社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 10月 2026

2026年10月8日木曜日

「死スル者幾バクゾヤ」~越前手筒山攻落されの事

 ※マンガの後に補足・解説を載せています♪

※1ページ目は公開いたしません<(_ _)>


●

(前略)

さて、こうして戦闘の準備が整い、いよいよ両軍の激突ということになります。『佐柿』は信長の兵力について、

…信長公が天筒城を攻めた時の全軍の兵力は、合わせて2万余騎であった。

…と記しますが、これが確かだとすると籠城する天筒山城の兵1500の約13倍もの兵力があったことになります。

信長は大軍でもって天筒山城に攻めかかることになるのですが、その様子について諸書には次のように記されています。

『信長公記』…信長公がしきりに「攻め入るべし」と御命令になられたので、みな命を惜しまず力の限り忠義を尽くして戦い、ほどなく城中に突入し、1370の首を取った。

『越州軍記』…諸軍勢は天筒山に向かったが、この天筒山は、背後には深い沼田が広がっているので、敵もここからは攻めてこないだろうと思い、少々の柵を置いておくにとどめていたが、信長は沼がどれほど深いかも気にすることなく、馬をさっと沼に駆け入らせて、まっすぐに渡っていくと、諸国の兵たちは負けじと我先に命を惜しまず攻め進んだ。すると、城の者たちは石弓を放ち、槍を振るい、大石を落とすなどして反撃したので、死ぬ者が大勢出た。天筒山が攻撃を受けたことを知った朝倉景恒は、月毛馬に乗り、小桜威の鎧(桜の花びらの文様のある鎧)を着、小仄刃の長刀をひっさげて、「鐘ガ崎」から天筒山に向かったが、時の勢いには逆らえないのか、わずか50騎だけで城内に入り、辰の刻(午前8時頃)から申の刻(午後4時頃)まで戦ったものの、信長は兵を入れ替え入れ替え攻め寄せ、水の手も切られてしまっていたので、「もうこうなってはどうしようもない、鷹場にいる鳥と同じようなものだ」と言って、お互いに刺し違えたり、火の上がる城中に飛び込んで死ぬものも多くいた。景恒は3度にわたって切り返し敵を撃退しながら、金ヶ崎城に戻った。この時朝倉方で戦死した者は、三段崎弥七・同四郎左衛門・上田兵部丞・真木五郎右衛門・西城・中村兵庫助父子・富田中務丞・土山新右衛門・脇田・小河・山田・前波藤五郎・菅六郎左衛門・水間・竹内・萩原入道・鷲田三郎右衛門・岩井彦左衛門・山本、この他、敦賀社家衆(気比神宮に代々奉仕してきた者たち)では、執当・石蔵・嶋・宇野・小木・寺谷、合わせて5百余が討ち死にした。敵方も森十郎三郎・桑原源左衛門・佐久間・村井・二輪与一・丹羽藤三・柴田源五など、千五百余が討ち死にし、負傷して近江北部を通り美濃に戻る者や、西の方に戻る者などもいた。

(この後の部分は公開いたしません<(_ _)>)

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