社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 第一次ポーランド分割

2023年3月16日木曜日

第一次ポーランド分割

 ついにポーランドが分割される時がやってきます(-_-;)

驚きなのは、ポーランド分割の理由が、ポーランド国外の事情も関わっていたということです。

ポーランドはなぜ分割されたのか?

今回はそれについて見ていこうと思います(゜-゜)

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


〇第一次ポーランド分割(1772年)

1763年、アウグスト3世が死ぬと、ロシアの女帝エカチェリーナ2世の元愛人で寵臣、スタニスワフ(1732~1798年)がポーランドの王位につきます(スタニスワフ2世)。

国王選挙は、1万4000ものロシア兵がワルシャワを包囲する中で実施されました。

その結果、選挙は「なにごともなく満場一致で選出された」(スタニスワフ2世)。

ロシアに反発する声もありましたが、

スタニスワフはポーランド人、それもシュラフタ出身だったので、

ほとんど反対の声はなかったということです。

1767年には、ロシアは臨時議会を強行開催させ、

王国内の非カトリック教徒の権利を認めさせます(ロシアは正教会)。

当時、非カトリック(正教会・プロテスタント)は議員を出したり、

軍隊や行政機関で高い地位に就くことが認められていませんでした。

また、新しい教会を建設することも度々拒否されていたといいます。

議決の際には、議会はロシア兵に包囲され、議場内にも数名のロシア兵がいるという状態でした。

それでも司教たちが非カトリックの権利に反対する演説をしましたが、

ロシア兵は司教2名を逮捕、ロシアに送ります。

また、ポーランドの憲法はロシアの同意なしには変更できないことも認めさせました。

ここにポーランドは完全にロシアの傀儡国家となってしまったわけです。

シュラフタはバール連盟を作り、同じカトリックであるフランスやオーストリアの援助を得てロシアに抵抗しますが、一方で非カトリックである西ウクライナのコサックたちの反乱がおきたこともあり、1772年、ロシアに屈し、参加者たちはシベリア送りにされました。

(非カトリックに権利を認めることに反対する様子を、ヴォルテール「国民の4分の1が市民権を享受することを阻止するために」戦っている、と評した)

そしてこの年、ロシア・オーストリア・プロイセンによる第一次ポーランド分割が行われます。

分割を潔しとしない議員たちは議会に出席を拒否しました。分割反対派で出席した議員の一部は逮捕されました。その他の議員は賄賂(わいろ)を渡されていて、分割を認めてしまいます。

ロシアは9.2万㎢、オーストリアは8.3万㎢、プロイセンは3.6万㎢を得ました。

(ロシアは正教会地域・オーストリアはカトリック地域・プロイセンはプロテスタント地域)

面積では一番多いのはロシアですが、住民数ではオーストリアが一番でした。

一方、プロイセンが得た地域は面積は狭かったのですが、

グダンスク(ドイツ名はダンツィヒ)周辺の海に面した、経済的に豊かな地域を手に入れました。

これでポーランドは面積の30%、人口の35%を失いました。

このポーランド分割の背景には、

第一次露土戦争(1768~1774年)がありました。

オスマン帝国は隣り合うポーランドにロシアの勢力が伸びるのが好ましくなく、

フランスの後押しもあって、

1768年、バール連盟と戦っている途中のロシアに宣戦布告しますが、

オスマン帝国は陸に海に連戦連敗します。

(ロシアは1770年7月7日のラルガの戦いでは7万人のオスマン帝国軍を、7月21日のカグールの戦いでは15万人のオスマン帝国軍を撃破した。海では、バルチック艦隊を大回りさせて地中海に派遣し、1770年6月25~26日に行われた海戦でトルコ戦艦をほぼ全滅させることに成功した)

この状況を快く思っていない国がありました。オーストリアです。

オーストリアはバルカン半島は自身の勢力圏だと考えていたため、

ロシアがバルカン半島に進出するのを嫌がりました。

(この関係は第一次世界大戦まで変わってませんね💦)

オーストリアはオスマン帝国に協力してロシアと戦う準備を進め始めていました。

(1771年にはオスマン帝国を援助する秘密条約を結んでいた)

同じくポーランドを支援しているフランスも参戦するかもしれませんでした。

プロイセンのフリードリヒ2世はロシアと次のような条約を結んでいました。

どちらか片方が1つの国に攻撃された場合、もう片方の国は財政援助を行う。

どちらか片方が2つの国に攻撃された場合、もう片方の国は歩兵1万・騎兵2千を派遣する。

オーストリアも戦争に参加するとロシアは2国から攻撃されたという形となり、

プロイセンは援助だけではすまなくなる。フランスも加わると大戦争になってしまう。

フリードリヒ2世はこれを嫌がり、戦争を回避する案を考え出します。

それがポーランド分割でした。

ポーランド分割はロシア・プロイセン・オーストリア三者にとって得であり、

これでオーストリアはロシアに対して口をつぐんだのです。

つまりポーランドは大戦を抑えるための犠牲にされたのです。

第二次世界大戦前のチェコスロバキア(第二次世界大戦を抑えるために、イギリスなどがドイツがチェコスロバキアを併合することを認めた。この際、ポーランド・ハンガリーもチェコスロバキア分割に加わっている)を思い出させるできごとでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿

新着記事

軍人は政治に関わるべきではない~河合栄治郎『ファッシズム批判』

  朝ドラ『虎に翼』31話で帝大経済学部教授・ 落合洋三郎が登場しました。 その著書が「安寧秩序を妨害」する疑いがあると起訴された落合を、雲野六郎が弁護し、第一審を無罪判決に導く…というものでしたが、 この落合洋三郎のモデルとされる人物が、河合栄治郎なのですね(名前もかなり似てい...

人気の記事