今日の「鎌倉殿の13人」もおもしろかったですね💦
今回は、巴御前と「巴板額」と並び称される女傑、
板額御前(はんがくごぜん)について書いてみました!
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇板額御前
板額御前は、越後の城氏(以前のマンガを参照)の一族出身です。(※ただし、城資盛の「姨母」と『吾妻鏡』に書かれている。「姨母」とは母親の姉妹のことなので、そうなると城氏と血は繋がっていないことになる)
『吾妻鏡』では「坂」額御前とありますが、
城氏の本拠地、奥山荘(現在の新潟県胎内市)付近には、「飯角(いいずみ)」という地名がありますので、
本来は「飯角」と書いて「いいずみ」御前と読むのが正しいのでしょう。
『吾妻鏡』には、鳥坂城の戦いでの板額御前の奮戦のようすについて、
次のように書き記しています。
『女姓之身を爲すと雖も、百發百中之藝、殆んど父兄を越える也。
人擧げて竒特と謂う。此の合戰之日殊に兵略を施す。
童形の如く、髪を上令め、腹巻を著け、矢倉の上に居て、射襲い致す之輩の中で死不者莫し。
西念が郎從又、多く以て之の爲に誅被る』
(女性でありながら、百発百中の弓矢の腕前は父や兄を超えていた。
人々は珍しいことだと思った。板額御前は幕府軍との戦いの作戦を考えた。
子どものように髪を上げ、腹巻(鎧)をつけてやぐらの上から弓矢を放ち、
当たったもので死なない者はいなかった。
佐々木盛綱(西念)の家来は板額御前によって多く殺された
[前回のマンガで登場し、先陣争いを繰り広げた佐々木盛季と海野幸氏も負傷していますが、もしかすると板額御前に射られたのかもしれません)
一騎当千なだけではなく、防衛作戦も立て、知勇兼備の武将だったことがわかります。
また、それだけでなく、『吾妻鏡』には、
『顏色に於ては殆んど陵薗の妾に配す可し』と書かれています。
「陵薗の妾」とは中国の皇帝が死んだ後に、その墓に閉じ込められる女性のことで、
美女に限られていたそうですから、知勇兼備だけではなく、
顔の美しさまで兼ね備えていたことになります(◎_◎;)すごすぎる…💦
次回は、鳥坂城の戦いがどのように決着したかを書こうと思います!🔥
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