再び、お待たせしました~(;^_^A💦
前回の社会契約論マンガを描いたのが10月27日だったので、
約一か月ぶりにもなります(◎_◎;)トキガタツノハハヤイ…。。
前回のマンガでは、政府は3つに分類できるが、
行政官(政府の職員。国家公務員)は選挙で選ぶ形が最も良い、
なぜなら選挙ならば誠実な人や、知識や実績の圧人が行政官に選ばれるからだ、
しかしそのような人々も一般意志(みんながやりたいこと)よりも
自分たちの意志を優先させるようにしようとするので、
注意が必要だ、…ということについてやりました。
でも、…政治家、絶対自分たちの利益を優先させて動いてますよね(;^_^A アセアセ・・・
政治家の頭の中を占めるのは金、カネ、権力、…。はぁ。
前回は行政権について取り扱ったので、今回からは立法権についてやっていこうと思います!🔥(今回のマンガで取り扱うのは、第三編第10・11章部分になります)
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇国が死ぬとき~ルソーはかく語りき
ルソーは立法権と行政権(執行権)を次のように例えました。
「立法権は国の<心臓>であり、行政権(執行権)は国を動かす<脳>である。」
なぜ立法権は心臓で、行政権は脳なのかというと、ルソーは次のように説明します。
「脳がマヒしても、個人はまだ生きているが、
心臓が止まると、動物は死ぬのである。」
つまり、行政権を担当する政府がダメになっても、
立法権を担当する主権者がしっかりしていれば国は大丈夫だが、
立法権を担当する主権者がダメになってしまっては、
国はもう終わりだ…とルソーは説くのです。
行政権よりも立法権の方が大切だ、立場は上だ、と力説しているわけです。
日本国憲法第41条においても、『国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。』とあって、
立法権を担当する国会が一番偉いという(建前に)ことになっています。
では、なぜ立法権の方が重視されるのか?
「法律」とは「みんなのやりたいこと(一般意志)」を形にしたものです。
行政権というのは、その法律を運用するにすぎないのですから、
立法権の方が偉いのは当たり前(ということになっているの)です。
しかし実際には、
①立法権よりも行政権の方が優位に立っている
②「みんなのやりたいこと(一般意志)」ではない法律が作られている
…という問題があります。
なぜ行政権の方が優位に立ってしまうのか。
ルソーは第三編第10章において、次のように説明しています。
「政府とつりあい(力のバランス)が取れるような団体は他にないのだから、
どうしても統治者が主権者をおさえて社会契約(みんなのやりたいこと[一般意志]に従うという約束)を破棄するときはやってくる」と。
政府に対抗できるような政治組織というのは他にありません。
先にも述べましたが、第5章においても、
「政府は一般意志よりも自らの利益を優先させるようになりがちで、
執行権(行政権)の一部が法律から(主権者の手から)離れやすくなる」
と、ルソーは語っています。
少しずつ行政権は自分が自由にできる範囲を広げていこうとするんですね。
(アベノマスク配布も、法律[国会]を通さずに「閣議決定」で決められています。読売新聞の世論調査では、アベノマスク配布の方針に「評価しない」と反対の人は73%もいたそうです。これは「一般意志」に反した行動を行政がとっていることになります。しかも異物が混入していたり、サイズが小さかったり、品質は悪いものであったのにもかかわらず、アベノマスクにかけられたお金は釣り合いが取れたものではありませんでした。このアンバランスは??中抜き…政府や癒着している業者に流れたようにしか見えません(;^_^A)
確かに「やることを決める」のと「実際にそれをやる」のが別々だと効率は悪いんですよね。
言うたら、「本屋まで歩いて」と別の人が言って初めて、
「本屋まで足を動かす」ようなもんです。
同じ人がやった方がスムーズなのは道理です。
しかしそれだとダメなんですね。
ルソーは第三編第10章でこう言います。
「国が壊れる場合の1つは、統治者が法律に従って政治をせず、
主権を奪った場合である」
行政権が法律も作るようになってしまっては、
政府が自分たちの都合のいい法律を作って、自分勝手な政治を行うようになってしまいます。
「法律」とは政府の行動を制約するものでもあるわけです。
この範囲内で動いてくださいね、という…。
(しかし現在の日本では、法律はほとんど政府が作っているので、
「法律」は政府の制約にはなっていません。。だから憲法が必要なんですね)
では、立法権が行政権も担当すればいいのではないか??
これもダメです。
ルソーは第三編第4章で言っています。
「法律を作る者が、法律を実行することになるのは好ましくない。
立法者が私的な利害を法律に持ちこむようなり、必ず腐敗する」。
別々にしていることがブレーキになっているわけです。
確かに、お金の使い道を決める人(例えば、今月は本に使うお金は3000円まで…など)と、お金を使って実際に物を買う人を分けていた方が、
お金のムダ遣いはなくなりそうです。
また、ルソーは第二編第7章で、法律を作る人は、
「一方に偏らず、完全に独立していなければならない。そうでなければ法律は不正なものになる」「ギリシャでは立法を外国人にゆだねることが習慣だった。イタリアの諸共和国もこれをマネした」とも言っています。
私的な利害を持ちこむことなく法律を作るのは、難しいものなのです。
そして、②の「みんなのやりたいこと(一般意志)」ではない法律が作られている…ですが、
例えば「特定秘密保護法」(2013年12月成立)という法律がありました。
日本の安全保障にかかわる特に秘密にしなければならない内容を外部に漏らしてしまった人に対する罰則を定めたものです。
これはまぁ、必要だとは思うんですが、
(これがないと同盟国は、あぶなっかしくて日本に軍事情報を伝えられなくなる)
何が「特定秘密」にあたるのかがあいまいで(権力が濫用される恐れがある)、「特定秘密」かどうか判断するチェック機関は内閣に設けられる(政府から独立して行動できるのか疑問)、といった問題がありました。
(後者については、難しい面もありますけど…。重大な情報を政府外の人に見せて、これ、「特定秘密」にあたるか判断して、というのも…。実際、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスでも、政府にかかわる人がチェックしています)
この法律に対する世論調査は、
[共同通信社]10月26・27日 賛成 35.9% 反対 50.8%
11月24日 賛成 45.9% 反対 41.1%
12月8・9日 「このまま施行すべき」9.4%、
「修正すべき」54.1%、「廃止すべき」28.2%
[毎日新聞] 11月9日・10日 賛成 29% 反対 59%
[産経新聞] 11月16・17日
「必要だと思う」59.2%「必要ではない」27.9%
「今国会で成立させるべき」12.8%、
「今国会での成立は見送るべき」82.5%
[朝日新聞] 11月30日・12月1日
「今国会で成立させるべき」14%
「継続審議にすべき」51% 「廃案にすべき」22%
12月7日 賛成 24% 反対 51%
国会審議は「不十分だ」76% 「十分だ」11%
[日本経済新聞]11月22〜24日 賛成 26% 反対 50%
…と、けっこう調査結果にばらつきがあるものだったのですが、
賛成している人も、議論が不十分だ、政府の説明が不十分だ、と感じている人が多かったようです。
たしかに、政府は議論を避けているきらいがありましたし(審議時間は他の重要法案の場合と比べて短かったそうです)、
なぜ大事なのか、どういうものが対象にあたるのか、などの懇切丁寧な説明があまりなされず、
国民の不安をあおる結果になっていました。
国民もこのような法律は必要だと感じていたのにもかかわらず、
政府のまずい対応で反対意見を増やしてしまった結果となったわけです。
そりゃ、あいまい・あやふやだったら、心配になりますよ。
この「特定秘密保護法」は、結局、不安視する意見が多かったものの、
与党が多数であったため、2013年12月6日に成立しました。
ルソーは第二編第3章で「政治団体は作ってはならない。一般意志ではなく、政治団体の意志によって国が動かされることになってしまう」と語っていますが、
これはその通りの結果でしょう。
しかし、ルソーは第三編第11章で、こうも言っています。
「国家が続くのは法律によるのではない。立法権によってである。」
法律よりも立法権の方が大事だというんですね。なぜでしょうか。
「立法権」とは法律を作ることだけではありません。
法律を変更したり、廃止したりする力も含まれています。
(第二編第12章に、「人民はいかなる場合にも、法を変更する権利がある」とあります)
ルソーはこう言います。
「できた法律に対して沈黙することは、承認したとみなされる。
主権者は法律を廃止することができるのに、廃止しないのも承認し続けているとみなされる」
法律が成立した=終わり…もう文句は言えない…ではないのです。
良くない法律なら変えたり、廃止したりできる力が主権者(国民)にはあるのです。
しかし実際には成立前、あれだけ盛り上がっていた議論が、
成立後はまったく大人しくなっています。
「特定秘密保護法?ああ、そういえばそんなのあったね」
的な感じになっているのではないでしょうか。
約10年が経過して、問題になっていないということは、
あの時の反応は過剰なものだったのでしょうか。
いや、国連は問題にしているようです。
2013年に法律が成立後も、
2015年と、2017年に改正の勧告を行っているのです。
国連人権高等弁務官事務所は、
特定秘密保護法は言論と表現の自由をおびやかすものであり、
日本の報道が特定秘密保護法などで萎縮している可能性についてふれ、
安全保障上問題がなく一般市民の関心のある情報については開示しても処罰されない例外規定を設けるべきだとしました。
改正を勧告した人物は、教科書問題や慰安婦問題でも日本を批判している人物であり、公平・中立性に欠けるという批判もありますが、
法律成立時に、
「シュピーゲル」(ドイツの週刊誌。発行部数がヨーロッパでもっとも多い)が
「日本で、内部告発者を弾圧する、異論の多い立法が成立した」と言い、
「ニューヨーク・タイムズ」(アメリカの高級日刊紙。アメリカでは3番目の発行部数)が
「日本の反自由主義的秘密法」と批判したように、
同種の法律がある国からも批判を受けていることも考えると、
特定秘密保護法は修正すべき点がある法律であることがわかります。
「できた法律に対して沈黙することは、承認したとみなされる。
主権者は法律を廃止することができるのに、廃止しないのも承認し続けているとみなされる」
…沈黙し続けていてもいいのでしょうか?
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