一口に「自由」といっても、さまざまな「自由」があります。
学問の自由、信教の自由、職業選択の自由、居住・移転の自由、言論・出版の自由、集会・結社の自由などなど…。
どれも大切な自由ですが、17世紀のイギリスの詩人、ジョン・ミルトンはこの中でも「言論・出版の自由」が最も大切だと考えました。
それはなぜでしょうか?
ジョン・ミルトンがそう考える理由を、ミルトンが1644年に書いた『アレオパジティカ』から読み解いてみようと思います😀
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇当時のイギリスの状況
1517年、ルターが「95箇条の論題」を出してローマ教会を批判してから、ローマ教会反対派と、ローマ教会の影響力から脱したい諸侯の利害が一致したことにより、ヨーロッパでは宗教改革の嵐が吹き荒れ、カトリックとプロテスタントの対立の構造が生まれました。
1534年、イギリスでもヘンリー8世がローマ教会と対立、独立して国教会を立ち上げましたが、離脱した理由が離婚問題であったこともあり、宗教問題で対立したドイツなど違い、国教会はカトリック・プロテスタント、どっちつかずのものになっていました。
この国教会をプロテスタントのみの純粋(ピュア)なものにしたい、と思ったのが清教徒(ピューリタン)と呼ばれる人たちです。
エリザベス1世(在位:1558~1603年)はカトリック・ピューリタンに対して中立の立場を取りましたが、
その後のジェームズ1世(在位:1603~1625年)・チャールズ1世(在位:1625~1649年)はカトリック寄りで、ピューリタンに対して弾圧を加えました。
1620年にはピューリタンたち102人が迫害を逃れてメイフラワー号に乗ってアメリカに逃れ、1637年にはカトリック寄りとなっている国教会への忠誠を拒否した3人のピューリタンが耳を切り落とされ、顔に焼き印を押されるという事件も起こりました。
1631年からは出版物の検閲が始まり、ピューリタンに対する弾圧は強まっていきます。
これに対し議会では1641年、チャールズ1世の政治を非難する抗議文が賛成159票、反対148票の11票差で採択され、議会派と国王派の対立が鮮明となり、ついに両派の戦争に発展することになります。
翌年1月、検閲を担当していた高等法院星室庁が廃止され、印刷・出版の自由が回復しました。
しかし反国王軍の中でも穏健な長老派と過激な独立派で対立が見られるようになり、
1643年6月14日、議会で多数を占める長老派は検閲を経なければ出版を認めないという検閲令を出しました。
検閲令の目的が国王派だけでなく、独立派の排除にもあったことは明らかです(-_-;)
この動きに我慢がならなかったのがジョン・ミルトン(1608~1674年)その人でした。
ミルトンは裕福な家に生まれ、5歳の時には家庭教師(長老派であった)をつけられ、1625年にはケンブリッジ大学に入学(卒業時には優等卒業生24名中4位となっている)、1638~1639年には15か月にわたってフランス・イタリア旅行もさせてもらっています。
非常に勉強に熱心であり、伝記作家のジョン・オーブリーによれば、ミルトンは「若い頃、とても熱心に勉強し、とても遅くまで起きていて、たいていは夜の12時か1時まで起きていた」といいます。
その結果、ミルトンはラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、フランス語、スペイン語、イタリア語を学生時代に習得、その後オランダ語もマスターすることになります(この語学力を買われて、後に政府の外事長官となる)。
オーブリーはまた、ミルトンの容姿についても触れており、それによると、「彼の顔色はとても美しく、人々は彼をキリスト大学の婦人と呼んだほどだった」といいます。確かに若いころについて書かれた絵はザ・美少年という感じです。
イギリスの情勢の悪化を知って旅行から帰国したミルトンは、多くの小冊子(パンフレット)を書いて、ピューリタンを弾圧していた高等法院とカンタベリー大司教、ウィリアム・ロードを批判する活動に加わります。
その活動が実り、1641年、ロードは失脚し、ロンドン塔に投獄されることになりました。
しかし、その後、先に述べたように、今度は長老派の者たちによる不寛容な支配がはじまり、1643年に検閲令が出されてしまいます。
ミルトンは以前と同じく、長老派に対する敵対姿勢を取り、
長老派を批判するために書かれたのが『アレオパジティカ』であり、
これは検閲令に反して、1644年11月23日に無許可で出版されたものでした(◎_◎;)
(そのため翌月に議会に呼び出され、審問を受けることになる)
〇アレオパジティカ
タイトルは古代ギリシャのイソクラテスの演説、『アレオパギティコス』から取られたもののようです。
(『アレオパギティコス』は、古代ギリシャで政治の中心地であったアレオパゴスの丘のこと)
…ということは『アレオパギティコス』の内容は言論・出版の自由について述べたものなのだろうか?と思ったのですが、
その内容を見ても言論・出版の自由については書かれていません(;^_^A
『アレオパギティコス』は、政権を非難する内容の物なので、そこから取られたものでしょうか??(゜-゜)
それとも古代ギリシャのような、言論・出版の自由を制限しない政治を期待したからなのか…ジョン・ミルトンはその点について語っていないのでわかりません(-_-;)
では、『アレオパジティカ』の内容について見ていきましょう。
ミルトンはまず、
「どんな出版物も、事前に検閲官が1人でも許可しなければ印刷できないとする検閲令を考え直していただきたい」
と、『アレオパジティカ』の表紙に「出版の自由のために」と書いてあるように、
検閲令を廃止して出版の自由を回復することを議会に訴えかけます。
ミルトンは検閲令の廃止を求める理由として、
まず過去の歴史をひもとき、
「教皇マルティネス5世[在位:1417~1431年]の時、正統と認められない異端のキリスト教の書物を読むことが禁じられ、トリエント公会議[1545~1563年]で禁書目録が作られたが、異端だけではなく、検閲官の好みに合わないものまで発禁処分とされるようになってしまった。
それまでは、古代ギリシャで取り締まられたのは神に対する冒涜・人を中傷するものだけで、学問に関するものは無く、ローマでも同様で、オクタヴィアヌス[初代ローマ皇帝]と敵対したポンペイウスを賞賛した書物も禁止されなかった」
…と、以前は自由に書物を出版することができていて、検閲などは無かった、と述べます。
そして、検閲の悪い点について、
「学問の進歩を止め、議論する力を低下させてしまう」と記しています。
どうしてそうなるのか。
「学ぶ意欲のある所は、必ず多くの書物と、多様な意見がある。
全ての考え、誤っているものも読み、対照させることによって、人は真理に到達できる。
検閲令が行われ、老ガリレオ[『近代科学の父』と呼ばれるガリレオ・ガリレイ。1564~1642年。ミルトンがイタリアを旅行した時まだ生存していた]が裁かれた外国に行くと、そこの者は、最近書かれた本は国にへつらったものや、でたらめしかないと嘆いていた。
制限を受けると、真理は真実を語らなくなる。」
…とミルトンは説明しています。
たしかに、2つの異なる説があったときに、一方の説しか見なければ、偏った考えを持つようになってしまいそうです(;^_^A
例えば、Aはいい人間だという人の話と、Aは悪い人間だという人がいて、後の方しか聞かないとAは悪い人間としか思わなくなるでしょう。
物事は多面的に見ることによって真実が見えてきます。
ミルトンはまた、
悪いことが書いてあるとそれに影響されてしまい悪になる、というなら、
「そもそも聖書には悪人について詳しく書かれているので、その論理で行くと聖書が禁書目録の筆頭に書かれなければいけなくなる。
風紀を正したいのだとしても、音楽や踊りなど、人間が楽しみとするものをすべて取り締まらなければならなくなる。
出版だけ禁止しても無意味であるし、また、出版を禁止しても、その考えは口頭でも広げられる。
以上から、検閲は無益である。
これは、鳥を閉じ込めるために庭の門を閉めればいい、と考えるのと一緒である」と手厳しく論じます。
それから、ミルトンは検閲は「学問(学者)・一般の人・牧師に対する侮辱である」とも言います。
なぜか。
「検閲を担当する者は、学識があり、思慮分別がある人でなければならないが、そのような人物は検閲官に就きたいとは思わないので、無知・傲慢で、金銭目的の者が検閲の職に就くことになる。
学者は調査をし、考えを整理し、他の者と話し合うなど、努力を重ねたうえで出版物を作っている。
それを、毎日大量の出版物を読み、じっくり考える余裕のない検閲官の軽率な判断にゆだねられることになるのは、学問に対する侮辱というほかない。
一般の人にとっても恥辱である。検閲官を通さないと読ませないほど、国民を警戒し、軽率な人間だと思っているのであるから。
我が国の牧師の名誉も傷つける。教会で説教をしているのにもかかわらず、説教の効果が無いと見なしているのだから」
…ミルトンは以上のように説明します。なんとも痛烈です(;^_^A
そしてミルトンはこうまとめます。
「出版において必要なのは、少しの寛大とわずかな自制心で十分である。
今は大変な時期であり、諸問題については、大いに論じ、書き、語らなければならない。検閲など不要である。
他のすべての自由以上に、知り、発表し、自由に論議する自由を我に与えよ。」
これは今でも十分に通用しますね。
今はだれでも自分の意見をSNSを通じて発信することができるようになった時代ですが、自分の思いにそわない物を感情的に厳しく責め立てます。
論理的に言わなければ感情論の応酬になってしまって決着がつきません(むしろ悪化します)。
また、論理的に言うだけでも相手は悔しくて納得しませんから、負の側面だけを語るのもいけません。
今回の場合ミルトンは、風紀をよくしたいんだよね、でも、それは検閲令では効果が無いかな、と言っていますが、こんな感じです(本当はここをこうすれば、うまくいくと思うよ、という言い方が望ましいのですが、今回の場合は改良の余地がない…(;^_^A)
そして大事なのは権力を持つ側が寛大であることです。
自分に対する批判は政治家は甘んじて受けなければなりません。
税金で生活しているうえに、国民の生活に与える影響が大きいのですから。
批判を受けて、それを改良すれば国民の為になるわけです。
逆に批判をありがたいと思わねばなりません(人格批判はNGですが)。
(節度を持った)自由な議論こそが社会をよりよくします。
誹謗中傷など人格を攻撃する発言以外は取り締まるべきではありません。
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