※マンガの後に補足・解説を載せています♪
●なぜオウム?
『鸚鵡言』のタイトルの由来ですが、これについて松平定信は説明していません。
しかし、『鸚鵡言筆解』を著した藤原成徳なる人物(調べてもよくわからない)によると、次の通りであるそうです。
…『鸚鵡言』の書名は、『礼記』「曲礼」に言う、「鸚鵡よく言えども、飛鳥を離れず」(オウムは人をまねてうまくしゃべることはできるけれども、やはり鳥でしかない。口先ばかりで、行動が伴わないことを言う)にもとづいている。思うに謙遜してつけた書名だろうか。…
同様に、太田南畝が編纂した『三十輻』(みそのや)を、大正6年に国書刊行会が刊行した際に付した解説には、「『鸚鵡言』とは、聖賢の口まねの意にして、自ら徳の当らずして、言の高きを謙するなり」とあります。
●天職の事
「天」は直接民を治めることができないので、代わりに「大君」に治めさせた。「大君」は1人で世を治めることができないので、諸侯に治めさせた。つまり、諸侯が民を治めるのは、大君の命であり天命であるのである。ゆえに、民を治めるというのは、天の職であって、治める民は天の民なのである。治める者の器量・徳性がふさわしいものでなければ、天職を全うするのは難しいといえる。そこで、自分のことばかり考えて、天の民を虐げ、天職を汚すようなことがあれば、天はその者を廃して、別の者にお与えになる。だから、天職を最初に受けた者は、徳性・器量共に備わった人である。その子孫は、愚かであっても、祖先の決めたきまりを守りさえすれば、天は祖先の徳に配慮して、その子孫を廃することはなされない。これは天の寛仁(寛大で慈悲深いこと)を守る大君の情けであり、祖先のおかげであるともいえる。愚かな身であっても、祖先のおかげで万人の上に立ち、職や財産を受け継いでいるというのは、天に対して恐れ畏まらなければいけないことなのである。
●徳をつつしむ事
徳とは、直心(ひたむきなこと、まっすぐなこと)を行なうという事ではない。直心は当然の事であり、徳とは言わない。「徳を慎む」というのは、日々それまでの非を改め、向上心を持ち、功績を積み上げることを言うのである。上に立つものの徳が明らかであれば、「治国平天下」は自然と達成できるであろう。徳をどのようにして明らかにすればよいのかといえば、「聖賢の書」を読んで、自身の行動に生かすことである。実用に努めず、高尚で遠大なことばかり考えるのは、「腐儒」の論であって、言葉にできないほどひどいことである。徳が完全な物になれば、民は心から帰服するようになるので、財産が無い事、仕事が無い事を憂えるという事はどうして起こり得るだろうか。
●学問の事
読むべき書物は、特に四書五経の類、『大学衍義』、また、日本書紀・史記・資治通鑑を合せて読むのが良い。熊澤(蕃山)の『集義』(集義和書)・『大学或問』、新助(室鳩巣)の『雑話』(駿台雑話)もまた読むべきである。自身の家について書かれた書物もよく読むべきである。読むべきでは無い書物はないが、ただ特に重要なものを挙げた。
●下情の事
天気が地面を潤し、地気が天を助けるように、君・臣が重ねて慎み深くあろうとすれば、国家は簡単に治まるだろう。地面を離れては草木が生えないように、天が覆わなければ草木が育たないように、君・臣が互いに閉じふさがっていては、国家が治まることはめったにないであろう。しかし、君は尊きこと天の如く、臣は卑しきこと地の如く、両者は立場が隔絶しているので、上下の意思が通じないようになる。世間の事のような卑しいことを伝えては、君主の徳を汚すと言ってこれを禁じるのは嘆かわしいことである。人の心というのは、上下の違いが無く、夏に水を求め、冬は火を求めるように、楽な道を選び、楽しいことをして過ごしたいと思うものである。下を自分事のように思おうとするのであれば、世間の実状を知ろうとしないでいられるだろうか。赤子は物を言わないけれども、その思いがわかるのは、父母のまごころである。下を思うのにまごころをもってしなければならないのだから、心の修行は必要である。上中下の文字の解釈があって、上の字はひっくりかえせば下の字となり、下の字をひっくり返せば上の字となる。また、中の字は上と下の間にいて、その思いが通じるように、口を上下に貫いている。
●君臣の事
君主は食やあたたかい衣服に困らないが、その食・その衣服は誰が作っているのか。作る者がいなければどうすればよいのか。君主が自ら衣服を織り、耕して食わなければならない。「自分は君主である」とふんぞり返っているのは、道理を知らないことであると言えよう。君臣も同じ人である。ただ祖先の違いによって、君臣の違いがあるだけで、いつの日か花が散って、土と交わることもあると思わなければならない。自分も人の子であるというのを味わい知らなければならない。
●賢才の事
賢い者を用い賢くない者を遠ざけるというのは、聖賢の教えでもあり、当然の事である。賢い者でなければ、どうして国を治められるだろうか。ただ良いことばかり言う者は、変だ、と察しなければならないし、自分の気持ちにぴったり合う者は、変だ、と察しなければならない。「人心は面の如し」(一人一人の顔が違っているのと同じように、人の思っていることは一人一人違う。『春秋左氏伝』にある言葉)と言うように、「君臣合体」というのは目標を同じくする事であって、君の思う所の善し悪しの基準が臣と一致する事ではない。辛いのと甘いのを使って、よく味を調えることを、「和」という。甘いものだけ、辛いものだけで1つにするのは、和と言わず、「同」という。「同」であろうとする者は、悪賢く、媚びへつらっている者か、愚かな者である。良き人がいればすぐ用いることだ。どうしようか悩んでいるうちに、必ずその人が悪く見えてくるものである。花が開いても、だんだん色が薄くなっていくのと同じである。さて、人に仕事を任せる時は、惜しむことなく任せることである。だまされないようにと警戒ばかりしていると、その人は才能を発揮できないであろう。
●政の事
政の字は正に文と書く(※正しくは文ではなく攵[のぶん]で、これは「攴」の略字である。攴には「たたく」という意味があり、「強制して正す」という意味があるらしい)。「正」は人為的でない天の正しい道理を言い、これは下地となる。これに文(学問。特に漢学、儒学の事であろう)を加え、見事にするのを政という。政を為すにあたっては、寛猛(ゆるやかさときびしさ)を時に応じて使い分けるようにしたいものである。寛・猛はどちらも聖人が世に情けをかける思いやりから来ているものである。秋の粛殺(秋に草木を枯らす事)も思いやりの粛殺であって、春に発生し、止まないようにするためなのである。政を行なうにあたっては、「時」(適切な時期)と「勢」(熱烈な支持)と「位」(立場。権力)を考えることが必要である。この3つは、紙鳶(凧)をあげるのに例えることができる。江戸では凧は春に揚げるが、国によっては時期が異なる。適切な時期であったとしても、風という勢いを得なければ揚げることができない。しかし、時と勢いを得ても、木が茂っているところではうまく揚げられない。自分の身を高い所に置いて、他の凧の様子を見て、風を得てから凧を離せば、高く高く飛ぶだろう。しかし、時・勢・位を得ても、風に応じて凧の重さを考えて操縦する技術が必要である。「盍徹」(『論語』顔淵第十二の9…魯の哀公が有若に対し、「不作で、財政が厳しい。どうすればよいだろうか」と言ったところ、有若は「なぜ徹[十分の一税]にされないのですか」と答えた。哀公は、十分の二でも足りないのに、なぜ十分の一にするのか」と言った。有若は、「百姓が足りていれば、公は誰と足りないことを嘆くのですか。百姓が足りていなかったら、公はいったい誰と足りていることを喜ぶのですか」と答えた)はどうだろうか。しかし、国によって、その社会によって、その人によって、事情は異なるのであるから、「刻舟」(『呂氏春秋』に載る、舟に刻して剣を求む[剣を船から落とした時に、ここで剣を落としたと船に印をつけた]のエピソードの事。時代は刻々と変化していくのに、昔ながらの方法[または一つの考え。今回の場合はこちらか]にこだわることを指す)では難しいだろう。信頼を得る術としては、商鞅が木を移す(秦の商鞅は、国の法律に対する信頼を得るために、南の門の前に立てかけた木を北の門に移動させた者に賞金を出すと布告し、半信半疑で手を出す者がいない中、それを実行したものに対し、言ったとおりに賞金を与えた事)類が良いだろう。しかし、術と聞くと皆、奇抜な作戦の事と思い、才能のある者はみな術を(時・勢・位を得るよりも)先にし、才能の足りない者は、自分には奇抜な作戦を考える力はないと考え、国を治める功績は立てられないと思いこんでしまっている。しかし、術や才も大切であるが、その大本に徳が無ければ、「庭燎の頼むべからざるが如し」(『説苑』には斉の桓公が、面会を望む学者のために庭に火を焚いたが、一年経っても学者は来なかった、という話があるが、これのことを言っているのだろうか?実効性が伴わない、ということを言いたいのだろうか)。民を救おうとしても、従わせることはできるが、民が道理をわかっていないので、その時その時においていちいち作戦を考え、いちいち一人一人に伝えなければならない。民を救うというのはそういうものではないのである。それなのに、小細工でもって、道理を理解させず、ただ従わせようとする。
●賞罰の事
与えることが取ることにつながると知るべきである(『史記』管晏列伝に「与うることの、取ることたるを知るは、政の宝なり」とある)。取るために与えると考えるのはよろしくない。賞罰は春と秋のようにして、思いやりの心を持ち、私心を去ってとりはからうべきである。
●生財の事
「入るを図りて出ずるを為す」(収入に応じて支出を考える)は、経済の基本である。倹約は、費用を抑えて「つづまやか」(控え目で質素)にすることである。惜しんでするのではない。入は陰で出は陽である。入は吸で出は吐である。古いものを吐いて新しいものを吸うのは人の自然な行動である。入は藏に財産を蓄えることで、出はその財をもって何かをすることである。息を吸ってばかりでは、出る息がなくなり、息がつまって胸が苦しくなり、大きく息を吐くことになる。入れるばかりで出ることが無いと、いざという時に大変な目に遭うことになる。呼吸を調和させることは健康の道で、出入を調和させることが財産を増やす道である。
●名器の事
正しい評価(評判)を知ることは、道理を知らなければ難しい。年の暮れの鶯の声はうるさく聞こえるが、元日の馬の声はのどやかに聞こえる。正しい評価を知ることの重さを知ることができる。
●利と義の事
利は稀にしか語らぬもので(『論語』に「子、罕に利を言ふ」とある)、『大学』の終わりには「義利」が説かれているし、孟子ははじめに義理を説いている。利を求めることが失敗を招き、利益にならないことが利益を生むことを知るのは難しい。
…このほかにも書きたいことはあるが、長くなるので略する。知るのは難しくないが、実行に移すのは難しい。私の書いた言葉は人の口真似である。少しも実行できたことが無い。同志の方々と切磋琢磨して、仁の徳を達成できるようにしたいと思っている。…
太田南畝が編纂した『三十輻』に載っている『鸚鵡言』は以上なのですが、『鸚鵡言筆解』には、他の部分の記述が載っています。『三十輻』の『鸚鵡言』の末尾には、天明8年(1788年)8月にこれを書き写した、とあります。『鸚鵡言筆解』の末尾には、天明6年卯月(4月)に「脇坂侯安菫朝臣」に贈る、とありますので、こちらがオリジナルであり、『三十輻』の『鸚鵡言』は書き写される中で省略されていったのでしょうか。では、残り部分を紹介します。省略された理由を考えてみてもおもしろいかもしれません。
●祖宗の法の事(賢才の事の次に入る)
先祖代々守られてきた法は変えてはならない。今の「風」(ならわし。やり方)をもって法というのはよくない。今の「風」は法とは違うのである。法が簡単に変えられるようなものであったならば、人々の心は崩れやすくなるだろう。琴の調べに例えるならば、「黄鐘南呂」の調子は、長い年代にわたって変わっていない。ただ、糸の新旧に応じて、柱(ことじ)の部分を動かす調節をするだけである。祖宗の法も同様である。時代が変われば世の中の風潮も変わるので、柱の位置を動かしていい状態にするように、祖宗の法を盛んにすることこそめでたいことというべきであろう。古いものは人々の心にしみこんでいるので、とてもめでたいのである。我が国の風俗・習慣はなおさらである。王安石の新法は、全て悪かったわけではないが、ついにはその法によって国は乱れた。爺は山に行って木こりをし、婆は川で衣を洗っていたところ、桃の実が一つ流れてきた…というのは誰もが知っている物語であるが、これが、昔々、婆は山に行き、爺は川に行ったところ、瓜が一つ流れてきた、というのでは驚くであろう。爺は山、婆は川でこそ、瓜ではなく、桃であろう、と腹を抱えて笑うだろう。真実の物語ではないので、どちらが山に行って、どちらが川に行っても、瓜が流れてきても別にいいはずなのだが、昔より聞きなれてきたことというのは、偽りの話であっても、心の底に深くしみこんでいるものなのである。まして祖宗の法ならなおさらで、祖宗が天の道理に合うように作った法が残し置かれているのを、後代の才能が無い者がどうして手を加えていいものだろうか。
●流弊の事
物が悪くなるのは、良い部分から悪くなるものである。車だと車輪の部分がまず壊れる。中国の周は、文化が優れていたが、文にのみ走るようになり、だんだんと弱くなっていった。…秦は逆に文を抑え書を焼き、儒学者を穴に埋めたが、これは左に曲がっていたのを矯正して、真ん中より右に曲がってしまったのと同じで、正しくないのは同じことである。それで周も秦も滅びてしまった。周は一族以外にも領地を与え諸侯とし、秦は功臣だけ諸侯としたが、周はそのために戦国を生み、秦はそのために皇帝が孤立した。漢は周と秦のやり方の中間をとって、皇帝と同じ劉氏だけを王とした。時間が経つにつれて、人々はこのやり方は弊害無きやり方だと思うようになっていったが、景帝の頃に諸王の乱が起きた。それで諸王の力を削減したところ、外戚が力を伸ばして王氏により天下を奪われてしまった。…唐は異民族と戦って力を疲弊させ、元・清が天下を取る元を作ってしまった。また、唐は規模の大きなことを好んだので天下が乱れた。また、詩の才能でもって役人を選抜したので、みな詩の文才ばかり誇るようになり、風俗は衰えて軽薄になった。次の宋は唐の失敗を受けてみな小規模にしたのでだんだん弱くなっていき、兵も弱くなり、ついに異民族に国を奪われてしまった。そして元が天下を取ったが、中国の風俗に合わなかったので、明にとって代わられた。これらはみな、先代の良くない点を改めようとして、弊害が生じたものである。
●風俗の事
風俗は「ならわし」である。梅は春を知らないけれども、春になれば花を咲かせ、夏は知らないけれども、枝が茂って実を結ぶ。立春というけれども昨日の冬と異ならず、だんだんあたたかくなっていく。立夏というけれども、昨日の春とあまり変わらず、だんだん暑くなっていく。春の日中あたたかくなるのは、夏の気配を感じさせ、夏の夕方に涼しくなるのは、秋の気配を感じさせる。その間に知らず知らずのうちに花は移り変わっていく。「知らずして帝の則に従う」(良寛の言葉。人は知らず知らずのうちに、天帝の定めた自然の法則に従って生きている、という意味)と言った例もある。
●礼の事
礼は川の堤のようである。いつもは堤を頼みにすることは無いが、提を撤去しようとは思わない。堤の上を歩く旅人も、足でその土に穴を開けようなどとはしない。川沿いの村人ならなおさらである。みな提を少しでも高くしたいと思い、蟻が掘った小さな穴でもないかと用心をする。礼も同じことである。悪いきざしを抑え、良いきざしを育てるものが礼である。身分に合った服を着、身分に合った供を連れ、あるいは輿車に乗って道を進むときに、店においしそうなものが置いてあっても、美しい景色があっても、心を奪われないのは礼の堤の力である。もし身分に合わない服を着て、供の人数を省略して道を進めば、おいしいものがある所に立ち寄ってこれを食い、美しい景色を行き過ぎるまでずっと眺め続けることになるだろう。なればこそ、礼というものは尊いものだとわかる。礼に反するものは見てはならない、聞いてはならない、言ってはならない、行ってはならない。これが仁に至る要点である。礼を軽々しく見るのは、水が無い時に堤を見るのと同じである。礼儀作法が非常に事細かく定められているのも、みな自然の法則に従ったことである。だからこそ「復礼」(礼に立ち返る)というのである。林放が礼の本質について(孔子に)質問した際に、「よい質問だ」と言われたのはよく知られたことである(『論語』八佾[はちいつ]篇。孔子は、それに続けて「派手にせず控え目にせよ、しかし葬式では控え目にせず悲しむのが良い」と答えた)。
●楽の事
鳥や虫が鳴くように、聞く人の心が和らぎ、楽しめるものでなくてはならない。しかし、楽しむところにも良し悪しがある。今流行っている歌の中でも、謡曲というものは、姿勢を正して歌う。村々での歌では礼儀に外れた座り方で歌うのもある。仕事の違いによって、心の持ちようも違ってくるのがわかる。楽の趣旨は言葉や文章では言い表すことができない。天地の中に生じた人は五行(すべてのものは木、火、土、金、水の5つの元素からなるという説)を備えるが、それに対応した五常(仁・義・礼・智・信の5つの徳目)と、それに適した五声(宮・商・角・緻・羽の五つの音階。ドレファソラに相当。宮は土、商は金、角は木、緻は火、羽は水に対応する)によって、人を育てるのがすばらしい政(民を正しく導くこと)というものである。
●政と教と人情と理の事
このようであるべき事、というのは理である。理であるからこのようであるべし、と説くのが教である。しかしこのようでありたい、というのが人情というものである。それでもそのようであれば、正しい姿になりなさいというのが政である。理をもって教とし、人情をもとに政をするのがよい。よいものを着て、よいものを食べたいと思うのは人情である。夏は葛の服で事足りる、冬は綿入で事足りる、というのは理である。悪衣・悪食を恥じるな、というのは教である。上の者はこの服を着て、次の者はこの服を着て、とか、このような食事をして、と身分に応じた制度を定めて、身分によって結婚を許さないようにしたのは教であり、結婚できるようにするのを政と言う。
●任官の事(政の事の次に入る)
『周礼』を「乱民」(社会の秩序を乱す民)の書と言うのは、「大意」(だいたいの意味)は知ってその「業」(深い意味)を知らず、理(道理)を論じて情(人情)を論じないことだと言えよう。先に述べたが、弊害を矯正しようとするのは、弊害を生むことにつながることが多い。遠回りで、いい加減なのが最上のやりかたである。左の役人は右の役人の事を知らず、右の役人は左の役人の事を知らない。車は輪・軾(車の床の前にある横木)・轅(前方に突き出ている2本の棒)・轂(輪の中心にある丸い部分)が組み合わさって車として働くことができる。それぞれ別の役割があるが、車のために用いられるという点では一致している。同じように、左右前後の役人は、役目は異なるけれども、国を治めるために用いられるという点では一致している。役人が多ければ煩わしいが、少なければくつろぎやすい。時と勢を考えて行うべきである。
●幾漸の事(名器の事の次に入る)
心を安定させて落ち着かせ、正しい判断ができるようにすべきである。医師が自分の子に薬を与えないように、私情に流されるようではまともな判断ができなくなる。今日の行いの可否善悪は、すでに前日にはそのきざしがある。現在の治乱(世が治まることと乱れること)得失(成功と失敗)はすでにその前に原因がある。「蕩蕩乎」(広遠なこと。多方面にわたって遠い将来まで見通すこと)としてこそ知ることができるだろう。
●山川の事
山の木がなくなり、川の水が枯れるのは、国が亡びる前兆である。山は木が茂っていて、川は豊かに水をたたえているのが良いのである。山や川を祀るのも、正しいことなのである。
末尾の文章も略されていたようで、正しくは次のようでした。
…このほかにも書きたいことはあるが、長くなるので略する。知るのは難しくないが、実行に移すのは難しい。私の書いた言葉は人の口真似である。私が述べたことは誰しもが知っていることで、どの本にも書いてあることであるけれども、心の赴くがままに、見たり聞いたりしたことを書き記した。ただ人は誠の一つ、これあるのみである。人の短所を言わず、自分の長所におごらず、人に恵み与える際には私情を挟まず、物を恵んでもらった時は決して忘れない。ただ天の心を謹んで承ることが、人として行うべき道である。武家はお互いに(徳川に)代々仕える譜代であることのありがたさを忘れることがなければ、何事にも慎みの心が芽生えるものである。今述べたことも人の口真似である。少しも実行できたことが無い。同志の方々と切磋琢磨して、仁の徳を達成できるようにしたいと思っている。…
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