社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 「軽く」と読めると批判された元号:「嘉禄」(1225~1228年)

2022年11月10日木曜日

「軽く」と読めると批判された元号:「嘉禄」(1225~1228年)

 1225年5月28日から1228年1月18日にかけて、

日本で使用されていた元号(年号)が「嘉禄」です。

承久の乱がおきた「承久」の3つ後の元号になります。

その時の天皇は後堀河天皇(在位1221~1232年)で、

鎌倉幕府執権北条泰時(在職1224~1242年)でした。

北条泰時の叔母であり、「鎌倉殿の13人」にも出た北条政子は嘉禄と元号が変わって約3か月後の嘉禄元年7月11日(1225年8月16日)に亡くなっています。

さて、「嘉禄」ですが、この「嘉禄」が元号と決定する際にはひと悶着ありました💦

今回はその様子をマンガにしてみました😆

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


〇「嘉禄」騒動

現在、改元がなされるタイミングは天皇が変わる時ですが、

明治以前はそれ以外の理由でも改元が頻繁に行われていました。

例えば承久の次は「貞応」(1222~1224年)ですが、これは前年の後堀河天皇即位によるものです。

「貞応」の次は「元仁」(1224~1225年)であり、これは「天変」…自然災害(今回の場合は旱[日照り])が起きたために、それを鎮めるための改元でした。

「元仁」の次が「嘉禄」になるわけですが、これは建前は「伝染病流行」のためとなっていますが、

実は鎌倉幕府の圧力があったようです(;^_^A

なぜかというと、「元仁」に改元する際に、幕府に事前連絡がなかったために、

幕府が朝廷に「不快」(『明月記』)の念を感じていたからです。

そのため、「元仁」はわずか5か月で変更されることになりました。

承久の乱後、幕府の権力が朝廷を上回ったことが明確となった事件でした。

朝廷の者たちは、朝廷が軽く見られている、と感じたでしょう。

だからこそ、なおさら「軽く」と読めてしまう「嘉禄」に反対したのだと思われます。

しかしこの「嘉禄」を擁護した人物がいます。

その人物とは、大納言の源(土御門)定通(1188~1247年)でした。

源定通は姉(源存子[1171~1257年])が後鳥羽天皇の妃となり、

後鳥羽天皇の次の天皇となる土御門天皇(1195?~1231年)を産んだため、

その縁で出世を重ねました。

しかしその土御門天皇(上皇)は、承久の乱の際に、承久の乱にかかわっていないのにもかかわらず、

父(後鳥羽上皇)が流罪となったのに自分に何もないのは忍びないと、

自ら幕府に願って流罪となってしまったため、

出世のルートから外れてしまいます。

しかし、源定通自身は承久の乱以前から幕府と親密にしていて協力的であったため、もちろん承久の乱で処罰を受けるようなことはありませんでした。

その源定通が「嘉禄」を擁護したのは、

おそらく幕府が「嘉禄」を推していたため、幕府の意向通りに「嘉禄」にすることで、

幕府を後ろ盾にして朝廷における影響力を維持したいと考えたからではないでしょうか。

藤原定家は『明月記』で、「誰がこの案を提出したのか」と怒りをあらわにしていましたが、

案を提出したのは菅原在高(1159~1232年)です。

在高が提案した「嘉禄」の由来は3世紀の中国で作られた「博物志」「陛下は先帝の光耀を摛顕(ちけん)し、もって皇天の嘉禄を奉ず」から来ています。

意味は、「皇帝陛下(成王)は、前の皇帝(周公旦)のすばらしさ(栄光)を広く伝えることで、上帝から喜ばれ、(成王が)幸いを受けられるようにした」、

ということになりますが、

当時は後堀河天皇の父である後高倉院が貞応2年(1223年)に亡くなっていたため、「博物志」のこの内容と状況は似通っていたわけです。

ですから、後堀河天皇としても、異存のない、心にかなった改元であったと思われます。

うがった見方をすると、執権北条泰時の父の北条義時も元仁元年(1224年)に亡くなっていましたから、その関係で幕府は「嘉禄」を推したのかもしれません💦

ちなみに、「嘉禄」以外の候補としては、

「仁治」「貞正」「治万」「久保」「文承」「恒久」「正応」「応久」「養万」「弘徳」「慶延」「応暦」がありました。

仁治(にんじ)はこの後、1240年に、正応(しょうおう)は1288年に、それぞれ元号として採用されています。


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