今回は「人間は社会的動物(存在)である」の名言で有名なアリストテレスの「政治学」を紹介していきたいと思います!😆
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇「人間は社会的動物である」
アリストテレス(前384~322年)は古代ギリシャの哲学者で、様々分野に精通しており、そのため、「万学の祖」とも呼ばれる偉大な人物です。
そのアリストテレスが晩年の紀元前330年頃に執筆したのがこの『政治学』です。
今回の漫画では取り上げませんでしたが、有名な名言の「人間は社会的動物(存在
)である」と述べた部分について紹介しましょう。
…相手無しで生きられない者は自然に結びつく。男と女は結びつかなければ子どもをなせない。そして子孫が増えてくると、分家して家が増え、村ができる。より善く生きたいと思うのは自然なことである。足りないものを補い合うために、自足するために村々が結びついて国家を作るのはそのためである。こうして見ると、国家ができるのは自然であり、人間は生まれながらに国家を作ろうとする(必要とする)政治(ポリス)的な動物なのだと言える。
下線部が有名な部分なのですが、原文では「ἄνθρωπος φύσει πολιτικὸν ζῷον」(人間はもともと[生まれながらに]政治(ポリス)的な動物である)と書かれています。
人間は国家なしでは生きられない存在だというのですね。
アリストテレスは続いて、「国家を必要としない人間は、悪人か、人間を超えた存在のどちらかで、ホメロスはこれを「無法者」と非難したが、好戦的(喧嘩好き)で、孤立する人間である」と述べています。
つまり、アウトローですな。でも、アウトローでもサバイバル生活をするわけではないでしょうし、社会の中だからこそ生きられると思うんですけどね(゜-゜)
さて、国家の発生について述べた後、アリストテレスは、最善の国家の体制について考えをめぐらしていくことになります。
〇最善の国家を作るために
アリストテレスの『政治学』は8巻にもなる大著で、(今回特にお世話になった)光文社古典新訳文庫版でも、上下巻、約1000ページもあります。
しかし、重要なポイントはほぼ3巻部分に詰まっています。
今回は、その3巻部分を中心に紹介していきたいと思います。
アリストテレスは国制(国の政治体制)を次のように分類します。
王制…単独者による支配
貴族制…少数者による支配
共和制…多数者による支配
この3つに共通しているのは、どれも全体のためになること(公共善。共通の利益)を実現するために活動する、という事です。
しかし実際は全体のために活動する、というのは難しく、どうしても一部のための政治が行われるように変質してしまいます。
王制は、単独者のために政治を行う独裁制に、
貴族制は、少数者(富裕者)のために政治を行う寡頭制に、
共和制は、多数者(貧困者)のために政治を行う民主制に(民主制では多数者の意見が決定権を持つ[多数者に多くが配分される]というのが正義である、と第6巻第2章で述べられている)。
アリストテレスは、この3つの中では民主制が最善だと言います(第4巻第2章)。
民主制は多数者のために政治を行うのですから、最も多くの人のために活動しますからね。
それでも、全体のために活動する王制・貴族制・共和制には劣るので、「悪くない」だけだとアリストテレスは言います(;^_^A
しかし、ある人は貴族制こそが最も正しい、と言うでしょう。
「政治の恩恵を一番多く受けなければいけないのは、多くの税を納めている富裕者であるべきだ。格差があるのは当然だ」と。
確かに道理ですが、富裕者ばかりを優遇するのでは、その国制(寡頭制)を保つことは難しいでしょう。
アリストテレスが内乱は貧困者が富の不平等を不満に思い、平等を求めて起こされることがほとんどである、と言っている(第5巻第1章)ように、内乱が発生して寡頭制の政府は倒れることになるからです。
そうなると、今度は貧困者たちは貧困者中心の、富裕者をなおざりにした政治を行う(民主制)を行うことになるのですが、これでいいのでしょうか?
アリストテレスは、国家というのは一部のために存在するのではなく、全体が幸福で、善く生きられるように知るために存在するのであって、一部のために政治を行うのでは、それは一つのまとまった共同体とは言えなくなる、と言います(第3巻第9章)。
だから、富裕者が貧困者を収奪することはもちろん、貧困者が富裕者の財産を没収して分配しようとすることも、どちらも良くないことだ、とアリストテレスは言うのですね。
実際、「平等」を求めて富裕者の財産を没収して分配したソ連は崩壊しましたし…
平等の行きつく先は努力しても報われない、無気力な世界になっていくのですよね…。
アリストテレスは、国家には財産が必要だ、だから財産の所有者である(財産を生み出す力がある)富裕者の存在も国家に必要だ、と言っています(第3巻第12章)。
富裕者・貧困者、両者の協力が必要になってくるのですが、アリストテレスは、富裕者は「富」も「徳」(品性。善行を実行する能力)もあるが、貧困者は「富」もなければ「徳」もない、と貧困者に厳しい評価を下しています(;^_^A
そうなると富裕者だけに政治を任せた方が良いのですが、
アリストテレスは、貧困者は政治に参加できないと不満を持ち、国が不安定になるからそれは良くない、と言います。
かと言って貧困者(大衆)は善行を実行できる「徳」が無いので、重要な職を任せられない。
ならばどうするか。
アリストテレスは、民会(国会)での審議や裁判など、判断が必要になることを任せるのが良い、といいます。
なぜかというと、貧困者(大衆)は個人的な能力は乏しいけれども、集まることで能力を発揮するようになるからだ、と言うのです(◎_◎;)
判断が必要になる事は、多人数で判断したほうが、個人によってそれぞれ注目する点が異なってくるため、多面的に物事を見ることができます。
だから、アリストテレスは多くの者が集まった方が、より優れた判断ができるようになる、と言います。
しかし心配になるのは、大衆は専門的な知識が無いので正しい判断を下せるのか、という事です。
アリストテレスは2つのことから、これは大丈夫、と言っています。
①大衆は専門的なことは知らなくても、身を持って体験してきているので、優れた判断者になり得る。
②専門的なことは、民会の前に審議会でわかりやすく整理したものを、民会に参加する大衆に説明する。
この審議会のメンバーは、「公職」にあたります。
アリストテレスは、「公職」とは「命令する」権限を持つ職務の事だ、と言います。行政官(役人)や司法官(裁判官)ですね。
アリストテレスは、この公職につく者がなんでも思い通りにできないようにしなければならない、言います(第6巻第4章)。
なぜなら、「命令する」権限というのは強力で、なんでも自分勝手にできる状態になると、人はどうしても悪をおさえきれなくなってしまうからです。
ですから、公職者の暴走を抑えるために、大衆には、公職者を選ぶ権限と、公職者を審査する権限(大衆から選ばれた裁判員に与えられる権限)が必要になる、とアリストテレスは言います。
また、アリストテレスは、公職者は同一人物が何度も就けないようにすること、任期も短くすることも必要だとし、その上で、民会(で成立した正しい[国家全体のためになる]法律)に最高の権限が与えられるようにしなければならない、と言います(第6巻第2章)。
民会は判断して許可を出すところで、民会が許可しなければ公職者はなにも実行できませんから、民会に最高の権限がある事になります。
この強力な民会のメンバー(審議員)はどのようなものが成るのか、という事について、
アリストテレスは、
①市民が順番に審議員となる。重要なことを決める時は市民全員で決める。
②重要なものは市民全員で決めるが、それ以外は公職の者に委ねる。
③すべての事を全市民が集まって決める。
④ある一定の適度な額の財産を持っている者全員が審議員となる。
⑤一定の財産を持っている人の中から選ばれた人が審議員となる。
⑥あるものごとは選ばれた審議員が、あるものごとはくじ引きで選ばれた審議員が審議する。
⑦選ばれた審議員とくじ引きで選ばれた審議員が共同で審議する。
…の7つのやり方がある、と言っています(第4巻第14章)。
今の国会議員の惨状を見ると、国会議員はくじ引きで選んだ方がいいんじゃないかな…とも思いますね(;^_^A
それにしても、すでに紀元前の時代に、民主主義の要点がまとめられていたとは驚きです(◎_◎;)
ここから啓蒙時代(17世紀後半~18世紀)になるまで約2000年間も進歩しなかった、ということになりますが…(-_-;)
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