社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 信長宿所の門前市を成す!贈答品は山の如し⁉

2026年5月14日木曜日

信長宿所の門前市を成す!贈答品は山の如し⁉

 ※マンガの後に補足・解説を載せています♪

●信長の宿所

参内を終えた信長は『言継卿記』によれば「半井驢庵」の屋敷に赴いてここに泊まっていますが、半井驢庵とは誰なのでしょうか?

『甫庵信長記』を見ると「医師半井驢庵所」、『織田軍記(総見記)』には「典薬頭半井驢庵」とあり、半井驢庵とは医者、それも典薬頭…朝廷の医師の最高職に就いていた者であったことがわかります。

半井氏は石野瑛氏「大医和気・半井家系の研究」によれば、もともと和気清麻呂で有名な和気氏の家系で、和気清麻呂の五男・真綱(参議)の孫、時雨(ときふる。899~965年)の時にはじめて典薬頭となります。『日本人名大辞典』によれば、母が当時の典薬頭の娘で、その縁で医学を学び、それが認められて侍医・鍼博士・医博士となり、ついには最高職の典薬頭までのぼりつめたのだといいます。その後和気氏は代々典薬頭を務めるようになりましたが、その後、戦国時代に至り、「半井」に姓を改めることになります。

ナカライテスク株式会社(試薬メーカー)のサイト内の「半井のいわれ」によれば、「和気家は京都御所施薬院の故地(京都御所内の烏丸通りに面した正親町、現在の中立売)に住み、そこで典薬頭として仕えていましたが、その邸内に大井戸があり、その水が極めて清らかで美味であったので、その井戸水の半側で主上の御薬を製し、残りの半側を自家の日常用水に充てていました。そのことが後柏原天皇[在位:1500~1526年]の叡聞に入り、天皇から「半井」という姓を贈られ、以来「和気」を「半井」と改めました」といいます。

「大医和気・半井家系の研究」には、初めて半井姓を名乗ったのは明親(?~1547年)の代とありますが、石原力氏「三位法眼と半井明重」によれば、「一四五一年和気明茂が従三位に叙せられたとき半井姓が既に記されている」そうなので、実際は「半井」と名乗ったのはもっと早かったのでしょう。

さて、この半井明親は永正(1504~1521年)の頃、明に渡り、『半井先祖書』によればなんと中国の当時の皇帝の武宗(正徳帝。1491~1521年)の病を治すことに成功したので、銅硯と驢馬2頭を与えられ、帰国した後、朝廷にそのうち驢馬1頭を献上したので、「驢庵」の号を贈られたのだといいます。どこまで本当なんでしょうか…😅

その後、半井家の当主は代々「驢庵」を名乗ることになるのですが、信長が泊まった時の「半井驢庵」はその2代目で、正親町天皇から「通仙院」の号を与えられた光成(瑞策。1522~1596年)になります。

さて、半井驢庵がどういう人物かはわかったのですが、ではどうして信長は半井驢庵の屋敷に泊まったのでしょうか?

河内将芳氏は『織田信長と京都』で、「驢庵の屋敷が、『言継卿記』永禄十年(一五六七)四月二十二日条にみえるように、「山里」や「花園林」、あるいは「二階の亭茶湯座敷」をそなえた風雅なところであった点は理由のひとつとして考えられよう」と推測されていますが、先に述べたように半井驢庵の屋敷は「烏丸通りに面した正親町」(江戸時代前期に作られた『京雀』には「烏丸通」と「中だちうり(中立売。正親町小路とも)」が交わるその南側にあった「廬菴町」の中の「ひがし側」に「典薬頭廬菴法印」の家があった、とある。烏丸小路と正親町小路の交わる南側というと、南東部と南西部のどちらかということになるが、『中昔京師地図』を見ると、南西部には「親長卿」[甘露寺親長邸]と「浄花院」[清浄華院]が描かれており、「廬菴町」が南東部にあったことがわかる。つまり、半井驢庵の屋敷は南東部の東側、内裏に最も近接した場所にあったことがわかる。天皇の一大事にすぐに駆けつけられるようにするためであろう)にあり、この場所は内裏に非常に近く、二条城にも比較的近い場所にあります。

そのため、河内氏は、

・この場所であれば、義昭御所から北へ三〇〇メートルも離れていない。おそらく、そのような立地も、信長が「半井驢庵所」に入った理由のひとつと考えられよう。

・あらためて故地に立ってみると、この地が内裏にも近いことが実感できる。信長が「半井驢庵所」に入ったのは、義昭御所との距離もさることながら、内裏に近かったことも理由のひとつであったのかもしれない。

…と述べています。

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