前回のマンガで織田信長の一度目の上洛についてやりましたが、
『常山紀談』には、その時の別のエピソードが載せられています。
今回はそれを紹介したいと思います😉
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇『常山紀談』とは
『常山紀談』とは、
岡山藩士・湯浅元禎(号は常山。1708~1781年)によって1739年に作られた戦国~江戸初期の武将たちの逸話集です。
本人はこれを書いた理由を、教訓とするため、とし、
そのため事実だけを書いた、と述べていますが、
戦国時代から150年以上後の人物が事実だけを収集できるとは到底考えられず、
史実性に乏しい逸話も多く含まれており、
『ブリタニカ国際大百科事典』にも「史料的価値は低い」と書かれてしまっています(;^_^A
しかし逸話には真実が少なからず含まれ、当時の人々のその武将に抱いていたイメージもわかるので、まったく無下にすることはできないと思います💦
〇織田信長と三好長慶
今回の話の元ネタ、
『常山紀談』に乗っている話は次のようなものです。
…織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、7・8人の侍を連れてひそかに上洛した、その後、河内(大阪府東部)の高屋城にいる三好長慶に会いに行き、長慶に次のことを提案した、「私が持っている尾張の土地をお譲りいたします、その代わりに、同じだけの畿内の土地をいただければ、戦いの際に三好家の先陣を務めましょう」。三好長慶はこれを聞き入れようとしたが、松永久秀が止めたので実現することはなかった…
かなりのトンデモ話のように思いますが、畿内の実力者・三好長慶と織田信長が会っていたら…と考えるととても楽しいですよね😄
このエピソードのタイミングは桶狭間後ではなく、おそらく前回のマンガと同じ1559年の時とするのが正しいと思われますが、
(なぜなら、前述のエピソードを述べた後に、…これと同じ時に、斎藤義龍が信長を殺すために刺客を送りこんだ、信長はこれを知ると堺にいる暗殺団のもとに行き、「お前らが刺客か、憎いやつらだ。お前たちの首をはねてやろう」と言って睨んだので、暗殺団は恐れてひれ伏した…と書かれているからである)
信長が上洛した1559年2月2日と同じ日に、実は三好長慶も上洛して、信長が泊まった裏築地にほど近い(たったの400m)相国寺に入っています。
(そのため、高屋城で会見したというのは誤りだと思われる)
三好長慶は翌日、足利義輝に謁見し、その後は5月17日まで京都に滞在することになります。
ですから、信長と三好長慶が会った可能性も十分にあると思います😖
いやあ、ワクワクしますね!♪
0 件のコメント:
コメントを投稿