社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 棄捐令の反応

2026年1月16日金曜日

棄捐令の反応

 ※マンガの後に補足・解説を載せています♪

棄捐令の反応

『よしの冊子』9月17日条

一、「蔵宿棄捐利下げ之儀」につき、借金のある旗本・御家人、それに御三卿に仕える者たちはいずれも、喜ばない者はいなかったという。まことに、今まで苦しいのを我慢できずに、ただ蔵宿にばかり奉公する者が多く(何度も借金を頼みに行っていたという事)、今年は年を越せるか、金銭のやり繰りがうまくいかず、行き詰っている者が多かったので、まことに(幕府の棄捐令の)おかげで「生(いき)かえり候」と有難がり、各地で越中(松平定信)様に御神酒を供えて拝まない者はいないのだという。堀帯刀組の与力の中で、かなりの借金をしていた者は、子を養子に出そうかと相談していたが、今回の法令が出たので、養子に出さなくてもよくなり、さっそく断りの連絡を入れた者もあるという。近々家などを売ろうとしていた者たちも、その相談を止め、蔵宿の出方をうかがっているという。以上のように、蔵宿の事で江戸中が大騒ぎとなり、有難がり喜んでいるという。

一、蔵宿借金に関する法令はさてもさても小気味の良い(胸がスッとする)ことである。ただ蔵宿は小言を言うであろうが、気にしなくてもよいことである。「かるい御家人」(下級の御家人)などは「あまり結構過る」と言っているという。

一、この度の蔵宿利下げの事は、全ての点でよろしく、「誠に深き御考より出候事也」、と有難がっているという。この機会に財産を直さなければ直すときは無い、と放蕩無頼の者たちまでも言っているという。

一、伊勢屋四郎左衛門は貸付金7800両、扱っている米は15000俵ほどあったという。4・5万石の大名並みの暮らし方じゃと噂されているという。四郎左衛門が蔵宿で一番と噂されているという。

一、蔵宿利下げについて、次の狂歌があったという。

「借銭を 浅草川で あらわれて おごりはならず 己(み)からなす宿」

一、田付四郎兵衛(幕臣、代々幕府の鉄砲方を務める)は2000両ほど棄捐となったという。2・3代にわたる古い借金が多かったからだという。

10月2日条

一、知行取り(領地を持っている幕臣)で困窮している者は、自身の領地における借金も棄捐になった、と言いふらしているというが、このことは、先日出された棄捐令において禁止されていることである(棄捐令は札差限定である)。知行取りの者は百姓からも12両1分(年利約25%)、10両1分(年利30%)の高利で借金をしており、自身の領地に用人を派遣して頼みこみ、あういは飛脚・書状を送って度々借りるので、ついには利率は8両1分(年利37.5%)、7両1分(年利約43%)までなっているという。これについても利下げを命令してほしいものじゃと勝手なことを言っているとのこと。

一、末吉摂津守(利陸。元長崎奉行)は蔵宿に2千両を預けていたが、棄捐令の出る一両日前に蔵宿に急に2千両が必要になった、ただ見せるためのものだから、ニ・三日中には返せるので、とにかく2千両を送ってほしい、と言うので、蔵宿が確認した上で2千両を送ったところ、棄捐令が発令され、2千両は末吉摂津守の手元に残ることとなった。「末吉はどうして知ったのか、あぶなく2千両を捨てることになる所だったが運の良い男だ、棄捐になったら困るであろうが取り返したところが末吉だと噂しているとのこと。

一、棄捐令の事を町にも伝えたところ、「これは札差以外の借金はこれまで通りだから安心いたせ、とのお考えをお知らせになるために伝えて下さったのであろう、有難いことじゃ、これで御家人から不法を言われても、こちらで事情を理解しているから、うろたえず困らずに済む」と町人どもは有り難がっているとのこと。

『札差事略』

9月中に、(朝倉御蔵前)中ノ口に、封書の落書があった。内容は次の通りである。

「今回の仕法の改正を受けて、札差仲間では恐れ入っている者もいれば、かえって公儀を恨んでいる者もいる。しかし、現在の仕事の中で、札差ほど利益が安定している者は無いのである。例えば大船に様々な売り物を載せて、難風にて船が壊れる恐れもなく、蔵に商品や質物を保管して、火災のためにこれを失う心配もしなくてもよい。まことにこの度の命令は、天が命じたもので、今後は天道を恐れ身の程をわきまえるべきである。これまで札差は、ただ利欲に目がくらみ、家業の本分を忘れ、御武家のおかげで成り立っていることも忘れ、御武家方に無礼を働くことが多かった。心を正しくつとめていれば、許されることもあっただろうに、主人だけでなく、支配人や対談人までも正しい心を失っていたので、御武家方もこれを聞き流すことができなくなったのである。札差は御武家方のおかげで大金をもうけ、家を立派にこしらえ、美服・美食に満ち足りて、その上、御武家方に姿を見せることもせず、家業を面倒くさく思い、壮年にてもう隠居し、家業の事は支配人・手代に任せて自身は過度のぜいたくをし、別荘を築くなど、さまざまな派手でぜいたくな暮らしをして得意がっていたので、御武家方もこれを憎むようになったのである。さて、こうなった上は、変事に心を乱すことなく、慎重に判断をし、正しい道を守り、よくよく思いをめぐらせて考えることが必要である。札差仲間の中で金が余っている者は、生活が苦しい人々に身の程に応じて低利で金を貸し与え、仲間の間で一致協力して倹約を心掛け、道に背くことが無いようにすれば、御武家方も物事を良く処理できるようになり、支障がなくなる。このようにすることが、御上への忠節にもつながる。人の為は自分の為になることであるので、丹誠を尽くし、自他ともに平穏無事になるように取り計らうことが肝要である」

『菅沼家文書』

〇やくはらい

やあら今度の御触を申さは 年賦は三両(6年以内~5月までの借金は、年利6%となったが、それとともに、元金は禄高100俵につき年に3両ずつ返済と決められていた) きゑん(棄捐)は万両 方々藏宿九十軒から惣し 此上六分利(今後の利息が1両につき6分[年利12%]になったことを指す)みんなのおごりは百年め 旗本御家人大悦 是も白川御くふうと あつたらむけ俸引とられ 大川はさらはさら(田沼時代に大川中洲の一部を埋め立て、『花散る里』に「両国の中州と云所、殊の外繁昌して、賑いたるよし。遊女芸者軒を並べ連ね、家を並べ互に競い、鳴物料理総て数寄を極めたり」とある納涼地・遊興地「中洲新地」が作られていたが、松平定信は川の流れを悪くし、洪水の被害を悪化させたとして寛政元年にこれを取り壊し、翌年には埋め立て地は川に沈んだ。埋立地の土を運ぶ際には、1人につき銭200、米1升が与えられたので、人々は「誠の御救普請」と有難がったと『よしの冊子』にある。また、この埋立地の土で人足寄場が作られている)

〇ちょんがれ(ちょんがれ節。卑俗な文句を早口で唄う)

皆さん聞ねいェ 今度の徳政辰年以前の古借へ皆セイ 五ヶ年以来ハ五十両壱分(年利6%)だ うれしいこんたにくら宿なんとは 頭痛はち巻あたまかとうやらしぶくる(うまく機能しなくなる)よふだよ かふなることとは札さしなんどは 夢にも白川武士の氏神 御恩はわすれぬ不勤之面々励をしなせへ 五ヶ月なんどはかならすよしねへ 金もいらすにそきらの励を 田沼時分のまいない(賂。わいろ)けいはく(軽薄)音物いたごと(痛事。費用が多くかかること) 明和九なんとはさらりとよしねへ まことに是から徳政元年 よい事菊月(旧暦9月の事)大吉日とうやまつて申ス。

・雪ほとに 古借金のきゑんとは 日の出かゞやく白川の恩

・御家人を しほる(絞る)油の万灯も まつ蔵宿のきへかゝりけり

・借金の ふちにしつみし武士を はらはせ給ふ白川の君

●札差が受けたダメージ

さて、棄捐令によって困ったのが札差たちです。

棄捐令によって吹き飛んだ貸金の総額はなんと118万7808両に及んだといいます。

『癸卯雑記』によると、1789年の幕府の歳入が190万両、1793年は118万両、1814年は139万両であったそうなので、かなりの金額であったことがわかりますね💦

一番損をしたのが伊勢屋四郎左衛門で、棄捐高はなんと8万3千両にものぼりました。

そこで9月23日、札差たち28名が連名で次の内容の御慈悲願いを出しています。

…私どもはもともと経営状況が苦しく、これまで他の金貸しから金を借り、これにこれまで貸し付けてきたお金の利息を加え、「札旦那」の方々に金を御用立てしてまいりました。しかしこれまで貸してきた金が棄捐となり、5年以内のものは利下げとなり、今後貸すお金については利率が12%となってしまっては、私どもが札差の家業を続けることが難しくなるのはもちろん、家族を養うことも難しくなり、途方に暮れております。これまで私どもが引き受けていた札旦那方にも、これまで通りに対応する手段が無く、どうしてよいかわからず、非常に困っております。16日の法令について、何とぞ御慈悲をお願いいたします。…

慈悲願いを申し出た28日の札差について、末岡照啓氏は『徳川幕臣団と江戸の金融史』にて、次のように分析しています。

札差を棄捐令による棄捐高でA(2万両~)、B(1万両~)、C(5千両~)、D(1000両~)、E(1000両未満)の5つのランクに分けた時、28人はAランクが8人、Bランクが11人、Cランクが4人、Dランクが3人、Eランクが2人で、棄捐高の大きいABCランクが20人と多かった。

被害の大きかった札差が中心となって訴え出ていたことがわかりますね。被害が大きかった=富裕であった、ということなので、そこまで困ることも無い(そもそも他人から金を借りる必要がない)者たちであるはずなのですが。

28人の中でもっとも棄捐高が多かったのが、全体2位の伊勢屋喜太郎で、なんと6万696両もの借金が帳消しにされてしまっています。

ちなみに伊勢屋喜太郎は十八大通の一人です。

先に紹介した十八大通はどんな損害をこうむったのか見てみますと、

賭け事大好き大口屋八兵衛は1万6001両、豪華行列で処罰を受けた下野屋十右衛門は1万9460両、「平十郎小判」「平十郎屋敷」の笠倉屋平十郎は1万9756両、キス遊びの伊勢屋宗四郎は1万3876両…となっています。いずれもBランクであったんですね。笠倉屋平十郎と伊勢屋宗四郎は慈悲願いを出したメンバーに名を連ねています。

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