市町村合併などを機に、新市町村名に旧国名をつけるパターンが
ほぼ全国的に見られます。
前回は福井県編をやりましたが、
今回は、北部の能登国・南部の加賀国が合体してできた石川県編です!
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇能登町
2005年、能都町(※1)・柳田村・内浦町(※2)が合併して誕生。
能「登」町になる際には、能登「まち」ではなく、能登「ちょう」が採用された。
理由は、「まち」だと「発音が能都町(まち)とほぼ変わらない」、と他の合併町村が反発したため。
※1 能「都」町は、宇出津町・三波村・神野村の一部・小木町が
一九五五年に合併して成立した町で、
町名には「能登の都」へという願望がこめられていた。
※2 内浦町は、1958年に改称するまでは「松波町」であった。
1474年に築城された松波城があったところで、
松波城は畠山氏が奥能登一帯を統治する拠点となったところ。
由緒正しい地名なのに、残念ながら「松波」の町名は消えてしまった。
〇中能登町
2005年、鳥屋町・鹿島町(※1)・鹿西町(※2)が合併して成立。
「中能登」は、
①能登半島のほぼ中央に位置する
②「能登」という地名の由来となった古墳時代の豪族、能登臣馬身龍が拠点を置いていた
ことに由来している。
※1 現在の七尾市・中能登町地域は昔まとめて鹿島郡といった。現在は中能登町地域のみが鹿島郡(郡は町村をひとくくりにしたもので、大正期までは郡役所があった。今は有名無実。地域的な連帯感はある。市になると郡から外れる)。
※2 弥生時代の遺跡「杉谷チャノバタケ遺跡」から「日本最古のおにぎり」の化石が発掘されている。
〇加賀市
マンガでも触れたが市名が新しくなる際にいろいろと問題があった市。
旧加賀市は1958年にできたが、この際には、
「山代温泉」が有名な山代町・「片山津温泉」が有名な片山津町、
そして鎌倉時代に作られ、南北朝時や戦国時代に朝倉氏・加賀一向一揆・上杉氏・織田氏などにより、
長く攻防の舞台となった大聖寺城(城自体は1615年に廃城となり、その後大聖寺班藩ができた時は藩庁となる陣屋が置かれた)のあった、
大聖寺町が消えてしまった( ;∀;)
そして、「知名度があり、市の将来の発展が期待できる」として、
「加賀市」を新市名にしてしまった!💦
福井の「越前市」はわかります。越前の国府があったところだから。
加賀の国府があったところは特定できていませんが、小松市にあったと言われています(金沢市の北部・内灘町・津幡町・かほく市が属していた加賀郡にあったともされる)。
ここで暗雲がたちこみますが(;^_^A
さらに、加賀郡でもないという始末(加賀市は江沼郡)。
「加賀市」を名乗る正当性があるのは、
①小松市or加賀郡の市町村②能美市(小松市と同じ能美郡にある)③残る加賀国であった白山市・加賀市
…の順でしょう。3番目になる加賀市が「加賀市」を先に独り占めするのはとても違和感があります(-_-;)
加賀市は川北町・能美市・小松市とともに加南(南加賀)地方と呼ばれるので、
「加南市」や「南加賀市」なら、まだわかるのですが…😓
そしてさらに、
2005年に山中町と合併して(「加賀市合併要覧」には、「1958 年の旧加賀市が合併する際、山中町も含めた合併の協議が行われたが、山中町では地元の激しい反対運動があり、ついには総理大臣勧告を受け入れず山中町は単独町政をとった。」とある。独立維持派の山中町が折れたのは、財政が厳しくなってきたため[財政力指数【1を超えると地方交付税交付金不交付団体となり、平均は0.51】は加賀市が0.63、山中町は0.39であった]) 、
改めて「加賀市」と名乗りますが、
この際は、
・「山中温泉」が有名な山中町が消えてしまった、
・合併の際、「対等」としながらも、新市名は公募せずに「加賀市」に決定となり、市役所も旧加賀市役所に決定した
…という問題がありました💦
自分としては、いろいろな歴史的地名が消える「加賀市」とするよりは、
この地域一帯を治めていた大聖寺藩(7万石)というおあつらえ向きの存在があったのだから(市役所も旧大聖寺町にある)、
「大聖寺市」とすべきではなかったかな、と思います…(-_-;)
他の町が反対するのかな。
であれば、先ほど言ったように「加南市」か「南加賀市」にするべきだったと思います(;^_^A アセアセ・・・
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