ルソーの「社会契約論」を訳して日本に紹介し、
「東洋(アジア)のルソー」と呼ばれた男・中江兆民(1847~1901)。
一方で破天荒なエピソードをたくさん残している人物でもあります💦
今回は子供のころのエピソードを紹介します!😆
※マンガの後に補足をしています。
〇中江兆民の子ども時代
中江兆民は土佐藩(高知県)の足軽の子として生まれます。
幼名は竹馬(ちくま)、その後に篤助(篤介)、
1887年以降は兆民と名乗ります。
子どものころから才能がすごかったようで、
3歳で書道が上手、5歳でだいたいの文字が読めたそうです😲
親戚が集まることがあると、
兆民を読んで難しい文字を読ませ、楽しんでいたそうです。
紙に文字を書いてばかりいたので、
中江家の紙の消費量がハンパなく、
母親は小言を言ったけれども、父親はむしろ応援したそうです。
外に出て、店の看板に読めない漢字があると、
ずーっとそれを眺めながら周辺をうろうろ歩いたので、溝にハマったこともあったとか。
しかしその天才少年も変なクセがあり(;^_^A アセアセ・・・
陶器を投げて破壊し、「音響を発し、四方に飛散するを以て愉快」としていたそうです。
音フェチ…?😓
中江兆民は文学少年で普段はおとなしかったそうですが、
弟や他の子どもがいじめられた時はだまっていられず、
かたき討ちを行って傷つけてしまうことがあり、
心配になった両親は兆民の刀にひもを巻き付け、抜けないようにしたそうです💦
さて、こんな町民がこれからいろいろと活躍し、教科書に乗るまでになるのですね🔥
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