今回の「鎌倉殿の13人」で、阿野全成が殺されてしまいましたね😥
今回はその阿野全成の兄、源頼朝のエピソードです。
※マンガの下に解説があります!
〇病気がちの加藤景廉
1170年の伊豆諸島の源為朝征伐に加わり、自害した為朝の首を斬り、
源頼朝の挙兵に従って山木兼隆を討ち取った
「殊更きりもなき剛の者、そばひらみず(わきめをふらない)の猪武者」(『源平盛衰記』)
も、体は弱く病気がちだった(吾妻鏡マンガ6回でも、酒を飲んで倒れている)。
源範頼(頼朝の弟)に従って無理をしながらも
九州に渡ったが、病気は重くなる一方だった。
手紙で景廉の状態を知り、また、その状態を源頼朝に伝えてほしい、と
言われた父の景員は、涙を流しながら頼朝に話します。
すると、源頼朝は、
『武衛御感涙を拭い乍ら、景廉之状〔和字〕を覽る。』
(源頼朝は深く感じて流した涙をぬぐいながら、仮名文字で書かれた景廉の手紙を見た)
と反応をした、と『吾妻鏡』に書かれています。
また、3月6日、見舞いの手紙とともに馬を一頭贈ります。
『武衛御歎息殊に甚し。』(頼朝の嘆きは特に大きかった)と
吾妻鏡に書かれているくらい、頼朝は景廉を信頼していたのだと思います。
加藤景廉はその後、病気が回復して、
承久の乱がおこる1221年まで長生きし、65歳で亡くなります。
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