※マンガの後に補足・解説を載せています♪
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寛政年間(1789~1801年)はじめには、武士の生活を苦しめる事象が発生していました。
それが、天明8年・寛政元年と2年連続の豊作です。これにより米価が低下したのですが、武士は米を売ってお金に換えて生活していたので、米価の低下はつまり、武士の収入の低下を意味します。
それなのに、物価は依然として高いままでしたから、武士は生活に困り、さらに借金を重ねる…というように、生活の悪化が深刻なものになっていきました。
松平定信は膨れ上がる借金に苦しむ武士を救うため、次の作戦を考え、勘定奉行の久世丹後守(広民。1737~1800年)に提案しました。
…20年以上前の借金は「棄捐」とし、10~19年前までのものは20年返済、もしくは無利息とする、5年以前のものは15年返済とする。借金の利率は今のまま(18%)とする。…
「棄捐」とは破棄すること、つまり、借金を帳消しにすることを指します。
隈崎渡『日本法の生成』には、「棄捐の語義は元、単に物の棄却、破棄に在つた。御成敗式目に「右妻依有罪科於被棄捐者」云々とあるのも、夫による一方的離婚で、要するに妻を棄却するの意である。…棄捐が専ら経済的に用いられるに至つたのは江戸時代に入つてからであり、幕府が旗本御家人を救済すべく、彼等と金融業者の間の貸借関係を消滅せしめるものであった。しかし、それは頻発されたものではなく、江戸時代を通じて前後三回を計えるに過ぎない」とあります。前後三回と言っている1回目が定信の棄捐令なのですね。
3月13日、これに対し久世丹後守は松平定信に次のように提案をしました。
…近年、旗本・御家人は一様に困窮していると聞いております。もちろんこれは本人の器量や善悪、運不運も関係しているものではありますが、贅沢の風潮が激しくなり、世間一般に広まった結果、家計の状況が苦しくなったものと考えられ、その上、米価は上がったり下がったりするのに、それ以外の物価は一向に下がらず、質素倹約を守っても、もし米価が引き続いて安くなるようなことでもあれば、より一層苦しむ者が出てくると考えられる中で、今回の作戦が立てられたことに対し、みな有難く思い、家計を立て直し、誠実な心も取り戻す事でしょう。しかし、近年の米価の高騰で、札差たちの取り分も減少しており、経営状態が苦しくなっているようで、調べたところ、札差97軒のうち自分のお金だけで営業できている「上之分」が7軒、他所から借りているお金より自分のお金が勝っているまぁまぁの状態の「中之分」が22軒、他所から借りているお金の方が多い「下之分」が68軒…ということがわかりました。よそからお金を借りて経営をしている者が多い中で、この作戦を実行されると、「下之分」の札差たちはただでさえ大変なのに、生活がより一層苦しくなる、と申し立ててくるでしょうし、今後武士への貸し出しを渋ることにもなりかねません。そのようになっては、武士たちは恩義を忘れ、逆に迷惑なことであった、と考えるようになってしまうことでしょう。だからといって、これまでの札差を残らず営業停止とし、札差の新規開業を命じるのも難しいことです。そこで、越中守殿の作戦を、次のように変更するのはどうかと思い、提案させていただきます。
20年以上前の借金は「棄捐」、10~20年前までのものは無利息30年返済、ただし、これまで通りの利息であれば50年返済、9年以内のものは利息10%10年返済、ただし、他所からの借り入れの方が多い札差で、利息収入の方が下回ってしまうことになり経営が厳しくなってしまうという者は、金を借りたものに対し、相談をして解決するようにする事。
これに加えて、浅草御蔵前に、江戸・京都・大坂の「豪富之町人」(豪商)の者たちが出資したお金でもって「会所」を作り、自分のお金だけで営業できている札差に運営を引き受けさせ、武家に貸し出す利息は10%とする。ただし、札差に全く利益が無いと苦しくなってしまうので、10%の利息のうち、1割は札差に、9割は会所のもの、とすれば、札差も他所から金を借りることが無くなり、富豪がため込んでいたお金も世間に少しは流通するようになり、武士の家計も改善できる事でしょう。さて、会所の武士への金の貸し方についてですが、札差どもと相談のうえ、わずかな金額を借りるのであっても、その訳を会所に説明させ、急にお金が必要になった場合であったとしても、証文に会所の「改印」が必要なこととし、借りるのを難しくする。ただし、もっともな理由である場合には速やかに金を貸し出せるようにする。金利は低くなったものの、借金がかさむことの無いように、厳しくお命じになられれば、武士たちは皆ありがたく思うようになり、札差たちも、(もうかりにくくなるので)不埒なふるまいをする者がいなくなることでしょう。また、札差に対し、幕府の「御金」5万両を無利息で貸し付け、今後各方面(庶民)に対して行う貸金の利息でもって、年に5%ずつ上納させ、20年で返済させることとすれば、幕府の「御仁恵」に感服し、質素を守るようになって、(経営状態が改善されることで)金の貸し出しもよくできるようになり、世間に困窮する者はいなくなることでしょう。…
(※Wikipediaでは、会所の貸出先が武家ではなく「経営困難となった札差」になっているが、これは誤りである。史料には「武家え貸渡方之儀」とあり、札差に貸すとは書かれていない。また、後でも出てくるが、定信は会所が武士に金を貸す事に言及している)
久世案のポイントは定信案より内容は厳しいものにしつつ、札差の経営状況を鑑みて札差救済策も提示したことと、「会所」(取引所)を作るという事です。
この会所について、長田権次郎『時代乃面影』には、「今日でいう機関銀行」と説明がなされています。
機関銀行とは、あまり耳慣れない言葉ですが、寺西重郎氏『日本の経済発展と金融』によると、「機関銀行とは少数の事業会社と資本的、 人的に密接な相互関係をもち、 その企業や関連する企業へ融資を集中させる銀行」のことであるそうです。
つまり今回の場合では、武士に限定して融資を行う…という事を指しているのですね。
また、札差救済策として、幕府の金5万両を無利息で札差に貸し付ける、というのを挙げていますが(北原進氏は「寛政の棄捐令について」で「公金貸下げについての久世丹後守の立案は、「棄捐令」の発布により札差の抵抗ないし没落、その結果として武家金融の逼塞という事態を恐れたからにほかならない」と述べている)、末岡照啓氏『徳川幕臣団と江戸の金融史』によると、幕府が札差に貸金を行なうというのはこれが初めてではなく、1774年・1779年・1781年と田沼政権時に3度にわたって実施されたようです。1774年は町奉行所から札差に年利5%・10年返済で、1779年は札差に武家へ年利12%で貸し付ける、札差は利息の2%分をとり、残りの10%分を町奉行所に納める、という条件で1万両が貸し付けられ、1781年には79年と同様の貸し付けが実施されています。この3つの場合は幕府の収入を増やす目的で行われたわけですが、今回の久世案では札差救済が目的なので無利息で貸し付け、ということになっていました。
これに対し、松平定信は次のように返事をしました。
…もっともなる意見である。しかし、幕府による札差への無利息の融資は、(5万両ではなく)3万両でよいだろう。札差どもは身分をわきまえず言葉に言い表すことのできないぜいたくをしていると聞いている。町人で他に過度の贅沢をしている者は歌舞伎役者であろうが、特に札差は(武士に対する態度が)「失礼尊大之様子」が「不届之至」であるので、厳しい態度を示すことが必要である。札差どもは、身分をわきまえぬ贅沢などしておるので、経営状態が苦しくなり、他所から借りたお金で金貸しを行なうようになっていると聞き及んでいる。最初は札差を全員取り替えても良いように思っていたくらいなのだから、あまり憐れみをかけることも無いと思う。…
5万両から3万両に値切ったわけですね。
続いて7月5日に、町年寄の樽屋与左衛門(『日本経済史辞典』によると、樽屋は奈良屋・喜多村氏と共に「三年寄」と呼ばれ、江戸の市政の実務を管理する名家の一つであった。寛政2年[1790年]4月に名字を名乗ることが許され、「樽」を名字としている)が次のように提案をしました。
・仕法について布告される時期は、9月になされるようお願いいたします。俸禄米が支給される10月1日より前に20日ほど期間があれば、用意は残らず整えることができると思います。9月は冬服への衣替えの時期(9月9日に重用の節句がある)であり、お金が必要となる時期です。9月より前に布告されると、札差どもが驚いて、物入りの時期の前に金を借りることができなくなってしまいます。また、仕送りを受けて生活している者たちは、毎月初旬に仕送りを得ていますが、仕送りを得た後であるならば、札差どもがいくら騒ごうとも、10月の俸禄米支給までやり過ごすことができます。
・仕法の施行時期について、10月から改めなさるように申し上げます訳は、10月の俸禄米支給が3度の俸禄米支給の中で最も額が大きいので、仕法の変化による影響を一番大きく感じることができ、武士たちが特に有難く感じることになるだろうと思われるからです。
・仕法改正の内容についてですが、借金返済について天明4年(1784年)以前のものについては訴訟を取り上げず、「双方相対次第」(お互いに話し合って決める)とし、5年以内~今年の5月までのものについては利息を6%、5月以後のものは12%とされるのはいかがでしょうか。20年以上前のものは「相対」とする、という案も考えましたが、これだと借金を消すことにつながらないと思われます。6年もあれば十分でしょう。借金が高金利なので、数年の内には利息が最初に貸したお金(元金)と同じくらいになっており、札差はすでに元が取れ、以後は自分の収入とすることができるようになりますから。
・一方で札差に対する慈悲として、会所に貸与する5万両分の利息を下賜され、札差は今後会所から拝借して貸し付けを行なう際に、「世話料」として利息の中から2分(利息12%のうち2%分)を与えるようにでもすれば、札差は有り難く思うことでしょう。
・6年以前の借金を「相対」とし、訴訟は取り上げない、という事にすると、町中の金貸しをしている者たちも勘違いをして、金貸しを渋るようになるかもしれませぬから、「相対」の件は札差に限る旨を布告されるのがよろしいかと思われます。
・武士に対しては、今回の法令が出されたからといって、心得違いをして、俸禄米を直接受け取るようなことをことをさせず、今まで通り必ず俸禄米はまず札差が受け取るということを伝えれば、札差どもは皆ありがたがることでしょう。
樽屋案のポイントは借金帳消しの対象が定信案・久世案は20年以上前であったのを6年以上前としたこと、「棄捐」の語は使わずに「相対」の語を使用したことです。
これについて、北原進氏は「寛政の棄捐令について」で、「樽屋は天明4年以前と5年以後とに大きく二分し、前者を相対済し、後者を年利6%(通常の三分の一)に下げることとしている。天明四年を境に二分したのは、公定年利が18%であるから、6年目に利子は元金を越えることになり、それ以前の債権はすでに元金を取り込んでいると見なしたためであり、延享年間に町奉行能勢肥後守が札差債権の6年以前相対済しを申渡した故事に学んだものであろう。また幕閣が棄捐という厳しい語を使っているのに対し、彼が相対済しとゆるめた根拠は、第一に言葉が柔かく、札差にいくらかは取返せる期待をもたせること、第二に、そのために若干は長年賦になるものがあろうが、「多分は棄捐に相成」ると相対済しが棄捐とまったく同じ結果になることをあげている」としています。
これに対し、翌日に定信は次のように返答しています。
…樽屋の意見は「よほど宜き主法もっともの事ども」であるが、札差どもは傲慢・奢侈(身分を超えた贅沢)であり、無利息の5万両を会所に下賜し、その利息を札差に与えるというのは、有難すぎる処置であろう。2・3万両で十分と思う。また、新しい法令が出れば、必ず悪い点を探そうとするのが人情というものであり、幕府が下賜した金でもって今後会所が武士に貸付を行うというのを、「蔵前の金元は、公儀にて遊ばされ候(会所の金主・出資者は幕府であるから、幕府が武士に金貸しをしているようなものである)」などと言う者が必ず出てくることであろう。そこで、(下賜する2万両は)「御用達町人」に1万両、札差に1万両を貸し、利息も無利息ではなく、1・2銖(1両の16分の1)ほど取ることにしたらどうであろうか。また、幕府が資金を出しているという事は、2・3か月を置いて伝えることにしたらどうであろうか。批判の出るのはできる限り無いようにしたく思う。また、ただ「相対」と言うのでは「うきたる様」(落ち着かない。いい加減だ)なので、「棄捐」とするか、「長年賦」(長期払い)とするかを「相対次第」にすることとし、これについての「出入」(訴訟)を受け付けない、ということにしたい。…
ここに出てくる「御用達町人」というのは、天明8年(1788年)10月に「勘定所御用達」に任命された(給料は3人扶持[3人が生活できるだけの米を支給する事。具体的には5.4石)、江戸の7人の豪商たちを指します(翌年12月に3人追加)。
その豪商たちというのは、
三谷三九郎…両替商。大坂の鴻池と並び称されるほどの豪商であった。東北諸藩に大名貸を行なっていた。御用達頭取に任命される。
仙波太郎兵衛…両替商。大名貸を行なう。
中井新右衛門…両替商。御三卿の一橋・田安など、多くの大名に金を貸していた。
提弥三郎…両替商。
松沢孫八…油問屋。幕府が使用する油を任せられていた。
鹿島清兵衛…酒問屋。飢饉の際には江戸で一番の施行を行なった。
田村十右衛門(豊島屋)…酒・醤油商人。薄利多売商法で成長する。大名たちの酒を任されていた。
…の7人です(寛政元年[1789年]8月28日には名字を名乗ることを許されていたので名字がある)。
これに後に竹原文右衛門(両替商)・森川五郎右衛門・河村伝左衛門の3人が加わり、合わせて「十人衆」と呼ばれたそうです。
「勘定所御用達」を新たに設けた理由として、「江戸の物価が高下に甚だしく偏り、人々がこれに苦しんだ際に、「平準之ため」金銭を出す」ことが挙げられています。物価の偏りを是正するためだというのですね。
金銭を出す、とありますが、どのようにバランスを取るのかというと、勘定奉行は「米は自由に売買させていると、米価が高くなった際は米を買い占め、さらに値段を吊り上げようとして、人々がこれに苦しむことになる。そこで、「江戸表において人々目を附候程之町人共」を御用達に任じ、米が安値の場合は大量にこれを買わせ、高値の際は米を大量に売って米の相場を下げさせる」と説明しています。
さて、この御用達町人ですが、どうやらいつの間にやら、御用達町人が会所を運営する、という事になっていたようです。
その後、9月12日頃には棄捐令を布告する段取りが進められることになり、その内容についても段々と詰められて、
・金の貸し出しについて、今後は武士の禄高に応じて貸す量を決めることとする。
・金の貸し出しについて、武士は今後は札差ではなく会所から借りることにする。
・武士が金を借りる際に勘定方の者が立ち会う。
・借りた者の姓名・役名・禄高について帳面に書き記して幕府に提出する。
…という内容が決定されたようなのですが、これらは武士が過度に借金をすることを防ぐとともに、会所へ出資した商人たちへ安心感を持たせるための作戦でした。
しかし、発令が間近に迫った8月25日に、なんと定信は次のように懸念点を伝えます。
…金の貸し出しについて、今後は武士の禄高に応じて貸す量を決めることとする、というが、これだと、これまで過度に貸していた金は道理に外れたものという事になり、分不相応に借金をしてきた者は返さなくてもいいと言い出すようになってしまうのではないだろうか。最近、恥辱の心が廃れてきている中で、武士が札差に対してしていた借金を、今後幕府の役所(会所)に申し出て借り受ける、ということにすると、ますます恥辱の心が廃れることにならないだろうか。または、恥辱の心がある者は、そのために借金を控えることになってしまわないだろうか。また、勘定方のものが立ち会う、というのもよろしくないので、樽屋与左衛門に御用達町人を添えるのみとし、与力同心を見回らせるのみとするのはどうだろうか。武士が会所に赴いて借りるのではなく、札差が金を貸す際に、不足分について会所から借りて武士に金を貸すようにした方が、今までと同じようなやり方になるので、人情が穏やかなものになるのではないだろうか。借り手について帳面に書き記して報告させるのも無しにしてはどうだろうか。…
松平定信としては、できる限り幕府が市場に関与する(金の事に関わる)、というのを避けたかったのでしょう。前の田沼政権では札差に金を貸し、その利息で利益を得ていた、という前例がすでにあったにもかかわらず、定信は「幕府が金貸しをしているようなものだ」と噂されるのを嫌がって、これをできる限り縮小しようとしましたし。幕府が金の事に積極的にかかわるのは恥ずべきことだ、という思いがあったのでしょう。
これについて、奉行衆は、御用達町人など会所に出資する者たちは、踏み倒しを恐れているので、越中守殿の言うとおりにすると、出資を渋るようになってしまう、借り手の禄高・姓名・役名は帳面に記し、禄高に応じた借金の限度を定めるようにしたいのだが、と樽屋与左衛門に相談した上で、次のように定信に提案しました。
・武士の禄高に応じて貸し付けを行う。出資する者が踏み倒しを恐れてしまっては困るので、貸金は禄高100俵につき30両を目安とする。
・札差が武士に貸付ける金が不足する場合、会所に申し出る。会所は一通り是非を判断した上で、金を札差に貸し渡す。
・会所は樽屋与左衛門に御用達商人など出資者の手代によって運営し、与力同心が日々これを見回ることとする。
2・3番目については定信の意向に従った内容になっていますが、1番目についてはこれだけは譲れないと抵抗を見せています。
この後、いよいよ棄捐令が発令されることになるのですが、その内容は最終的にどのような物になっていたのでしょうか、見てみることにしましょう。
9月16日、北町奉行の初鹿野河内守(信興。1745~1792年)は惣札差・町役人を呼び出し、次のように告げました。
…その方(札差)たちは、旗本・御家人に下された御切米(俸禄)の受け取り代行や、金の貸し付けをして生計を立てているが、借りておる者たちは元金の利息を払うだけで精いっぱいで、何代経っても借金が無くなることがないので、旗本・御家人はますます生活が苦しくなっていっている。その方たちは、そのような事情も理解しようとせずに利息を重くし、年に三回入る御切米(俸禄)による返済で足りない分は元金に付け足し、ますます借金が多くなっても利下げをしようとせず、たやすく多くの利益を得て、過度な贅沢をするのはもちろん、奉公人たちにまで遊興の限りを尽くさせ、最もひどい場合は風紀を乱すような不届きな贅沢をする者までおる。その上に、借金を申し込みに来る旗本・御家人に対して失礼な振舞いがあるとも聞く。これは言葉に言い表すことのできないけしからぬ行為であり、厳しく処罰するところ、特別にお情けをかけられてお許しになられたので、今後は風俗を改め、身の程をわきまえ、御家人に対して失礼の一切ないようにせよ。さて、この度、そなたらの貸し出し金利を下げること、貸金の返済方法について別紙の通り仕法(物事のやり方。仕方)を変更することとし、また、浅草御蔵前猿屋町の空き地に「貸金会所」を建て、町年寄の樽屋与左衛門に任せることにしたので、以上の事を心得て、今後は新たな仕法の内容をしっかりと守るようにせよ。今後、仕法違反はもちろん、不届きな行為があった場合には厳しく処罰するから、そのように心得よ。…
…この度、札差に関する仕法を改正し、幕府は札差に幕府の金を無利息で下げ渡すこととし、これに「差加金」(町人からの出資金)を加え、貸金会所からこれを貸し渡すこととした。なお、幕府の下賜金は20年返済とするつもりであるのでそう心得よ。…
札差に関する改正?された「仕法」というのは、次のようなものでした。
①・旗本・御家人に対する貸金の利息は今後、(現在の18%から)月1両につき銀6分(銀の場合は「ふん」と読む。1両=600分であるから、月の利息は1%。年間の利息は12を掛けて12%となる)とすること。
②・浅草御蔵前猿屋町の空き地に貸金会所を建て、町年寄の樽屋与左衛門に任せ、幕府の金をこれに下げ渡す。札差たちが金繰りに困った際には、会所に申し出て、金を借りること。
③・武士が「法外」・「不相当」な金額を借りたいと言ってきた際には、これまで通り断ればよろしい。このことで会所に金を借りたいと申し出ないこと。
④・会所から金を借りる際は、天王町組・片町組・森田町組、それぞれに借りたい額を取り決め、その組合全員の連印の上、借入証文を会所に提出すること。会所から貸し出された金は行事が受け取り、組合の者に渡すこと。もし会所から借りた金を返済しなかったら、それは札差組合全体の「不正」であるから、組合の者たちでこれを返済すること。
⑤・6年以上前(天明4年[1784年]より前)に札差が貸した金について、昔のものも最近のものも関係なく、「棄捐」(破棄する事)とするのでそう心得よ(「旧来之借金は勿論、六ヶ年以前辰年迄貸附候金子は、古借新借之差別無く棄捐之積り相心得べく事」)。
⑥・天明4年から今年の5月までに貸した金については、その多少に関わらず、50両につき1分(金の場合は「ぶ」と読む。1両=4分なので、50両=200分となり、1÷200=0.5%、年の利息は12を掛けて6%)の利息とすること。年払いの上限額としては、禄高100俵につき3両までとする。
⑦・今年の5月以後に貸した金については、利息は1両につき銀6分(12%)とすること。この借金については、冬(10月)の切米にて返済する。借金が多くあって、返済をすると生活が苦しくなる者がいる場合は、その者と取引をして支障が出ることが無いようにせよ。
7・札差で裕福なものは数少なく、ほとんどは他所から金を借りて金貸しを行なっていると聞く。札差で金を借りていた者は、今回の事で返済が難しくなると思うが、貸主から訴えられたとしても、5年より前のものについては幕府はこれを取り扱わないこととする。今後、金貸しから金を借りるのが難しくなるだろう、そうなると、武士に金を貸すのが難しくなってしまうだろう。武士への貸し出しが滞らないようにするために、貸金会所から金を貸し出すことにしたのであるから、武士への貸し出しが滞ることのないようにせよ。
⑪・米の代行受取料はこれまでと同じとする。
⑫・年3度の武士の給料日には武士を酒食などでもてなしていたそうだが、今後一切無用である。
・会所から金を借りられるようになったとはいえ、できる限り仲間内でお金を融通し合って解決する事。会所があるからといって、これまで貸すのを断っていた案件を受け入れることのないようにせよ。
1・今回の法令が出たからといって、今後貸し出しを渋ることが無いようにせよ。札差の行事は毎日見回り、貸し出しが滞っていないかどうかを、毎日夕方に1人が代表して役所に報告に出向くこと。
2・今回の法令が出たからといって、これまで金を貸していた相手に金を貸さないようにするというのは、心の中で幕府の命令に背いているのと同じことであるので、厳しくこれを取り調べる。
3・今後金を貸すのを渋るような者がいれば、5年以内の借金の支払いを禁止するよう命じることもあるので、心得違いが無いようにする事。「札旦那」(札差の顧客の武士)と札差は「和熟」(仲良くする事)して、何事においても「程能」(ほどよく)解決するようにせよ。
8・札差と取引(借金だけでなく米の代行受取なども含む)のある武士について、金の貸し借りに関わらず、名前と役職・禄高を帳面に書いて役所へ報告するようにせよ。
9・会所より借り受けた金の利息は10%とする。この金を使って武家に金を貸す場合、利率は12%とする。
そして幕府は武士たちに対しては次のように触れを出しました。
…借金について、棄捐・利下げとなったからには、今後はより一層生活を控え目にし、とりわけ倹約を心掛けるようにすること。幕府からの「御仁慈」を受けたというのに、不正なことを少しでも行う者がいたら、厳しく罰するのでよく心得よ。…
町人に対しては次のように触れを出しました。
…札差の貸している金について、棄捐や利下げを命じたのだが、これをもって札差以外から金を借りている者に対しても借金を踏み倒そうと考えるような心得違いの者が出るかもしれぬが、これは一切許さないので、今まで通り金を貸すようにする事。…
同日、御用達町人に対し、貸金会所の資金上納を命じています。
…この度、切米取の旗本・御家人を救うために(「御旗本御家人勝手向御救之為」)、武家が借りていた古い借金を棄捐とし、最近の借金は利下げとするように仕法を改正した。また、浅草猿屋町の空き地に会所を建て、その資金として「御下ヶ金」を下付するが、これに加え、その方たちも各自「差加金」(出資金)を上納するようにせよ。蔵宿どもが会所に借金を申し出てきた際には、確認の上、金を貸し、蔵宿が旗本・御家人へ金を貸すのに支障が無くなるようにしたいと思っている。会所の運営については町年寄の樽屋与左衛門に任せたので、上納する金額・利率などについて、与左衛門に指示に従い金を上納すること。…
これを受けて、10月5日、三谷三九郎・1万両、仙波太郎兵衛・7千両、中井新右衛門・5千両、提弥三郎・5千両、松沢孫八・3千両、鹿島清兵衛・2千両、田村十右衛門・千両、合計3万3千両が上納されることになりました。

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