「ふだん着の原敬」2回目です😊
2つ目は、私が「ふだん着の原敬」を読んでいてグッときた😭エピソードを紹介しようと思います。
※マンガの後に補足・解説の文章を載せています💦
〇船成金・内田信也
名前の読みは「のぶや」ですが、実際は「のぶなり」です。
前の福井県知事の西川一誠(いっせい)さんが、本当は「かずみ」なのと似たようなものですかね(;^_^A
内田信也は、1914年に船の会社を設立、
同じ年に始まった第一次世界大戦で日本の輸出が激増し(大戦景気)、
船不足になって船賃が急激に上昇し、
内田信也は短期間で大富豪になります(これを成金という)。
内田信也の賢いところは、第一次世界大戦が終わったとみるや、
すぐに船を売り払い、会社もゆずり渡したことです。
大戦景気が終了し、一気に仕事は減り、
いろんな会社が広げすぎた仕事が負担となってつぶれていきましたが、
内田信也は戦後不況を切り抜けることができました。
(※内田信也や、成金のことについては面白いエピソードがたくさんあるので、
また別の機会にマンガで紹介しようと思います😝)
そのあと、内田信也は政治家になることを志します。
そこで、豊富な資金を使って、政治家に対し接待大作戦に出ます。
またある時は原敬の立憲政友会と対立する憲政会という政党の党首、加藤高明に、
選挙費用として使ってくださいと5万円を渡します(あれ?)
なんだよ5万円かよ少ねぇな、ではなく、
当時(大正時代)の1円は今の4000円の価値があったので、
5万円というのは、今の2億円(!)です😱
これに対し加藤高明はお礼状を送りますが、
このお礼状の内容を内田信也はバラしてしまいます(あわわ)。
その中に、5万円のことを「珍品5個」と書いていたので、
当時、「珍品5個問題」と大問題になったそうです(;^_^A
これは加藤高明のイメージを悪くするためにおこなった内田信也の作戦であったようです💦
その後内田信也は1924年に衆議院議員に当選、
1934年には岡田啓介のもとで鉄道大臣、宮城県知事をはさんで、
1944年に東条英機のもとで農商務大臣、戦後は公職追放にあったものの、
解除後は再び衆議院議員に当選、
1953年、吉田茂のもとで農林大臣も務めています。
そして1971年、90歳の高齢でなくなります。
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