「宗論」とは異なる宗派・宗教の間で行われる論争の事です。
キリスト教が日本にやって来て、その勢力を浸透させ始めるや、
日本の仏僧たちはこれを黙視できず、仏教とキリスト教が衝突することになったのですが、これは、キリスト教が仏教と共存を図らず、仏教を悪い教えだと言ったのも関係していたでしょう😓
キリスト教を国教としたローマ帝国は寛容さを失い、それがもとで衰退した、という説もあるくらいですが、キリスト教は排他的なところがあります。
(キリシタン大名の領地では寺院が破壊された例が見られます)
さて、前回で日乗が信長に宣教師の追放を訴えたことを紹介しましたが、
信長はこれに対し、両者に論争を行なわせることにしました。
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
●キリスト教VS仏教
以前に紹介したように、フロイスは信長から、(信長が)美濃に帰国する前に、将軍義昭に会う際に着て行ったポルトガルの衣服を持ってもう一度会いに来てほしい、と言われていたので、フロイスはこの約束を守って信長のもとを訪れました。
書簡には「信長が帰国する前日」とあり、ここから、4月20日に会いに行ったことがわかります。
この時、信長の宿泊していた妙覚寺は客であふれかえっていました。信長の帰国が近いと知り、その前に会いに来た人が多くいたためでしょう。
フロイスは待たされることになると思ったでしょうが、フロイスがやって来たことを知った和田惟政が信長にこのことを知らせに行った結果、信長はやって来た順番に関係なくフロイスと会うことにしています。ファストパスというやつですね。
フロイスは今回も贈り物を携えてきており、書簡によれば、それは中国製の紅紙(紅花で染めた紙)(※アルカラ版では「赤い大きな印の入った紙」)1帖、ロウソク1束であったようです。
信長はこのロウソクに自ら火をつけた、と書簡にありますが、驚きなのは火をつけた後長い時間手に持っていた、と書かれていることです。直接持っていたらロウが溶けてきて危険なので、燭台を手に持っていた、という事でしょう。
信長は「いつも通りの愛想の良さで」フロイスに公方様に会った時に着た服を持ってきたかどうかをフロイスに尋ね、フロイスが持参したと答えると、それを着るように要望します。
書簡では、この服について、「オルムス(ホルムズのこと。ペルシャ湾の入り口にあたる部分にある港湾都市[現在はバンダレ・アッバースという都市名になっている]。1515年にポルトガルによって征服されていた)のダマスコ織(日本でいう緞子)でつくったはなはだ短く古い潅水式(水を頭に注ぐやり方で洗礼を行なうときに着る服)用の外套で古い金襴の飾りがついたものと、黒い縁なし帽」であったと記しています。
一方で、『日本史』は「オルムス製の金襴(金の糸で模様を表した織物)でできた袖なしの外套」(capa de borcadilho de Ormuz)と記すのみです。
信長はこの衣服をとてもゆっくりと見て、これを賞賛した(『日本史』ではその華やかさをほめている)といいます。
フロイスは客を多く待たせているので、信長に別れの挨拶をしようとしますが、信長は「たいしたことではない」と言ってフロイスを引きとめています。
この後フロイスは、日乗が信長に宣教師の追放を要望したこと(別項で記述)を和田惟政から聞いていたので、仏僧が我らの事についてでたらめな事を言って中傷をするかもしれないが、それを信用しないでほしい、と信長に伝え、さらに、信長が帰国した後は、都の奉行として残る和田惟政を、宣教師の保護者とするように求めました。
信長は、なぜ仏僧たちは宣教師たちを憎むのか、と質問し、これにロレンソは、仏僧たちとキリシタンは、熱いものと冷たいもの、美徳と悪徳のような違いがあるからです、と答えています。
続いて信長は、神(camis) や仏(fotoques)に敬意を払うのかどうかについて尋ねると、ロレンソはいいえ、と答え、「彼らも私たちと同じく妻子を持ち、生まれ、死んでいった人間で、彼らは自分自身を救うことも、死から解放することもできなかったのだから、まして人間を救えるわけがないからです」とその理由について述べました。
この時、日乗は信長の側にいたのですが(フロイスは日乗を知らなかった)、信長は「日乗上人はどう思うか、何か質問してみよ」と日乗に対し、キリシタンに質問することを促しました。
日乗は「では何を崇めるのか」と質問、これに「天地の創造主であるデウスである」と答えると、日乗はそれを見せるようにと要求、これに「見ることはできない」と答えました。
日乗は続いて「デウスとは釈迦や阿弥陀より前から存在するのか」と尋ね、これに「無限にして永遠の存在であり、始まりが無ければ終わりもありません」と答えたところ、日乗は突然、信長に「彼らは詐欺師でありますから、都から追放し、戻れぬようにすべきです」と提案しました。
これに信長は笑いながら、「気を落ちつけて、質問を続けるがよい」と答えています。
しかし日乗が黙っているので、ロレンソが日乗に、誰が生命を作ったか、知恵と善の始まりは誰かと尋ね、日乗はわからないと答えたので、ロレンソがこれらの事について説明したところ、日乗は禅宗とデウスは同じだ、と言ったので、その違いについて説明していると、日乗は再度、信長に、「彼らを追放するのが遅れて、彼らが都にいたために前の公方様(足利義輝)は殺されたのです」と訴えました。
この訴えに対する信長の反応について、フロイスは次のように記します。
…信長はもともと神仏をそこまで崇拝しているわけではなく、むしろ坊主に対して厳しい表情を示すことが多かった。今回の場合も、日乗の言葉に対してほめることがほとんどなかった。
ここで信長がフロイスたちに質問します。
「デウスは、善行に対して褒賞を与え、悪事に対して罰を与えるのか」
これにロレンソは、「その通りです。褒賞は2通りあり、現世での一時的なものと、来世での永遠なものがあります」と答えました。
これに日乗が反応し、「つまり死後に褒賞や罰を受けるものが存在するという事か。不滅な物などある訳がない」と言ってあざ笑いました。
ロレンソは病気であり、また、ここまで2時間(『日本史』だと1時間半)も宗論をしてきたので疲労しており、ここで答弁する者がフロイスに交代しました。
フロイスは日乗の言葉に対し、「仏教は全てのものは「無」であるとし(色即是空の考え。全てのものは実体がなく、空虚なものである、とする)、目に見えるものに対する理解を深めようとしない。目に見えない霊魂について驚くのも当然である」と答えます。
これに対し日乗は、「霊魂があるというなら、それを見せてみよ」と言い、フロイスは、「人間には物を見る方法に2種類あり、1つは体の目、もう1つは心の目である。霊魂は体の目では見ることができない。しかし、心の目で見れば存在すると理解することができる。病気になった時、理性が衰えるならば、肉体の消滅と共に霊魂も消滅する、ということになるが、例えば肺病にかかった時に、肉体は衰えるが、理性には何の変化もない。牢屋にいた人は、肉体が衰えるが、解放された時、心は以前よりも大きな活力を得ている。これらのことから、霊魂が肉体と連動しておらず、合成のものでないことがわかるので、死後に霊魂が残ることがわかる」と答えました。
(『日本史』では肺病と牢屋の例え話は書かれておらず、肉体の最盛期は20代、30代だが、知恵の最盛期は50代、60代であることを示して、肉体と精神がつながったものでないことを説明している)
この返答を聞いた日乗は激高し、「霊魂があるというなら、それを見せて見よ!霊魂を確認するために、今から私はそなたの弟子の首を斬ることにする!」と言って、部屋の隅にあった長刀(なぎなた)を手に取り、鞘からはずそうとしました。これを見た信長は日乗を背後から羽交い絞めにし、和田惟政・佐久間信盛などは日乗の手から長刀を奪い取りました。
信長は日乗に「我の前でこのようなことをするのは無礼であろう」と言い、和田惟政は、信長殿の前でなければそなた(日乗)の首を刎ねていた、と告げました。
フロイスは信長が、無礼を働いた日乗を許した理由について、前日に内裏の修理費用として4・5千クルザードを渡していたからだろう、と推測しています。
フロイスが信長に、「私は彼を挑発したわけではなく、ただ教えの内容を明らかにしようとしていただけで、ただ今の騒乱は彼が勝手に引き起こしたものです」と伝えたところ、日乗はフロイスを手で押しましたが、信長はこれを厳しく注意しています。
日乗は信長に何度も宣教師たちを追放するようにと繰り返し言い、「釈迦を悪く言う者には必ず罰が下るだろう。拙僧の弟子になれば、名誉と恩恵が受けられるであろう」とフロイスに告げました。
これにフロイスが「前から言っているように、私たちは世俗のものを欲しがっていません。弟子になさりたいなら、あなたから仏教の教えを詳しくお聞かせ願いたいものです」と答えると、日乗は追放の事ばかりを口にするようになり、ここで宗論は終わっています。
宗論について、書簡と『日本史』ではその内容が大きく異なっており、『日本史』では、
①ロレンソが日乗に何宗に属しているか質問
②日乗が何宗にも属していないと返答
③ロレンソ、それではなぜ頭を剃り、僧の身なりをしているのかと質問
④日乗、世間の煩わしさに嫌気がさしたからだと返答。
⑤ロレンソ、日乗に、比叡山であなたが学んでいたことを知っている、どのようなことを学んだのか、と質問。
⑥日乗、忘れたと返答
⑦ロレンソ、自分も比叡山で学んだことがある、そこでは、死ねば何も残らない、という話を聞いたが、このことについて、あなたは信じているのか、と質問
⑧日乗、私はわからない、それよりも、そなたたちの教えの要点を述べよ、と返答
⑨ロレンソ、デウスの事について説明。
⑩日乗、デウスの色や形について質問。
⑪ロレンソ、目に見えるものは無限の存在ではない。だからデウスは目に見えない。しかし、立派な存在であることはわかる。立派な芸術品を見れば、それを作ったものが立派であることが十分推測できるが、デウスがおつくりになられたこの地球を見れば、私たちを超越した存在であることがわかる、と返答。
⑫日乗、どのようにしてデウスに仕えるのか、と質問。
⑬ロレンソ:仏僧は貨幣や食物を供えるように説くが、デウスは全ての源であり、始まりであるから、それらを必要としない。デウスの祝福を得るためには、デウスを愛し、畏れ、デウスが私たちのためにお作りになった戒めを守ることである。 デウスは、自身に代わって世に定め置かれた人々…特に、父親、領主、主人など…に対して大きな崇敬と尊敬を抱くことと、恩義ある人々を畏れ敬うように、困窮している人々を助けるように、また、求めても救済を得られない人々に慈悲と憐れみを示すようにと命じている。これらのことに心を砕く者は、現世では平安と平穏を、来世では無限の栄光と永遠の至福を与えられる、と返答。
⑭日乗、なぜデウスを賛美しなければならないかと質問。
⑮ロレンソ、 デウスから絶えず受けている恩恵は莫大なものであり、特に、デウスを知り、愛することができるようにとデウスが与えてくださった生命と知恵に対して、崇拝と奉仕の義務を負っているからだ、と返答。
⑯信長、では、知恵のない、あるいは生まれつき愚かで無知な者たちは、デウスをたたえる義務は無いのではないか、と質問。
⑰ロレンソ:彼らも他の人たちと同じように、デウスを賛美する義務があります。デウスから多くの知恵を与えられた人間が、与えられた目的のためにそれを使うことを怠り、その知識で多くの邪悪な方法を考え出し、罪のない人々を破滅させるなどして国を乱すのをしばしば目にしますが、デウスから知恵をあまり与えられなかった者たちはこの点から、デウスを賛美しなければならないのです。なぜなら、もしデウスが彼らに知恵を与えたなら、彼らもまた、与えられた目的のために知恵を使わない者の中に入ったでしょうから、と返答。
⑱信長、この考え方は自分にはよく思える、よく理解できると返答。
⑲日乗、信長に、宣教師たちは民を欺いているので、都から追放し、畿内に二度と戻ってこれないようにすべきです、と進言。
⑳信長、笑いながら日乗に「興奮するな、尋ねよ、そうすれば彼らは答えてくれる」と伝える。
㉑日乗、なぜ目に見えないデウスとやらをたたえなければならないのか、と質問。
㉒ロレンソ:目に見えないものは存在しないとお考えなのか。例えば空気は目に見えないが、風が吹けばそれが体に当たるので、存在するとわかる。あなたは、人間の目に見える部分…肉体と、見えない部分…生命や知恵、どちらが重要だと思われるのか。肉体は目に見えない生命や知恵によって支配されているのである、と返答。
㉓日乗、目に見えない者が真の実体であるとは思えない、と返答。
㉔信長、デウスは、善には褒美を与え、悪には罰を与えるのかと質問。
㉕ロレンソ:そうです。しかし、現世での一時的なものと、来世での永遠的なものと、二通りあります、と返答。
㉖日乗:ということは、人が死んだ後も、その人の中に褒美や罰を受けるものが残っているとでもいうのか?と言って大笑。
㉗宗論が1時間半にわたり、ロレンソに疲労の様子が見えていたので、信長はこの後はフロイスが宗論を引き継ぐようにと命じる。
㉘フロイス:あなた(日乗)が私たちの話を聞いて驚くのも無理はない。日本の仏教は「無」であることを前提としており、日本の学者の知識と理解は、目に見えるもの以上に及んでいないからである。生命の実体である霊魂は目には見えないが、理性でそれが実在すると判断することができる。人間には2つの生命の形態があり、ひとつは動物的な生命…肉体で、もうひとつは知的な生命…霊魂である。霊魂は、肉体に依存することなく独立して人間の中に存在する。そういえる理由をたとえ話で説明しよう。深く考えようとする人はどうするだろうか?目に見えるものすべてに目をつぶり、音楽には耳をふさぎ、匂いや柔らかな香りには鼻をふさぎ、あらゆる食物を遠ざけて、人との触れ合いを排除する。つまり、肉体が鈍感で、使わない道具になればなるほど、霊魂はより自由に活動するのである。また、霊魂が肉体から独立していないとすれば、肉体が老いれば老いるほど、理解力は弱くなるはずであるが、肉体が完璧な力を発揮するのは20歳から33歳までである一方で、 理解力は、50歳、60歳と年齢を重ねるにつれて、物事に対する経験と知識が深まるため、より強くなる。このため、肉体を使う仕事をする時は、強くたくましい力が必要になるので、体力のある若い男性が雇われるが、深刻で重大な事件について話し合う際には、彼らは参加せず、老人たちの成熟した思慮深い助言によって決定される、 以上の事から、肉体と霊魂が独立した存在であることがわかる。そのため、肉体の死が訪れても、霊魂は破壊されることなく、滅びることも無いのである。
㉙日乗:肉体から分離した生命があるとは思えない。あると言うならば、ここに出して見せてもらおうではないか。
㉚フロイス:今までそれが実在するという証拠を数多く述べてきたではないか。
㉛これを聞いた日乗は、信長のいる場所であることも考慮せず、弓から放たれた矢のように立ちあがり、フロイスを押しのけて、部屋の隅にあった信長の刀を手に取り、刀を抜き始めて、「私は今からこの剣でお主の弟子のロレンソを殺すから、お主の言う霊魂とやらを見せて見よ!」と言った。
㉜これを見た信長や居合わせた者たちはすばやく立ち上がり、刀を背後から奪い取った。
㉝信長は日乗に、「そなたは間違った事をした、武器を持たず、暴言を吐くことなく、仏法について弁護しなければならなかった」と言った。
㉞この騒ぎの間、フロイスとロレンソはその場から動いていなかった。
㉟日乗は、その後もキリスト教を誹謗し、宣教師たちをこの場から連れ出すことを進言することを繰り返したが、その場に居合わせた人々は耳を貸さなかった。
㊱これに対しロレンソは次のように言った、「この場所はあなたのものでも、私たちのものでもありません。神父(フロイス)が帰りたがってから長い時間が経ちますが、それは、信長殿が引きとめていたからです。ですから、あなたが私たちを見ることが気に障るのであれば、あなたがここから去るべきです。私たちも信長殿の許しが出れば帰ります」。
㊲信長は「ロレンソの言う事は正しい。日乗は信用を失った」と述べた。
㊳居合わせた300人の者たちや、これを伝え聞いた都の人々は、「日乗は仏僧なのに冷静さを失い、信長の面前で刀を抜くという礼節を欠いた行動をとった。これは、日乗が宗論で負けた明白な証拠であるというべきだ」と語り合った。
…と書かれており、書簡と一致する部分は⑲・⑳・㉔~㉜しかありません💦
松本和也氏は、「『日本史』の方が(書簡)より問答の数が多く、内容も詳細」であり、「書簡に記される内容よりも一層宗論らしく、そしてキリスト教の勝利を強調するかのように表現していることが読みとれる」が、「これらの点から…『日本史』の記事は事実を相当脚色しており、史料価値という点で書簡より質が落ちると言わねばならない」と述べていますが、
書簡が書かれたのは1569年であるのに対し、書簡などをもとにして『日本史』がまとめられたのは1584年以降のことであって、この点からも、書簡の方が史料としての信頼度が高いと言えます。
『日本史』の宗論の記述の方が論理的で、書簡を読んでいて、「?」と思った部分も、そういうことか、と納得できることが多いのですが、漫画では、信頼度を考慮して書簡の内容を中心に書かせていただきました💦
さて、宗論後の様子に目を向けてみましょう。
書簡では、フロイスたちが暇乞いをすると、信長は愛情深い言葉をかけ、またゆっくり話を聴きたい、と言い、暗いので提燈を持っていくようにとフロイスに伝えた、佐久間信盛と和田惟政はキリシタンたちが待っているところまでフロイスを見送った上、兵たちを教会まで同行させた、とあります。
『日本史』では、信長が「とても遅くなり、雨も降っているし、道も荒れているだろうから、神父たちは帰るのがいいだろう」と言って、提灯を持ってくるように命じた、和田惟政は何人かの者を遣わして、教会までお供をさせた、和田惟政は日乗に腹を立てていたので、もし信長の面前でなければ、殺さないのは難しいことであった、と書かれており、だいたい内容は一致しています。
さて、このようにして宗論は終わりましたが、恥をかかされた形になった日乗のキリシタンに対する憎悪は一層強くなり、朝廷に対しキリスト教排撃の運動を盛んに行っていくことになるのです。
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