県 柴田知行

7月19日。

…世の人々の心というのは、促し、導いていくものであって、束縛してはならない。抑圧の堤防がひとたび決壊すれば、その勢いは激しく、政府をおぼれさせるだろう。イギリスのマグナカルタの変・フランスの共和政治の乱は、政府圧制が長く積み重なった害悪によって起こったのである。マグナカルタの変動は、国王が強暴であったため、貴族庶民の怒りを呼び起こし、王家の衰退を招くこととなった。フランスのルイ16世は優しくて残酷な政治を行ったわけではなかったが、一度内乱が起きると国中が騒ぎ立ち、ルイ16世は殺されるところとなった。これは、ルイ16世の先祖から続く圧制により不平不満がたまっていたところに、アメリカ・イギリスの自由の様子がフランス人民に影響を与えた結果、動乱が起きてフランスだけでなく、ヨーロッパ大陸を大きく変える結果となった。ルイ16世が人心を権力で抑えつけることをやめ、人々をのびのびと活動させていれば、人々は動乱を起こすことは無かっただろう。政府は人民を抑圧して一時的によい気持になるか、全体の利益のことを考えて行動するか、どちらかを早急に選ぶ必要がある。日本は数百年にわたり抑圧を受けて来ており、そこに欧米諸国から自由の精神が伝わり、これを求める様子は抑えつけることができない勢いがある。これはフランスの兵士がアメリカの独立を助け、それからフランスに帰国した時の様子に似ている。政府が抑圧をやめ、方針を変えなければ、わずかの間で強い風が吹き、激しい波がやってくることであろう。

7月20日には社説欄に京都村に住む三鱗栄二郎の「新聞条例を論ず」という投書を掲載。

…政府が厳しい新聞紙条例を公布したのは6月28日のことであった。公布されてからまだ間もないが、世の論者はすでに多くの事をしゃべり、新聞紙条例の誤りを攻撃し、政府に対抗する姿勢を示している。新聞紙条例の改正は、政府が秘密裏に行ったものであるが、公布する数か月前には世間に噂が広まり、私はこれを聞いて眉をひそめていた。世の中の学者は公布される前に条例の改正について議論したが、無駄に終わってしまった。いったいこの条例は、どれほどの人が関係して作られたものなのだろうか。平民の私にはわかろうはずもない。今、私はこの条例に適当な名前を付けようとするならば、「新聞紙罰則」といわざるをえない。なぜかといえば、その内容は処罰する事ばかり書かれているからである。なぜ政府はこのような条例を作ったのだろうか。安政・慶應のころ、度胸のある人物は、尊王攘夷を唱えて世の人々をあおったが、幕府はこれを厳しく取り締まったために人々の心は大きく変化し、そのため幕府はついに転覆するに至った。今、政府が新聞紙条例を作ったのは、転覆するのを予防するためのものであろう。元参議であった者たちが民選議院論を唱えてから約2年がたつが、その間、新聞は自由民権についての論説を次々と載せるようになった。試しに去年の新聞紙を読んでみれば、毎日のように民権論について書かれていることがわかるだろう。政府は国民に権利は与えずして義務ばかりを課す。政府は昔の「アブソリュート・モナーキー[絶対王政・専制政治]」と何ら変わるところが無い。民権党で愛国心のある者を、昔の徳川氏に抵抗した勤王党のように見なし、新聞紙を厳しく抑圧して人々の思想が発達するのを妨げている。新聞紙条例が公布されてから、新聞社は自由に意見を述べることが難しくなり、わずかに海外で起きたことにことづけて密かに政府の批判をするくらいしかできなくなってしまった。その様でどうして独立の精神を発達させることができるだろうか。世の人々よ、いたずらに新聞条例を恐れてはならない。新聞は、自由が回復できるように努力しなければならない。そのためには、新聞は手厳しく論じなければならない。政府は私の議論に対し罰金を科すであろう、または獄舎につなげるであろう、それでも私は条例について手厳しく論じ、政府に条例の廃止を願うであろう。もし私一人の犠牲で言論の自由を回復できれば、厳罰を受けたとしても、何も恨むことは無い。

…編者は、三鱗氏のことをよく知らないのであるが、責任感の強いこと、感嘆せざるを得なかった。社説に載せたのは、私の心を打つものがあったからである。文章中の言葉について、少し手を加えたところがある。条例違反の箇所があれば、編者の私一人で責任を負う。

7月22日。

…暑さが厳しく、気温は94℃[華氏の場合。摂氏であれば34℃]にも達した。私は文章を書いていたのだが、暑さの最も厳しいときに休むことができず、なんとつらく苦しいことだ、と心中でため息をつきながら、机に向かい、左手で汗をぬぐい、右手で筆をとり、数十行を書いていたのだが、強い風が吹き、机上の原稿を窓の外に吹き飛ばしてしまった。探したのだがついに見つからなかった。これは神様が、すばらしい文章があると聞いて天上に持って行かせたのか、私が書いていた文章が新聞紙条例に触れる内容であったので、罰を受けるのを神様が憐れんで吹き飛ばしたのか(後者がおそらく正しいと私は思っている)。暑さで苦しいうえに体もつかれていて、しかも新聞人の集会もあり改めて書く暇が無く、社説に書いたことを載せることができなかった。もし原稿を見つけた方がいれば、曙新聞社まで持ってきていただけるとありがたい…。

7月27日の投書。

…私は6月28日に新聞紙条例が公布されてから、世の中の論者たちがどのような行動するか観察していたが、論者たちは少しも屈する様子を見せず(条例を恐れ方針を転換した者はこの数に含まれていない)、イギリスのマグナカルタや、ルイ16世の時のフランスの動乱を紹介して言論の自由を制限することはできないということを論じてみせた。また、たとえ話を用いたり、冗談に見せかけたりして、条例を批判した。20日の社説に載った三鱗氏の論文を読んで、私は不覚にも机をたたいてすばらしいと叫んでしまった。三鱗氏の論文を見て、愛国心を起こさない者は人ではないと思う。新聞紙条例は新聞の行き過ぎや人の名誉を傷つけることを禁止しているだけで、言論の自由を制限しているわけではない。しかし罰則がとても厳しいので、人々はこれを恐れ、自ら書く内容を制限してしまった。これは賢明な政府の意図を察していないのである。勝手な妄想でもって束縛だ、圧制だと悪口を言うのは、条例を理解していないのである。もし政府が本当に言論の自由を望まないのであれば、新聞を厳禁にしているはずである(言論の自由は制限すべきではない。必ず反動の動きが生じる)。しかし、政府が言論の自由を望んでいるのであれば、新聞紙条例は出すべきではない(悪者を捕まえたり、事実でないことを言ったりすることを取り締まる法律は別にあり、新聞紙条例を作る必要はない)。政府は言論の自由を認めているものの、少しこれを制限しようとしているように見える。なぜ少しの害を恐れて大きな不利を招こうとしているのか。政府の失策を残念に思わざるを得ない。しかし、きっとこれは私の妄想であって、賢明なる政府は下手な方法はとらないと信じている。三鱗氏の言うように、新聞は国民の思想を発達させ、民権を主張し国家の基礎をしっかりとさせるように努めるべきであり、これは政府も喜ぶところである。もし酷い役人がいて、愛国の論者を捕まえるものがいたら、非は役人の方にある。恐れることなどないのだ。…下谷町 高橋矩正

7月29日。

…20日の社説に三鱗氏の論を載せたが、世の人々は私のことを甚だしく傲慢で、罪を避けることを知らない者だと見なすようになった。同業の者からも心配され、一日、私の名前を新聞に載せなかっただけでも、安否を問う使いがやって来たこともあった。しかし私は自分の身を心配していない。条例に束縛されることなく、新聞で世の中のことを議論する者については、賢明な政府は処罰することは無いということを知っているからである。今日、山根・中津 二氏から条例について論ずる投書をいただいた。三鱗氏のものと同じく、私の心を引き付けるものがあったので、ここに掲載する。

…世の中には多くの人がいるのだから、多種多様な意見がある。昔の人はこう言っている、智者にも千慮の一失有り、愚者にも千慮の一得有り…知恵のある者でも千回に一回は失敗し、愚かな者でも千回に一回は良い考えが出ると。同じように、政府も失敗するときはあるし、人民も良いことを言う時もあるのである。だから、政府と人民が協力していくことが必要なのに、いまだ政府と人民には大きな隔たりがある。政府は6月28日に新聞紙条例を公布したが、その内容を見るに、罰金でなければ獄につなぐといったもので、厳しくないとは言えない。この条例の意図は、むやみやたらに議論することなかれ、の一言に尽きる。ああ、政府の法律の何と厳しいことか。政府のことを議論することを許されないのは、騒乱のもとである。新聞は人民の耳や目である。新聞紙条例は人民の耳や目をふさぐのと同じである。これは三鱗先生のいうところの「デスポティック・モナーキー[専制政治]」にあたる。昔でいえば、秦の始皇帝が自分のことを議論することを恐れて数万の書物を焼き、学者を地中に埋め、平清盛が都の人が自分の悪口を言うのを恐れて子供[禿(かむろ)と呼ばれるスパイ]を各所にうろつかせたが、これはどちらも人々の耳や目をふさいだものであって、その後はどちらも乱が起こっている。…和歌山県平民 山根辰治・山口県平民 中津江三郎

7月31日の投書。

…新聞条例が公布された後、言論の自由が遠い所へ飛び去ってしまったかのように思えるのは残念なことです。新聞紙条例は議論を抑制するものではありません。新聞が、条例に書いてあるところの処罰をいたずらに恐れて、自ら言論を抑制しているのです。言うなれば、木の影や物の形が臆病者には幽霊や化け物のように見えているのと一緒で、バカらしさにおかしくなってきます。その中で曙新聞は信念を曲げずに議論を続けてくじける様子が見られません。禁獄・罰金も来るなら来い、自分は自分の道を行くといった勢いで、感心させられます。現在の世の中の議論は曙新聞によって保たれています。ぜひ、少しも引き下がることなく、正々堂々と論じ続けてください。暑さにやられないように氷水でも飲んで用心してください。…新橋 宇会岩内

これらを読むと、末広重恭の新聞紙条例に対する反感の強さがひしひしと伝わってくるのですが、同時に大丈夫なのか…と心配になります(;'∀')

末広重恭は、当時の状況について、『新聞経歴談』に次のように書いています。

「或日余は最も急激なる新聞紙条例及び讒謗律を駁撃せしが、数日を経て匿名の投書あり、漢文にて認め同じく新聞紙条例を非難し圧制の為す所成と断定し、大に余の心を得たり。然れども文字の練磨を欠く所あるを以て筆を加えて添作し一層其語気を激烈ならしめて之を紙上に掲載せり。偶々同業の会あり一同皆な余の為めに危み忠告する所あり。余笑って日く、余は囹圄[れいご。牢屋]に入って天下の人心を呼起さんとするのみと」

人々の心配は当たり、新聞界に激震が走る出来事が起こることになります…(◎_◎;)

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