※マンガの後に補足・解説を載せています♪
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序
黄表紙は、理屈っぽいのは嫌がられるのであるが、今はその理屈っぽさを一つの面白味として、3冊にして幼児・婦女子に授ける。この内容を理解してくれることがあれば、天竺の親分(シャカ)も、説教をやめて退き、魯国の伯父(孔子)も使命を無視して去るだろう。そうなれば、我が国の姉子(天照大神)も清く潔くされるであろう。
<一>
人間に魂というものがある。どういうものかといえば、男の魂は剣である。浄瑠璃『姫小松子日遊』にある俊寛の言葉に基づけば、女の魂は鏡である。魂は生きている時は「精気」といい、死んだ後は「魂魄」という。魂は「心神」ともいって、これ以上に優れたものはない。この魂はどこから来たのかといえば、天から授けられたものなのである。
天上には天帝と申される尊い神様がいらっしゃって、常に茶碗のようなものの中に椋の実の皮のようなものを水に溶かし、竹の管をその中に入れて魂を吹き出されていらっしゃる。そのやり方は、子どもが遊ぶ「シャボン」と同じようなものである。吹き出された時は丸く、完全な魂なのであるが、妄念(迷いの心)・妄想(誤った考え)の風に吹かれることで、中には形がいびつになり、三角や四角になって、飛んでいくのもある。
<二>
日本橋に目前屋理兵衛という財産の多くある商人がいたが、妻が身ごもって、十月十日になり、玉のような男の子を出産したので、家の者たちは祝いの言葉を述べてにぎやかに騒いだ。幼い子供は白い糸のように、何色にも染まるというが、なるほどその通りであることだ。理兵衛の子どもが生まれると同時に、かのいびつな悪魂がとりつこうとしたところを、天帝があらわれて悪魂の手をねじり上げて、完全な丸い善魂をお入れになった。これは親の理兵衛が常に心や行動を整えようと心がけているので、天帝が恵みをお与えになられたものである。しかし、普通の人間にはこの様子が見えないのが情けないことである。
<三>
理兵衛は子どもを「理太郎」と名付けて育てたが、善魂が日々寄り添って見守っていたので、成長するにしたがって利発で、行儀良く、その上、器用で、他の子どもより際立っていたので、両親は大切な宝のように愛おしんで育てた。「三つ子の魂百まで」というが、末頼もしく思われた。
<四>
悪魂は理太郎の体に入ろうとしたが天帝によって邪魔され、他の体を探し求めたものの、当時は儒学・仏教・神道の尊き教えが良く行われていて人々皆悪い心を持っていなかったので、立ち入る隙も無く、宙にぶらぶらしていたが、ある時、理太郎の善魂を亡き者にして、理太郎の体を長くすみかにしようとたくらんだ。
悪魂「いい体の株を買いたいものだ」
悪魂「この頃は心学とやらがはやっているから、おいらが住めるような不埒ものが少ないのは困る」
<五>早くも理太郎は16歳になったので、元服させたところ、生まれながらに容姿も良いので、良い男となり、店の商売について任せてみたところ、律義者であるので朝早く起き、夕方は遅く寝て、さまざまなことにしっかりと心を配り、倹約もして、親には孝行し、家来をよく憐れみ、そろばんを常に離さず、家の中の事も店の事も大事に保ったので、近辺では評判の息子となった。
理兵衛「額の両側の毛は抜かない方がいい。人相が悪くなる」
理太郎「はいはい」
髪結い「よく似合っておられます」
<六>
人が眠るのは、魂が遊びに出ることだというのは、違いない。理太郎は18歳の時、帳簿を調べていたときに疲れてうたた寝をした。善魂は、いつも理太郎につきっきりで見守っていたために少しくたびれていたので、寝たのを幸いとばかりにそこらに遊びに行ってしまった。悪魂は好機が来たと仲間を誘って善魂をつかまえて縛り、理太郎の体に入ってしまった。
善魂「残念だ」
悪魂「よい気味だ」
<七>
理太郎は目が覚めると、今日は浅草観音にお参りに行こうと思いたって外に出たが、ふと、今まで自分は吉原という所に興味もなかったが、ただ通り過ぎるだけなら銭もいらない、一度は見ておいても悪くないだろう、と思い、吉原の入り口に近づいていった。これは悪魂が体に入り込んでいたためである。
理太郎は入口に近づいたが、見て行こうか、いややはり帰ろうかと迷い、行ったり戻ったりした。
悪魂「そうはっきりしないことを言いなさんな。われらは吉原の事は万事心得ている。吉原の粋なところを見てみよう。さあさあ早く来なこもち」
<八>
理太郎は悪魂に誘われてついに吉原に入った。素通りしようと思っていたが、中の町の通りの様子を見て心を奪われ、とある茶屋に頼んで三浦屋の「怪野」という女郎を指名して遊んだところ、たちまち魂は天上に飛んで、帰ることを忘れ、全く正気を失ってしまった。
理太郎「ああ、ああ、面白い。こんな面白いことを今まで知らずに生きてきたことが残念だ」
<九>
宴会が終わり、床に就いたところ、しばらくして女郎が来たので、悪魂は女郎の手を取って理太郎の帯をほどき、肌を密着させ、また、理太郎の手を取って女郎の襟の下に手をさしこませた。理太郎は体全体がとろけるようであった。
怪野「もっとこっちへおよんなんし(寄ってください)。おお冷てえ(寒い)」
悪魂「家の者に知られてもどうってこたぁねぇ」
悪魂「そうだそうだ」
<十>
長く理太郎の体をすみかとし、忠義を尽くしてきた善魂であるが、思いがけず悪魂に捕まり、理太郎は大丈夫だろうかと心配するものの、誰も縄をほどいてくれる者もいないので、一人焦っていた。
<十一>
夜中、悪魂は疲れて怪野のふところに入ってすやすやと寝てしまった。すると理太郎はたちまち家のことが心配になり、「俺はどうしてこんなところに来たのだ。なぜこんな気になったのだ」と夢から覚めた気持ちになって、何も言わず帰ろうとしたところ、これに気づいた悪魂が目を覚まして、帰らせてなるものかと理太郎の体の中に飛び込んだので、心が変わり、吉原に泊まることを決めたところに、善魂、ついに縄を引き切って、一目散に理太郎のもとにやって来て、その手を取って連れ帰ろうとする。悪魂は帰さんと引き留める。理太郎は左へ引っ張られた時には「居続けよう」と言うのだが、右に引っ張られた時には、「いややはり帰ろう」と言って、廊下を行ったり来たり、決心がつかなかった。
茶屋の男「あやしい身振りをする男だ」
怪野「お帰りなんすとも、居なんすともしなんしな。ばからしいよ(つまらない)」
<十二>
理太郎には元のように善魂が入ったので、女郎買いの事は思い出すのも汚らわしく、帳簿の点検ばかりしていたが、怪野から手紙が来たので、何気なく開いてみたところ、その中から悪魂が飛び出てきて理太郎に取り付く。
<十三>
理太郎は怪野の手管を尽くした手紙を見てから、心迷い、一年に三・四百両使ったところで、さしたる損失にはならない、千年万年生きる身でもないし、死ねば銭六文しかいらないのだから、今まで無駄な倹約をしたものだ、「なんぞ燭を秉て遊ばざる」(『文選』にある詩の一節。人生は短くはかないものなのだから、夜も灯りをともして遊ぼう、という意味)とも言うではないか、と悪い考えがふつふつとわいてきた。理太郎に悪い考えが生じたので、今が好機と悪魂は善魂を斬り殺し、日ごろの恨みを晴らした。
悪魂「覚悟しろ」
善魂「残念」
<十四>
悪魂は理太郎の体の中に入り、善魂の女房、二人の息子を追い出したので、三人連れ添って、長く住み慣れた体を立ち退く姿は哀れであった。この後、理太郎は放蕩者になり、何日も吉原に泊まりこむようになった。
悪魂「きりきり立って失せやがれ」
善魂の女房「今に思い知らせてやる」
善魂の子「哀しい悲しい」
悪魂「これからはおいらの世界だ」
悪魂「ああいい様だ」
番頭が理太郎を迎えに来たが、理太郎は屁理屈を言う。
番頭「そのような分別の無いお前様ではないでしょう。天魔に魅入られてしまったのか、仕方がない」
理太郎「そんな野暮なことを言うな。どんなことがあっても帰るのはいやだ(「こはだ」にかけている)の寿司だ」
女郎も理太郎があまりにも長くいるものだから嫌がって、言葉を濁す。
怪野「ほんにお父(とっ)さん、お母さんがお案じなんすだろうねえ。わっちゃぁどうも帰(けえ)し申したくねえが。どうしたもんだのう」
<十五>
理太郎に住み着く悪魂はだんだん増えて、女郎買いに加え、大酒を飲んで暴れ、博打をやり、親にも不孝になったので、勘当され、身の置き所がなくなり、とうとうある夜に自分の元いた家に忍び込んで土蔵の一部を切り崩して盗みに入った。悪魂が大勢付きまとって、いろいろと悪事を勧める。恐ろしいことである。つつしむべしつつしむべし。
<十六>
悪魂はさらに増長して、理太郎は盗賊となり、追剥をするまでになったのは情けないことである。ここに博識秀才で人徳が非常に優れている道理先生(石門心学者の中沢道二[1725~1803年]がモデルとされる)と言う人がおられたが、ある夜、講義の帰りに盗賊に遭った。かねてから腕力には自信があったので、これを組み伏せたが、不憫に思い、どうにかして教え諭して善心に導こうと思い、罪を許して、いっしょに宿に帰った。悪魂どもは、自分たちが理太郎をこのようにしたのに、理太郎が組み伏せられているのを見て、みな指さしてどっと笑っているのは、憎らしいことである。
<十七>
善魂の女房と息子たちは、どうにかして親の敵を討とうと、機会をうかがっていたが、悪魂は人数が多いので、力及ばず、無念の日々を送っていたが、理太郎が「本心」(生まれた時の善の心の状態)に返ったので、悪魂たちがみな逃げ去って本望を遂げることができたのは心地良いことであった。
善魂女房「夫の仇。勝負勝負」
善魂の息子「思い知ったか」
善魂の息子「親の仇、観念しろ」
理太郎は道理先生に命を助けられたうえに、儒学・仏教・神道の尊い教えを聴き、過去の過ちを悔い、本心に立ち返った。
道理先生「人間、全てにおいて大事なのはただ一つ、心である。全て自分の心から出て、自分の身を苦しめる。その心とは魂の事である。この道理を十分に理解しなければならぬ」
理太郎「道理の無いはわし一人、可愛いと言うて暮れの鐘も、物前(正月・節句など行事の前)の金も、今はもう汚らわしや」(めりやす「花の宴」の歌詞「道理の無いはわし一人、可愛いと言うて暮れの鐘、つくづく物を思いがお」)をもじったもの)
道理先生「ついでに、この本の作者もきめねば(やりこめなければ)ならぬ。だいぶ不埒(道理に外れて、けしからぬこと)じゃそうな」(※山東京伝のことを言っている。メタ発言てやつですな(;^_^A)
<十八>
道理先生はあらゆることについて教え諭したうえで、理太郎の両親に本人が詫びていることを伝え、勘当を赦してくれるように頼みに行ったので、両親は大いに喜び、さっそく呼び返した。理太郎は人の道を明らかに知り、親に孝を尽くし、親族や奉公人など一家一門全ての者を憐れみ、「大君子」(立派な人物)となり、家は富栄えることとなった。これはみな道理先生の人徳によるものだと世間で話題となった。さて、善魂の息子二人は親の跡を継ぎ、長く理太郎の体を住まいとして、母を大事に養い、怠けることなく守ったので、これにより魂はしっかりと定まって、動揺することが無くなった。