第90回帝国議会が開会される前に、衆議院議長選挙でひと悶着あったわけですが、
その議長について、開会前にもうひと騒動が起こることになります(◎_◎;)
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇衆議院議長の交代
帝国議会開会を6月20日に控えて、その前にひと騒動が起きます。
5月16日に帝国議会の投票で衆議院議長に選ばれた三木武吉が、
なんとたった2日後の18日に議長を辞職してしまったのです。
三木武吉は1928年、京成電車疑獄事件に関与し、有罪判決を受けて
一時政界から離れた後、もう一度国会議員になっても、
大臣にはならないことを決意しますが、
衆議院議長にだけはなりたいと、就任を熱望していたそうです。
その念願の議長になれたのに、なぜやめてしまったのか。
それは、三木武吉に「GHQの公職追放の対象になっている、
議長をやめたら追放の指定から外れるかもしれない」と助言した者があったからで、
それに従って三木武吉は議長をやめたのです。
また、それだけでなく、国会議員も辞職しています。
しかし、議長をやめても公職追放の指定から外されることはなく、
6月23日に公職追放が決定されてしまいました。
公職追放となった主な理由は、「大日本興亜同盟の顧問となり、日本の膨張主義と全体主義を公的に支持した」というものでした。
しかし、公職追放は政府の方で一応、拒否もできました。
実際、三木武吉の時も、GHQから25名分のリストをもらいながら。
追放処分になったのは8名だけでした。
それでも三木武吉を追放したことについて、
吉田茂首相にとって、「三木が存在しない自由党の方が,運営面で好都合であると判断したに相違ない。」と増田弘氏は述べています(河野一郎と三木武吉の公職追放)。
三木武吉は、「ただ今,不肖三木は追放令を受けました。追放該当者となった以上,もはや政治活動は一切禁止されてしまったわけです。諸君と共に敗戦日本の再建に挺身し老後の余命を捧げて,あらん限りの働きをする決意でしたが,それさえも許されぬことと相成りました。諸君の後ろには家なく,食なく,…悲惨な同胞の姿を,洪手傍観しなければならない追放者の無念をおくみとり下さい」と言って、故郷の香川県に戻り、公職追放が解除される1951年まで5年間にわたって政治の舞台から去ることになりました。
三木武吉に代わって議長となったのは、樋貝詮三(1890~1953年)でした。
樋貝は、先の議長投票で三木武吉に次ぐ次点でした(三木武吉267点、樋貝234点。投票では議長にふさわしいと思う者を3人まで書くことができた)。
樋貝が選ばれた理由について、増田弘氏は、「推論の域を出ないものの,吉田にとって自己に近い樋貝が議長に就任するためには,三木のパージこそ望まし」かった、としています。
吉田茂は国会議員を嫌っていましたが、樋貝は官僚出身で、今回が初当選でした。
樋貝はのちに第三次吉田茂内閣で国務大臣にもなるなど、
だいぶ吉田茂のお気に入りだったようです。
〇第90回帝国議会の開会
昭和21年(1946年)6月20日(木)、第90回帝国議会の1回目の本会議が開かれます。
開会にあたり、天皇より勅語がありました。
『本日、帝國議會開院の式を行ひ、貴族院及び衆議院の各員に告げる。
今囘の帝國議會には、帝國憲法の改正案をその議に付し、なほ、國務大臣に命じて緊要な豫算案及び法律案を提出せしめる。
各員心をあはせて審議し、協贊の任をつくすことを望む。』
これに対し、奉答文の起草委員が18名選ばれ、奉答文の起草に取り掛かり、
11時37分に本会議は休憩となります。
そしてはやくも午後1時2分には本会議は再開され、
起草委員の委員長、坂東幸太郎が、起草した奉答文を読み上げました。
(坂東幸太郎[1881~1974年]…北海道出身。1924年衆議院議員に当選。治安維持法に反対。母子保護法成立に尽力。自由党総務などを務めた。1949年落選)
「『陛下親しく第九十回帝国議会開院の盛式を行わせられ、優渥なる勅語を賜わり、議員一同、誠に感激の至りにたえません。
我等は、重大なる帝国憲法改正案その他の議案につき、心を合せて慎重審議し、協贊の任を完うして陛下の信任にこたえ、国民の委託にそわんことを期して居ります。ここに、衆議院議長樋貝詮三謹んで奉答申しあげます。』
奉答文案は只今謹読致しました通り起草致しました、此の段謹んで御報告申上げます」
続いて、今回の議会のメインである、帝国憲法改正案が提出されました。
これには勅書がついていました。その重要度がここからもわかります💦
『朕は、国民の至高の総意に基いて、基本的人權を尊重し、國民の自由の福祉を永久に確保し、民主主義的傾向の強化に対する一切の障害を除去し、進んで戦争を放棄して、世界永遠の平和を希求し、これにより国家再建の礎を固めるために、国民の自由に表明した意思による憲法の全面的改正を意図し、ここに帝国憲法第七十三条によって、帝国憲法の改正案を帝国議会の議に付する。』
ここですでに、日本国憲法の三大原則が示されているのは興味深いですね(゜-゜)
日本国憲法の前文に近いイメージも受けます。
ちなみに勅書の中に、「帝国憲法73条によって…」とありますが、
大日本帝国憲法第73条は、
「1. 将来此の憲󠄁法の条項を改正するの必要󠄁あるときは勅命を以て議案を帝国議会の議に附すべし
2. 此の場合に於󠄁て両議院は各々其の総員三分󠄁の二以上出席するに非ざれば議事を開くことを得ず出席議員三分󠄁の二以上の多数を得るに非ざれば改正の議決を為すことを得ず」
…とあるように、憲法改正について述べている部分です。
これにのっとり、勅命を以て憲法改正の案が出され、帝国議会で審議されることになったわけです。
はたして政府から提出された憲法改正案に対して、国会議員たちはどのように審議をしていくのか!
とてもワクワクしますね~!😆
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