社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 新聞紙条例・讒謗律による言論弾圧⑥~鉄腸に負けじと批判の声強まる

2023年10月17日火曜日

新聞紙条例・讒謗律による言論弾圧⑥~鉄腸に負けじと批判の声強まる

 明治政府は1875年、改正新聞紙条例を出しましたが、それから1か月、法律が適用されることは無く、処罰を受ける者は1人もいませんでした。

しかし8月7日、とうとう、『東京曙新聞』主筆の末広重恭(鉄腸)が禁獄2か月・罰金20円の処罰を受けることになりました。

これで新聞人たちは委縮する…と思いきや、なんと末広重恭に負けじと新聞紙条例を批判する声が続々とあがっていくことになるのでした…!🔥

なんという硬骨漢…!忖度なんてノーサンキュー!その心意気やよし!

※マンガの後に補足・解説を載せています♪



〇硬骨の新聞記者たち

改正新聞紙条例に臆することなく、政府に批判的な社説を載せた新聞をかいつまんで見ていきます。

・8月5日

箕浦勝人(1854~1929年。のち第二次大隈内閣で逓信大臣)は、

『郵便報知新聞』の社説で次のように述べました。

…民権の問題は新聞紙上において大きなにぎわいを見せている。初めて「民権」という言葉が入ってきたときには、人々は怪しんだり、嫌ったりする者もいたが、聞き馴れるにしたがって、「民権」と聞けば楽しみ、快くなり、口を開けば「民権」と言うようになった。イギリスのマグナカルタは世の人々で賞賛しないものはなく、イギリスの繁栄のもととなった。日本人もこのきまりを慕う気持ちが高まってきており、民権を主張する者でマグナカルタを引き合いに出さない者はいない。人々はマグナカルタのようなきまりが無ければ、国の開化は達成できないと思うようになっている。しかし私は不満なことがある。いまだ「ハビース・コルプス・アクト」[Habeas Corpus Actのこと]人身保護法(身体の自由を保護する法律)について論じる者がいないことだ。社会において抑圧専擅[おさえつけ、自分の思いのままにする]の法律は作られやすい。それを考えると、このような法律から身を防ぎ、国民の安寧幸福を守るためには、人身保護法はマグナカルタにも負けず劣らず必要なきまりであると言えよう。ブラッキストーン氏[イギリスの法学者、ウィリアム・ブラックストン(1723~1780年)のこと]は人身保護法について、これは第二のマグナカルタであり、イギリス人民の人権の基礎であり、千年変更するべきではない、と言ったという。他の法律家も、人身保護法の大切さは、どんな雄弁家が何時間しゃべっても、どんな文豪が何億慢枚の文章を書いてその効能についても語っても、ほめすぎることにはならない、と言っている。欧米の文明国は、多少の違いはあれども、必ず身体の自由を守る法律がある。人身保護法の目的を要約すれば、暴君・奸吏が勝手気ままに人民に刑罰を与えることを防ぐことにある。そのため、人身保護法は民権家がきわめて大切だと思わなければならないものであって、文明政府と抑圧専擅の政府とを分けるもとになるものである。それなのになぜ誰一人として人身保護法について言及しないのだろうか。ある人は言う、民権家は皆政府を篤く信じているので、勝手気ままに人民を束縛拘引して人権を侵害することはないと信じているからである。私がその心を推量するに、「皇帝陛下であっても人民の身体・生命をほしいままにすることはできない、役人ならばなおさらである」と安心しているのだろうと考える。しかし、これではかりそめの安心である。私は決して政府を疑っているわけではなく、今の政府を暴政府と言っているわけではない。今の政府のやり方を見ても、少しも乱暴なところはない。日本は自由に進もうとしているのだと感じている。しかし、賢明な日本政府であっても、同じ日本の地に生まれ、同じ日本の空気を吸い、同じ日本で教育を受けた人々の集まりであるから、日本人によくみられるような失敗をすることも時々ある。だから、人身保護法を作っていざという時に備える必要があるのである。今の政府は賢明だが、いつ暴政府に変わるかもしれず、今の法律の用い方は正当だが、明日には豹変して役人の気持ち次第で刑罰を決めることになるかもしれないのだ。こうなった時に人民は頼るべき法律が無く、仕方なく反乱を起こすかもしれない、そうなったら人民の不幸であり政府の恥辱である。ではこの法律はどのようにして作るべきか。人民が政府に作ることを迫るべきか、政府が進んで作るべきか。どちらのやり方が正しいかはわからないが、政府は国民のため平穏を望む傾向があるので、自らこの法律を作って人民を満足させてくれるであろう。しかし、政府が威権をそがれるのを恐れて作らないのであれば、人民自らが法律の案を作ってもよいだろう。欧米にお手本が既にあるのだから、特別の委員若干名を選んでこれを作らせるのは難しくないだろう。…

政府をヨイショしていますが皮肉なのは明らかで、改正新聞紙条例を適用して末広重恭などを捕まえたことに対する危機感から人身保護法を作ることを提案したものでしょう。

人身保護法はイギリスではまず1640年に作られました。内容は、逮捕には国王、もしくは裁判所が発行した令状が必要であり、不当に逮捕されたものは救済を裁判所に求めることができる、としたものです。警官が自分の判断で勝手に逮捕することを防ぐためのものですね。1679年には改正されて、国王が令状を出すことはできなくなりました。

・8月6日

『郵便報知新聞』の社説では藤田茂吉(1852~1892年。のち衆議院議員)が次のように述べました。

…自由の精神がひとたび人の心に芽生えて人間社会に広がれば、どんな堤防があったとしても決してこれを防ぐことはできない。アメリカ合衆国が独立を宣言したとき、イギリスに名将・謀士[計略が巧みな人]がいなかったわけではないし、軍備が足りなかったわけでもないし、財政状況が悪かったわけでもないし、兵士が勇猛でなかったわけでもない。敵に勝つために必要な道具の量は余裕があったほどである。しかし、再びアメリカを支配し、アメリカ人の頭脳から自由の精神を排除するということはできなかった。アメリカは軍備や軍資金が足りなかったが、自由の精神に対しては誰も太刀打ちできないのである。この自由の精神はアメリカ独立戦争に参加したラファイエットをはじめとするフランス人に伝染し、そのフランス人たちが帰国するに及んで、自由の精神が堤防が決壊して水が激しく流れ出るように広がって、フランス政府の圧制でも防ぐことができず、ついにイギリスに亡命するに至った。イギリスは諸国よりも早く自由が流行したために、大陸に住む腕の良い職人・大きな富を持つ商人はイギリスに集まり、そのためにイギリスはますます富み栄えることとなった。フランスは常に堤防を設けて自由の精神が広がろうとするのを妨害しようとしていた。例えば「シントバルサルミウ」の虐殺[1572年に起こったサンバルテルミの虐殺のこと]では、数日間にわたり、フランス全土においてプロテスタントの者は男女老幼を問わずに殺害された。しかし、これをもってしても信教の自由は人々の頭脳から除去することはできなかった。

ここに1つの国がある。その国の政府が自分勝手に乱暴にふるまい、人民をおさえつけようとしたら、その国の人民の頭脳はどのようなことを考えるのだろうか。私は次のように想像する。「政府とは何ぞ。政府の役人は三面六臂[一人で数人分の働きをする人]を持つのか、千手観音の再来か、それとも七人将門[平将門には7人の影武者がいたとされる]の子孫なのか。政府はどんな妙術があれば人間の精神を自分の思い通りに彫刻することができるのか。例えば毛筆をもって思ったことを紙の上に表すことをできなくしたらどうか。しかし、刀より鋭い三寸の舌鋒あり、これをもって他人の耳に訴えればたちまちに頭脳に達し、その者が別の者に伝えていけば、数百・数千の人々は同じ思いを抱くようになるだろう。舌を結んで声を出せないようにしたらどうか。まだ両手があり、古代エジプト人が使っていたようなやり方で文字を書ける。こうなったら、最初に口火を切る人物の頭脳を破砕するという暴挙に出る以外方法は無いはずである」。このような想像をしても人に伝えることができなければこの想像は消えてなくなるのだろうか。いや、そうではない。この想像はますます膨張して頭脳の中に納まりきらなくなり、たちまち破裂して所かまわず四方八方に吹き出し、道理に訴えることができないため、ついに兵器に頼らざるを得ない。流れ出る血がしたたり落ち、生臭いにおいが全都を覆うことになる原因は、人民の頭脳が破裂するためである。気をつけなければいけない。戒めとすべき前例はそう遠くない時に起きているのである。

我が同僚の箕浦氏は、この災害が起きた事例を、各国の歴史から見つけて、心配で気がふさがったため、ついにまごころから、数千字にわたる文章を書いたのであるが、その文章を見た私はこれまでの処罰の歴史を思い出して心配になった。しかし、少しも心配する必要などない。我が国の政府は賢明であるし、政府の心配する災害を防ぐために事前に準備することを考え、人身保護法を作ることを希望しているのだから。私は箕浦氏の説を一歩進めて論じないわけにはいかない。箕浦氏が心配する「ヒュウマン・ウィチキス」(人間の浅はか)[human wickednessのこと]は、人間である限りかならずついてまわる物である。一度この持病の発作が起きると、普通の薬では治すことはできない。この持病の抑えとなるのは人身の自由を保証した証文であり、これ以外に持病を防ぐ手段はない。イギリス政府に圧制のてんかんが起きた時にこれを押さえたのはマグナカルタであった。政府・人民の利害が一致しなくなるのは、「ヒュウマン・ウィチキス」の起こるためである。これが起こるのはやむを得ないことなのだから、自由保護法が必要となる。私は切にこのきまりが作られることを希望する…

この文章は、末広重恭を捕らえたのは、ひどい刑罰を与えることによって、言論の自由を求める声をおさえこもうとしているのではないか、と考えて書かれたものでしょう。そして、政府に対し、自由を抑圧しようとすると外国のように騒動が起こり血が流れることになるぞ、と警告しているわけですね(◎_◎;)勇気がありすぎて心配になる文章です…💦

・8月15日

成島柳北(1837~1884年)は、『朝野新聞』で、

…村夫人(田舎の先生・見識の狭い学者のこと)には塾生が数人いた。円になって座り、朝野新聞を読む。そこで新聞紙条例・讒謗律を読み、一人がこれはどこの国の法律が載っているのか、と尋ねた。甲吉が言った、「これは台湾の法律である。去年台湾を攻めた時、官庫から手に入れてきたのだろう」。乙平が言った、「ちがう、これは清国の法律である」。丙助が言った、「いやいやこれはロシアの法律である。日本はロシアと国境を接しているから、その国の法律を使うのであろう」。丁蔵が言った、「みんなまちがっている。これはドイツの法律を模倣したものである。日本の政府はドイツがフランスを力で従わせたのを見て、それにあこがれ、ドイツの法律を採用したのだ」。戌兵衛が言った、「諸君はなんて無知なんだ、これはトルコの新聞条例である。開化の具合がいまだにイギリス・アメリカに及ばないので、日本と同程度のトルコの新聞条例を利用したのだ」。議論は決着しなかったので、皆は村夫子に質問した。村夫子は言った、「お前たち、わかったふりをするのはやめなさい。これはロシア・ドイツの法でなく、トルコ・清国の法でもない。我が大日本帝国の法律である」。弟子たちは言った、「夫子は私たちをだまそうとしているのですか、わが国にはもともと新聞無く、新聞についての法律を、他から借りずに自前で作れるわけがない」。夫子は眼を怒らし、大喝して言った、「お前たちは不敬にも、政府の作った法律をむやみやたらに議論している!その罪許し難し!塾の決まりにのっとって、各自に罰金一銭を命じる!」弟子皆戦慄し、財布を振って一銭を渡した。夫子はにっこりと笑って銭をもらい、妻に向かっていった、「これで夜食のおかずを買いに行きなさい」。

…と、婉曲に改正新聞紙条例を批判しています。

・8月30日

『郵便報知新聞』にて箕浦勝人は次のように嘆き、新聞紙条例を皮肉ります。

…6月28日は改正新聞条例が成立した日で、30日は内容が新聞に掲載されて世に広まった日であるが、私は、毎月28日、30日になると、しみじみとした気持ちになる。7月以後の新聞は、その前と比べて、やや嘆かわしい様子が見られる。逆に前よりも激しくなったものもあるけれども、以前のように思ったことをそのまま書けることは稀になり、論ずべき話題も、たとえ話を使うなど、遠回しな言い方で扱わざるを得なくなった。これによって読者に与える感動は薄くなり、世の与える利益に悪い影響を及ぼすことになってしまった。…私が同業の記者たちについて考えるに、このような条例をもって保護しない方が、国の平穏を害するような議論をする者がいなくなり、国の利益となる文章を書くようになると思う。これは私が同業の者をひいきしているだけかもしれないので、確かなことは言えないが。しかし、世の中で条例のことを嫌に思う者は、失礼の無いようにかしこまって自分の状態を進歩させるしかないのだろうか。そのくらい私たちの程度は甚だしく低いのだろうか。ああ。

・1876年2月15日

後に自由民権運動で中心的な活躍をすることになる植木枝盛(1857~1892年。のちに衆議院議員)もまた、『郵便報知新聞』で、

…人と猿を分けるものは思考力・想像力である。考えたことを伝え世の中を成長させるのは言論である。暴君はこの言論の自由を制限しようとする。言論の自由が制限されると、ただだまって政府の言うことを聞けばいいとなり、思考力・想像力はおとろえる。このような政府は人間を猿にしようというもので、私はこのような政府を「猿人政府」と名付ける。

…と批判しています。

・1876年7月1日

木庭繁・波多野克己は『草莽雑誌』で、

①新聞紙条例13条には、政府を変更したり、倒したりすることについて書いた者に罰を与える、とあるが、政府は悪事を行うことが絶対に無いという事か。悪事があれば、必ず誰かはその責任をとらなければならない。そうなった時、その者を変更したり、倒したりするのは国民の権利にして、義務ではないのか。イギリスの憲法では、悪事が起きても君主に責任はなく、政府が責任を負うという。なんとイギリスの憲法の美しいことか。なんとイギリスの役人の忠義に厚いことか。日本では役人を選挙で選べず、国会もない。そのため、法律は、自分たちで選んだ者の作った物だから聞くように、とならず、天皇陛下が仰せになっているのだから聞くように、となっている。これではその法律が悪法ならば天皇陛下に攻撃の矛先が向くではないか。これは天皇陛下を隠れ蓑にして自分たちは責任を免れようとする、あまりに不忠な行いではないか。このような、天皇陛下の評判を貶める、虎の威を借る狐のような役人をやめさせようとする行いは、天皇陛下に対する一大忠義といえないか。天皇陛下を隠れ蓑にするは私利、天皇陛下の為にというは義務である。どちらが天皇陛下の威を借りるのに適当であるか、どちらが天皇陛下の評判を貶めないか、少し考えればわかることである。13条は、政府を…ではなく、天皇をやめさせることについて述べた者は罰する…に変更すべきである。

②第14条には、法律を批判するものには罰を与える、とあるが、法律の良くない部分を批判するのは国民の義務である。そうしなければ国民の権利に害が及び、国民の権利が守られなくなってしまうからである。今できた法律が完全な物かどうかは、後の世になってみないとわからない。法律が完全でない時、法律を完全にするものは何か。批判である。批判を禁止してどうして法律を改良できるだろうか。また、法律は今日は適当でも、明日には不適当な内容になっているかもしれない。役人の間違った見解により作られた法律もあるだろうし、役人が自分勝手に作った法律もあるだろう。改良が必要な法律は枚挙にいとまがない。批判を禁ずるというのは、良くない点が見つかっても、改良するつもりがないということか。

…と痛烈に批判しました。

・1875年9月3日

一方で、擁護する論説もあり、『東京日日新聞』は次のように述べています。

…新聞紙条例は論理的な意見を抑えるために作られたのではない。政府は言論の自由を、社会の治安が妨害されない範囲に収めようと、その限界を設定したに過ぎない。論者の私は発言が過激・感情的になることなく、7月上旬以来、条例が障害だと感じたことはない。しかし世間では、ある者は条例は言論を抑えつけるものだといい、ある者はどんなに過激であっても言論の自由は制限してはならない、と言う。ヨーロッパの国々で、言論の自由を認めないところはない。しかし、言論自由を制限しないところもまた無いのである。自由の制限とは条例のことで、プロイセンでは検閲はしてはならないが、その他の出版の自由は法律によって制限を受ける、とし、オランダでは、法律に違反しない限りは許可を得ることなく自由に出版ができる、とし、イタリアは、出版は自由、しかし法律でその行き過ぎを抑える、とし、オーストリアは、国民は言論・出版の自由を持つ、しかし自由は法律の範囲内にとどまる、とし、ベルギーは、言論の自由を認めるが、言論の上での犯罪は認めない、スウェーデンでは、出版の自由を保障する、しかし、法律でその行き過ぎを罰するために処分を定める…としている。

確かに正論なのですが、当時国会がなく、法律を作るのに国民が関わることができていなかったのですから、「法律の範囲内」というのは政府のやりたい放題になってしまいます(-_-;)

「法律の範囲内」というのは、「国民の代表が作った」「法律の範囲内」、でなければいけません。

大日本帝国憲法は、よく「法律の範囲内」といって自由を制限している!と批判を受けているのですが、大日本帝国憲法には、法律を作る際には選挙で選ばれた議員の賛成を必要とする、と書かれているので、「国民の代表が作った」「法律の範囲内」の制限であり、他国と変わらないので、批判するのは見当違いです。

さて、新聞紙条例・讒謗律の批判の動きに対して、政府はこれを容認せず、

どこかの国の如く、批判する者たちを次々と逮捕していくことになります。

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