朝ドラ「らんまん」、ついに終わってしまいましたね…😢
最終回はほんと胸熱でした…( ;∀;)
さて、今回は「らんまん」の主人公(ヒロイン?)、
牧野富太郎(1862~1957年)についてのエピソードを紹介します😆
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇牧野富太郎が大金を手にしたらやりたかったこと
牧野富太郎は『混混録』にて、
大金が手に入ったらしたいこととして、次の2つを挙げています。
①火山を半分に縦割りにして見たい
②富士山の美容を整える
なんだかスゴイことを言っていますが、それぞれいったいどういうことなんでしょうか。
牧野富太郎は趣味について聞かれた際、
「超越して特に深い趣味を感受するものは、何んといっても天性好きな我が専門の植物」であるが、
その他にも「いろいろの趣味」があり、「その中でも音楽、歌謡、絵画は最も興深く感じます。また自然界の種々な現象、種々な生物ならびに品物についても趣味を感じ、殊(こと)に火山については最も感興を惹きます。」
…と答えています。
富太郎の次女、牧野鶴代(1898~1974年)も、
「父は非常に火山が好きでして、熊本の阿蘇山が噴火しているとき、そばまで見に行きましたし、桜島の噴火なども見に行ったそうです」と語っていますが、
火山好きは相当なものであったようで、ついには、
「私はこの富士山がどうか一つ大爆発をやってくれないかと期待している次第だ。」大爆発して「多量の熔岩を山一面に流すとなれば、それはそれはとても壮観至極なものであろう。もし夜中に遠近からこれを望めば、その山全体に流れる熔岩のため闇に紅の富士山を浮き出させ、忽ち壮絶の奇景を現出するのであろう。そこが見ものだ、それが見たいのだ、山下の民に被害の無い程度で上のような大爆発をやってくれぬものかと私は窃(ひそか)にそれを希望し、さくや姫にも祈願し、一生のうちに一度でもよいからそれが見えれば、私の往生は疑いもなく安楽至極で冥土の旅路も何んの障(さわ)りもないであろう。」とまで言ってしまっています(;^_^A
(大爆発したら絶対周りに影響が出ないことは無いと思うけれども…💦)
そのため、富太郎のお金があったら是非してみたいことはどちらも火山に関する事なのですが、
「①火山を半分に縦割りにして見たい」について、富太郎は次のように言っています。
「もしも万一レコ(※1)が千万円も懐に這入(はい)って来た事が夢ではなくて本当にあったなら早速その仕事に取り掛る段取りになるのだが、どうもこの福の神ゴ入来は少々当てにゃならんらしいから、まずここは一場のオ話に止めておくより外致方はあるまい。千万長者に生まれなかったばっかりにサテも残念至極な事だ。苟(いやしく)も名を後世に垂れんとするにはこの位デッカイ事をしでかさんとモノにゃならん、そこに来ると秦の始皇は全くエライよ、万里の長城は始皇の名と共に不朽ではないか、またピラミッドもこの類だネ。
私は一つの火山を縦に半分に割ってその半分の岩塊を全部取り除けてみたい。つまり山を半分にするのだ。これを実行するには大きな山はとても手におえずアキマヘンから、なるべく小さい孤立した山を択(えら)びたい。それにはかの伊豆の小室山が丁度持って来いだ、これならなし遂ぐべき可能性が充分にある、そしてそれが休火山と来ているのだから願うてもない幸いだ。
さていよいよその山が半分になったと仮定して見たまえ、すなわちそれが元は火山であるのだから、これを縦に割ったら忽(たちま)ちその山の成り立ちやら組織やらまた年代やらが判明し、そこで火山学や岩石学、地質学などに対しどれほど無類飛切りな好研究資料を提供するか知れない。かの有名なジャヴァのクラカトアの火山(※2)が半分ケシ飛んでいるが、マアそんなものになる訳だ。クラカトアの方は強烈な天然の爆発力でアノ様になったのだが、われはそれを人間業(わざ)で行こうというのだ。まだ今日まで世界広しといえども、こんな事をしたのは何処にも無かろう。それを学術のために日本人がしでかそうというのは褒めた話であるといってよい。日本は戦争にも負けたが、それでもなかなか馬鹿にならん大きな考えを持っている人があると当世の人々はキット瞠目するのであろう。」
※1 レコ…「これ」を逆にした隠語で、お金のこと。
※2 ジャヴァのクラカトア…ジャヴァとはインドネシアのジャワ島の事で、クラカトアは正しくは「クラカタウ」のことで、クラカタウはジャワ島のすぐそばにある。クラカタウに含まれるラカタ島は1883年の大爆発によって、陸地の4分の3が吹き飛んだ。
現在、「休火山」というくくりは無くなり、火山か、火山でないか、と区別されるようになっています。休火山であっても、いつかはまた噴火する可能性があるわけで、休火山を半分に割ったら大変なことになっちゃうんじゃないかと思います(;^_^A
そしてもう1つの希望、「②富士山の美容を整える」について。
「その希望の一つは何んであるかというと富士山の姿をもっと佳(よ)くする事だ。富士山を眺めると誰れでも眼に着くが東の横に一つの瘤(こぶ)があるだろう、あれはすなわち宝永山(※)だ。人の顔にコブがあって醜いと同じことで、富士にもコブがあっては見っともよくない。元来あのコブの宝永山は昔は無かったものだが、今から二百三十年前の宝永四年にアンナ事になっちゃった。考えてみるとそのコブの出来る前はもっと富士の姿が佳かったに違いないが不幸にしてあんなものが出来たから悪くなった。
そこで私は富士山の容姿をもと通りに佳くするためにアノ宝永山を取り除いてやりたいと思う。それは訳のない事で、もともと富士の側面の石礫岩塊が爆発のために下の方に噴かれ飛んでそれが積って宝永山のコブと成り、これと反対にその爆発口は窪んで大穴となっているからその宝永山を成している石礫岩塊をもと通りにその窪みの穴に掻き入れたらそれで宜しいのだ。そうすると跡方もなくコブも無くなり、同時にその窪みも無くなって、富士の姿が端然と佳くなるのである。姿の佳いのは姿の悪いのよりはよい位の事は誰れでも知っているでしょう。そうなりゃどんな人でも私のこの企てに異議はなく皆々原案賛成と来るでしょう。
近頃は美容術が盛んで方々に美容院が出来、女ばかりでなく随分男の人までもそこへ出入する時世だから、富士の山へも流行の美容術を施してやる思い遣りがあってもしかるべきだ。そして世人をアットいわせるのも面白いじゃないかね。やるならこの位の事をやって見せぬと大向こうがヤンヤと囃(はや)してハシャガナイ。右はとてもイイ案でしょう。
ところが、いよいよそれをやるとなるとレコがいる。もしも私が三井、岩崎の富を持っていたらそれを実現させてみせるけれど、悲しい哉(かな)、命なる哉、私はルンペン同様な素寒貧であれば、どうも幾らとつおいつ考えて見ても、とても一生のうちにそれを実行する事は思いも寄らない。仕方がないから、この良策は後の世の太っ腹な人に譲るとしよう。」
※ 宝永山…1707年の噴火によってできた富士山の2500m付近にできた火山。宝永山の標高は2693mなので、周囲との標高差は約200mあることになる。
これは私もそうした方が良いんじゃないかな、とも思います(;^_^A
富士山の綺麗な形があそこで崩れてしまっていますからね…。
しかしネットで調べてもそういう計画は一切たてられていないようなので、
これも危険なことなのでしょう(;^_^A
調べてみると、火山は噴火口からガスを出して中の圧力を軽減させているので、それをふさいでしまうと大爆発を招く可能性があるのだとか💦
これはダメですね…😞
ならばふさがないまでも、せめて宝永山を削り取って、よそに持っていく、というのはできないのでしょうか…それも何か問題があるんでしょうかね(;^_^A
さて、牧野富太郎の2つの希望について紹介してきましたが、
この2つの希望からは、牧野富太郎の、後先を考えず、とにかくやってみる、という冒険精神が伝わってきます(;'∀')
(火山が噴火したと聞いたらそこに行くのも危険ですし、山に登ったら、ぐらぐらしている崖の突端まで行かないと気が済まなかった、というの危険ですし[実際、九州の山で岩の上に落ちて背骨を折って3か月動けなかったこともある。富太郎の妻の寿恵子[1873~1928年]はよく、山でケガをして死んでしまうのではないか、と心配していたという]、横倉山を雷雨の中、4日間採集して回った、というのも危険です。運がよかった、としか言いようがありません…💦)
まぁ、牧野富太郎が王様とか財閥のボスであったら、日本はいったいどうなっていたのだろうか、というのは気になる所ではありますね(;^_^A
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