※マンガの後に補足・解説を載せています♪
●若狭入国
こうして一応の防衛体制を築きつつあった朝倉に対し、武藤征伐を名目として、朝倉攻めに向かった信長は、『信長公記』によると、「坂本を打ち越し、その日、和邇(滋賀県大津市)に御陣取。21日、高島の内、田中が城(田中城[滋賀県高島市安曇川町]。「高島七頭」の一つ、田中氏の城。田中吉政はこの一族であるという)に御泊」というルートを進んでいます(『朝倉始末記』には「江州西地ヲ歴テ」、『織田軍記(総見記)』には「西近江地高島郡を御通りあって」とある)。
『言継卿記』には「一条東へ坂本に令下、…今日(20日)鰐迄被行云々」、『多聞院日記』には「去20日信長ワニ・カタダに被陳取了」とあり、坂本→和邇と進んだことはこの2つの史料からも裏付けが取れます。
さて、信長は近江を経て若狭国に入り、『信長公記』によれば22日に熊川に進みますが、先に紹介した4月20日付の細川藤孝・飯川信堅・曾我助乘宛て明智光秀書状に、
…今日の午の刻(昼の12時頃)、熊川に到着いたしました。こちらの様子は変わりありません。武田家の家老(「武田家老中」)が当地までやって参りました。若狭国までやってくる信長を出迎えるためだそうです。
…とあるように、明智光秀が先行して若狭に入っていたことが確認できます。
(この後の部分は公開いたしません<(_ _)>)
