律(衛禁律・職制律)には事細かに、天皇に対してこういうことをしたらこういう罰が下されるよ、ということが書かれています。
さぞ重い罰が与えられるんだろうな…と思いきや、実はそうでもないようで…⁉
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇律に載せられている不敬罪の数々
◆衛禁律逸文
・伊勢神宮の門に䦨入(乱入。無理矢理押し入る事か)した者は、徒刑1年。中社(格式が2番目の神社。住吉大社[摂津国の一宮]や上賀茂神社・下鴨神社[京都]など)・小社に門から乱入した者は、それぞれ三等ずつ罪を軽く扱う。
・山陵(天皇・皇后の墓。御陵)の門に乱入した者は笞罪50。垣根を越えて乱入した者は杖罪100。陵戸が気づかなかった場合は二等罪を軽く扱う。
・宮城門・宮門(内裏の外部の門)に乱入した者は徒刑1年。殿門は徒刑1年半。閤門(内裏の内部の門)の場合は徒刑3年。兵器を持っていた場合は罪を二等重く扱う。御在所(内裏の中)に乱入した者は絞刑。兵器を持っていた場合は斬刑。迷って間違えて入った場合は天皇が判断する。御膳所(内裏の台所。内膳司か)に乱入した者は徒刑2年。
・宮門に乱入しようとして止められたものは杖罪60。殿門については罪を一等加える。閤垣(閤門の周囲の垣根)を乗り越えた者は絞刑。殿垣は遠流。宮垣は近流。宮城垣は徒刑3年。京城垣(平常京を取り囲む垣根)は徒刑1年。
・宿衛の者が別の者を勝手に宿衛にして、宮城(宮門)の内部に入れた場合は、流刑3千里。宮殿(内裏)内の場合は絞刑。担当する役人がわからなかった場合は罪を二等軽く扱う。
・高い所に登って禁中(宮門の内部)をのぞく者は、杖罪100。御在所(内裏)の中をのぞいた者は徒刑1年半。
・弓矢を宮垣(内裏の外部の垣根)に当てたものは徒刑1年。殿垣(大極殿を取り囲め垣根)に当てた者は罪を一等加える。閤門内部に弓矢を射た者は徒刑3年。御在所(内裏内)に射た者は絞刑。瓦や石を投げた場合は罪を二等軽く扱う。弓や石などで人が殺傷された場合は、殺傷の罪で取り扱う。
17条 天皇が移動しているときに、衛士の警固の隊列に突入した者は杖罪100。(より天皇に近い)兵衛や内舎人の隊列に突入した者は徒刑1年。誤って入った場合は二等罪を軽く扱う。家畜が宮門内に入ってしまった場合は杖罪70とする。兵衛・内舎人の隊列に突っ込んだ場合は笞罪50。
18条 宿衛の者が出勤しなければならない時に出勤しなかったり、休暇を得た期間を過ぎても出勤しなかったりした場合は笞罪20。3日につき一等罪を重く扱う。杖罪100に至った時は、その後は5日につき一等罪を重く扱う。徒刑2年を最高刑とする。
19条 宿衛が武器を身につけていなかったら笞罪50。持ち場を離れた者は一等罪を重く扱う。別の場所を担当していたらさらに一等罪を重く扱う。担当する役人はそれぞれに罪二等を加える。
◆職制律
7条 天皇の移動に随行するときに遅れたり、先に帰ったりした者は、笞罪30。
16条 天皇の衣服を担当する者が、衣服を自分で使用したり、人に貸したり、また、それを借りた者は、徒刑2年。天皇が身につけないもの(帷帳[室内に垂れ下げる布]やひじ掛けや杖など)の場合は、杖罪100。役所内で使っただけの場合は、罪を一等軽く扱う。
22条 詔書通りに実行しなかったら徒刑2年。
◆賊盗律
31条 天皇の墓に生えている木を盗んだ者は杖罪100。草は3等軽く扱う。他人の墓の木を盗んだ者は杖罪70。
ちなみに明治時代の刑法では、天皇に関する条文は意外と少なく、わずか2つのみです(◎_◎;)
旧刑法(明治13年[1880年])
116条
天皇…に対し危害󠄂を加え又は加えんとしたる者󠄁は死𠛬に処す
117条
天皇…に対し不敬の所󠄁為ある者󠄁は3月󠄁以上5年以下の重禁錮に処し20円以上200円以下の罰金を附加す
刑法 (明治40年[1907年]。1947年に削除)
73条 天皇…に対し危害を加え又は加えんとしたる者は死刑に処す
74条 天皇…に対し不敬の行為ありたる者は3月以上5年以下の懲役に処す
神宮又は皇陵に対し不敬の行為ありたる者亦同じ
ムム…こちらも意外にかなり軽いですねΣ( ̄□ ̄|||)
戦前はもっと厳しいと思っていたのですが、不敬罪でも最高5年の懲役なんですねぇ💦ビックリです。
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