米価が暴騰を続ける苦しい状況で、全国的に米騒動が起こる中、
福井市でも米騒動が行われようとしていました。
しかし、最初はなかなかうまくいかなかったようで…(;^_^A
※マンガの後に、補足・解説を載せています。
〇米騒動までの経緯
「福井市米騒動予審終結決定書」には、
『大正7年(1918年)8月11・12日夜 大野金松方又はは山口庸三方において、そのころ毎夜多数の市民が納涼のため九十九磧(つくもがわら)に集合するを奇貨(めったにない機会)とし名を米価調節のために開催すと称する市民大会に籍(よ)り多数の市民を煽動して市内各所において米穀商その他に対し暴行もしくは脅迫を為し以て米の廉売(安売り)を為さしめんことを謀議しその謀議に基き被告等は各自同日頃市内青物市場その他において右大会開催の旨を吹聴』した、とあり、
米騒動の打ち合わせを何度か行っていたことがわかります。
宮崎房吉の証言によれば、
「ハゲ政(宮本政次郎)の言うには、「(大野)金松ちゃんはこう言うてるさけ、うちら20人か30人で集まってやね、そいで知事官舎へ嘆願に行ってみようと思う」」
これが1週間前の話で、
その後、「お前8月の13日に河原へ来いや、米が高いのでみんなして知事官舎へ行くんにゃでこいや」と言われ、
当日には、
「いよいよお前今日やるんにゃ、今日お前、河原へ寄るにゃで、でてこいや」と誘われたといいます。
その後河原に行ってみると、ハゲ政が演説を試みていたが、
「そこんどこで寄ってごたごた言っていても、誰も寄らんわい。あっちもこっちもにぎやかなんだから」
という状態でした…(;^_^A アセアセ・・・
そのため人々を注目させる何かをしなければならなくなったのですが、
米騒動チームが考え出したのは、寺の鐘を火事の時のように打ち鳴らす、というものでした!💦
0 件のコメント:
コメントを投稿