1946年、4月10日に、女性の参加も認められた選挙が実施され、
それによって当選した議員により、6月20日から最後の帝国議会となる、
第90回帝国議会が開かれることになりました。
その最後の帝国議会は、どのようなものだったのか。
その4か月間を追っていこうと思います!🔥
※マンガの後に補足・解説を載せています♪
〇「憲政の神様」尾崎行雄の訴え
敗戦後、初めての選挙を経て開かれた最初の国会(第90回帝国議会)で、最初に登壇したのはあの「憲政の神様」、1890年の第一回衆議院選挙から連続25回当選し、1953年まで国会議員を務めた、尾崎行雄でした。
尾崎行雄は、次のように発言します。
<要約>日本は建国以来の未曾有の状態となっている、こうなったのは立憲政治を国民が正しく理解せず、間違った行動をしてしまったからだ、今、軍部だけを責めているが、国会議員もほとんどが軍部の後押しをした、その国会議員を選んだのは国民であるから、全国民が懺悔して、間違っているところを直さなければならない。
間違ってしまった根本の原因は何か、それは、藩閥政府が、憲法や法律を国民や国会議員を抑えるために作ったということだ。
立憲政治というものは、国民の代表者が、行政官の圧迫に反対して、国民の幸福を進めるためのものだ、国会は政府を監督して、国民の生命財産の保護者番人とならなければならない、それなのに、現在の国会議員は、政府に服従し、政府の手先となって働くことが名誉なようになっている、これを直さなければ正しい立憲政治はできない、そのための第一歩として、まず議長選挙を改めたい。
今まで議長は、国会に於て多数を占める党が務めることになっていたが、これでは国会は政府のいいように動かされてしまう、議長は政府の味方をするものではなく、正しく、公平で、敵を憎まず、味方も贔屓しない、中立公平な存在でなければならない。だから、議長を選挙するときには、人格を第一に選ばなければならない。そして、議長に当選した者は、中立公平でなければならないから、その所属する政党をやめなければならないようにしていただきたい…。と。
尾崎行雄の自伝『民権闘争七十年』には、
与党となった自由党・進歩党は議長・副議長の取り合いをし、両党談合の末に、
議長を自由党が、副議長を進歩党が取ることにした、
これに対し尾崎行雄は「かねて議長・副議長の選挙だけでも党利党略を離れてむしろ少数党から人格者を選ぶべしとの意見を抱いていた」ので、
早朝から議会に行き、選挙の前に登壇することを提案した、
自由党・進歩党の中には一部反対者がいたが、
結局尾崎行雄は十年ぶりに登壇することになった、
と尾崎行雄が登壇することになった事情が書かれています。
この提案に対し投票が行われ、「可とする者 217 否とする者 228」で、尾崎行雄の提案は否決されてしまいます。
賛成者の中には、浅沼稲次郎(社会党)・片山哲(社会党)・鈴木茂三郎(社会党)・三木武夫(協同民主党)・二階堂進(協同民主党)・志賀義雄(共産党)・徳田球一(共産党)・野坂参三(共産党)・尾崎行雄(無所属)などがいました。
一方、反対した議員には、石井光次郎(自由党)・大野伴睦(自由党)・河野一郎(自由党)・三木武吉(自由党)・犬養健(進歩党・犬養毅の三男)・齋藤隆夫(進歩党)・星一(進歩党・星新一の父)などがいました。
当時、国会で多数を占め、与党となっていたのは自由党・進歩党でしたが、
多数党であった自由党・進歩党の者たちが、多数党の者が議長とならないようにする提案に反対したわけで、
尾崎行雄が目指す「正しい立憲政治」は、最初の一歩から暗雲が垂れ込める結果になってしまったのです。
その後、議長・副議長を決める選挙が実施され、大差ではありませんでしたが、
議長は自由党の三木武吉が、副議長は進歩党の木村小左衞門がそれぞれ最多得票を得ます。
数で押し切る、国民本位ではなく政党本位の、政府に有利となってしまう行動が、
国会議員によって行われてしまったことになります。
尾崎行雄は『民権闘争七十年』で、
「私は新顔の議員で構成されている議会だけに、私の忠告に耳を傾けるものも多いだろうとひそかに期待していたところ、イザ選挙となるとやはり議長には三木、副議長には木村という筋書きどおりの選挙が行われた。新しい議会にも私の提案は顧みられなかったから私はおおいに失望した」と書いています。
ちなみにその後、議長は第一党の長老議員が、副議長は野党第一党の長老議員が就くことが慣例となり、毎回、議長選挙は全会一致で選ばれるようになっていきます。
議長は、人格本位で選ぶべき、という尾崎行雄の願いはまったく無視されてしまったわけですが、
議長となったものは所属政党をやめる、ということについては、1973年から慣例となっており、形式にすぎないとはいえ、こちらの面では尾崎行雄は少しは報われたというべきなのでしょうか…。
[資料]帝国議会議事録(第90回帝国議会 衆議院 本会議(議院成立に関する集会) 昭和21年5月16日)より抜粋
○尾崎行雄君 今日は懺悔旁旁諸君に議長選擧の方法に付ての動議御聽きを願はなければならぬことがあります、實は日本も建國以來未曾有の境遇に陷りましたから、是非とも是から立直らなければならぬ、立直るのにはどうしても立憲政體の常道を踏んで、上下擧つて正しく働くより外に途はないかと思ひます、然るに私共申譯ないことは、初期議會以來此處に列席して居りますけれども、立憲政體の運用は殆ど跡形のないまでに壞してしまひました、其の極點が遂に政府指名の候補者に全國大多數の選擧人が投票を致して、而して遂に無條件降參と云ふ所まで漕付けたのであります、誰が考へても是れ程悲慘なことはございませぬが、茲に陷つた原因の重大なるものは、立憲政治の根本に背いて全國人民が間違つた働きをしたと云ふことに歸著するのであります、今日は軍部官僚のみを咎めて居ります、無論惡い、非常に惡い、併しながら茲に列席した我我の同僚代議士は殆ど全會一致で此の後押しを致したのであります、然らば軍部官僚が惡いだけよりか、代議士は尚ほ惡かつたと言はなければならぬ、併し其の代議士は全國人民が選んだのでありまするから、全國人民も亦亡國の手傳ひを致したと云ふ事實は辯解の餘地はない、是に於て上下擧つて懺悔致して、是までの間違つたる働きをば漸次直さなければなりませぬ、間違ひを擧ぐれば殆ど一から十まで悉く間違つて居つたと言つて宜しいのである、其の原因に付ては、半ばは藩閥官僚が全國人民を抑へる爲に、一種の憲法を制定することに手傅つて、隨て議院法、選擧法、議事規則に至るまで藩閥官僚は此の人民の代表者を抑へて、其の權力を殺ぐと云ふことを大目的にして作られたものであります、我々は之に反して立憲政治の本色を發揮しようと致しましたけれども、如何にも殘念なことには力が足らず、徳望もない、全國人民も亦我々に贊成するだけの智能を持たない、是に於て上下擧つて藩閥官僚の壓伏を受けて、遂に段々堕落して、もう立憲政治の形は存するけれども、精神は殆ど皆滅亡した状態になつて今日に來つたのである所へ、今般は選擧法を大いに改正して、選擧民を殖やし、又是まで選擧權のなかつた婦人等にも之を與へ、茲に新議會が開かれて諸君に御目に掛かることの出來るに至つたのは實に愉快の至りでありまするけれども、茲で私共の懺悔旁旁最も心配になるのは、是まで議席に列して居つた所の古い議員は、悉く己れの無力と藩閥官僚、續いては藩閥の後繼者となつた軍閥の壓伏を受けて、それに服從して、古い議員は悉く非常な惡い習慣が殆ど骨髓に徹して居ります、直せと言つても一朝一夕には、惡かつたと云ふことすらも分らぬ程に惡習慣が滲み込んで居ります(拍手)斯く申すは、實に古い友達に對して遺憾の至りでありまするけれども、私などが最も其の罪人の頭である、一番古く居りますから、隨て罪も一番古い譯であります、兎に角舊議員は、隨分勝れた人間もありまするけれども、立憲政體の下の議員としては、もう惡習慣が骨髓に徹して居るから、此の方々と共に立返ると云ふことは餘程骨が折れます
然らば新しい諸君はと云ふと、是は私共とは時代が違ひまして、私共は如何なる考へを持つておいでになるか殆ど想像が出來ませぬ、大抵私共と比べれば二代目三代目の方々と思ひます、此の中には餘程勝れた方々も多いとは思ひますけれども、如何せん議席に列して政治機關の運用に當ることは今囘が初めでありまするから、動もすれば古い議員に引廻されて、其の惡い眞似を第一著に覺えると云ふことになりはしないかと云ふ心配がある(拍手)それは大變なことである、どうしても立直つて改めなければならぬ人が、古い人の指圖に從つて惡い癖が付いたならば、是はやはり片輪者になる、斯くの如く古きも新しきも一緒になつて此の惡習慣を續けまするならば、立憲政治は名あつて實なく、我が國は立返ることは出來ますまいかと心配を致す、實に斯く申すことは殘念の至りでありまするけれども、誠心誠意に考へなければ、餘程立返ることは難しくあります、けれども是非とも立返らなければならぬ、而して改める第一著手は今日が初めてである、新しい諸君と古い諸君とが新らしき世の中の下に集會したのであるから、今日只今茲で改革に著手しないで、古い過ちを踏んで行くならば、此の途中で改めることは殆ど不可能かとも思ひまするが故に、私は今日十分の準備もございませず、且つ病後にして甚だものを説くのにも困りますけれども、抂げて今日此の場合に於て、是非魂を入換へることに致したいと云ふ御相談の爲に茲に演壇に登つたのである、惡い例は澤山あります、是れ程間違つたと云ふことは恐らくは誰も感ぜぬかも知れませぬ、餘り長いから、例へば元來を申せば、立憲政治と云ふものは多數の人民を代表して行政官の壓迫に反對して、人民多數の幸福を進める爲に開かれたのであつて、即ち立法府はどうしても行政部を監督せなければなりませぬ、茲で生命財産を根據にして行政部が何かしようとするのには、どうしても人民の生命財産を使はなければならぬ、之を使はれると云ふことに付て一歩誤れば非常な禍を蒙りまするから、生命財産の保護者番人として、何萬人か何十萬人かに付て一人づつ議員を選び出すのである、故に此の議員はどうしても行政部の監督者と云ふことを日夜忘れては相成らぬ筈のものでありますけれども、如何せん官尊民卑の世界に久しく先祖代々住み來つた御同樣として、今日も尚ほ官吏は尊いもの、人民は卑しいものと云ふ思想が上から下まで滲み込んで居ります、隨て監督すべき立法府の人々が、監督せらるべき行政部の人に服從し、其の手先となつて働くことを名譽と考へるやうな心得違ひが中々廣く行はれて居ります、眞を申せば立法府の職員、書記官長を初めとして、是等の職員は皆立法府から任命するのが當り前の道理でありまするけれども、藩閥官僚は行政部が總ての役人を任命して、それを以て立法府を支配させようと云ふやうな底意がある、隋て其のことが實際に行はれて居ります、今日只今此の會議を見ても、是は私申兼ねることは、此の書記官長は多年私も承知して居る、洵に立派な人で、人としては一言の批判を容れるべきものではありませぬけれども、兎に角行政部の人が任命した人であります、立法府に監督せらるべきものが却つて之を任命して、立法府を支配するやうな道具に使つた、其の結果として今日會議を開くにも、行政部が任命した書記官長を議長席に著かせて、監督者たる諸君が平氣で會議を開いて居ると云ふ状態になるのであります、是は昔からやり來つたことであるから、別に誰も咎める譯には行かない、我々は第一に其の責に任ぜなければなりませぬけれども、洵に物を解する人であるならば、此の會議の開き方と云ふものがもう既に立法府の體面に、泥を塗るべき開き方であると云ふことだけは御承知にならなければなりませぬ(拍手)直ぐ之を改めよと云ふのではありませぬけれども、間違ひは既にここまで廣く行はれて居つて、誰もこんなことは怪しまぬと云ふことまでになつて居る、何も行政部の人を頼んで來て議長席に著いて貰はずとも、諸君の中の年長者を擧げて著かせてもどうしても幾らでも方法はあるのであるけれども、兎に角立法府をば抑へ付けようと云ふ藩閥官僚の初めの考へでやつたのが、ずつと五十年間行はれて、今日も尚ほ改めることが出來ぬ、總てが其の通りになつて居るのである
全體から申しますと議會に於ては、議員の外は發言權を許すべからざるものである、大臣であらうと、政務次官であらうと、議會に於ては發言を許さぬのが正しき道である、さうでなければ彼等の爲に誤られる、又現に日本は誤られて居るのである、然るに我が國の議院法に於ては、大臣や政府委員は殆ど議員以上に發言權を與へられて居る、是等が最も間違つたやり方であるが、それが五十年間習慣となつて居れば、誰しも其の過ちを知らない、其の上に雛壇の如きものを作つて、大臣とか政府委員と云ふものを一段高い所に坐らせて、議長、議員よりは尊いものの如き形を具へて居る、怪しからぬことである(拍手)是等は「ドイツ」あたりのまだ立憲政治の發達しない國の眞似を致したので、發達しない所は日本の藩閥官僚には最も氣に入りますから、惡い所所と探して其の眞似を致したのが今日の状態である(拍手)「イギリス」「フランス」の如きは稍稍進歩して居るが、明治の時代から其の眞似は決して致しませぬ、隨て是等も將來は改革の第一歩として席を作り直して、大臣などで議員となつて居れば當り前の席に著かせる、然らずんば大臣としては議場に出席を許さぬと云ふやうに致したいものであります(拍手)現に「イギリス」ではさうなつて居る、若し議員が大臣になりまして、行政府を監督する爲に選ばれた議員が行政官になりますれば、其の位置が變る、隨て選擧人の意見を問はなければならぬと云ふのが道理の命ずる所でありますから、「イギリス」では其の通りになつて居つて、議員が大臣になりますれば、必ず議員を辭職致す、併しながら議員でなければ議會で發言が出來ませぬから、再び選擧人に向つて、自分は監督者から被監督者の身分となつたが、それでもまだ俺を選擧して呉れるかと云ふことを選擧人に尋ねます、さうすると其の時には投票は必ず減ります、減るのが正しい道である、時々は落選致します、落選すれば無論大臣を辭さなければなりませぬ、議員でなければ、立憲國の「イギリス」に於ては大臣は務まらぬことになつて居ります、議院で説明することが出來ない、所が日本はどうでありませう、私も大臣となつて議員の選擧に臨んだことがありますが、投票は減るどころか非常に殖えます、是に於て我が國民が如何に立憲政治の知識が缺けて居るかと云ふことが分る、どうしても減らなければならぬ筈のものである、監督者が被監督者の位置に立てば減らなければならぬ筈であるが、私の實驗に依りますれば、投票は一層殖えた、他の人々も其の通りに殖えるのである、即ち官尊民卑の奴隸的根性がどれだけ深く日本人の腦髓に滲み渡つて居るかと云ふことが分るでありませう、之を改めなければ眞の立憲政治の運用は出來ませぬ、是等のことを總て改める第一著手として、今日議長選擧から始めなければならぬと考へた爲に、身體の不自由をも顧みす、此處で諸君に御目に掛かるのである、どうか能く御考への末、議長選擧と云ふことに付て精神的に改めて戴きたい
是までの議長選擧は、多數黨から出すと決まつて居ります、多數黨から必ず議長を出す、議長は多數黨の爲に議事を主宰するものではありませぬ、滿場一人殘らずの爲に議長席に著いて居るものでありまするから、多數黨の贔屓などをしては、もう議長たるの資格はないと云ふことは、是は子供にても分るべき道理であるけれども、我が國民にはまだそれが分らぬものと見えて、多數黨から始終出して居ります、黨派の大小を問はず、能力の有無を問はず、議長として一番大切なのは人格であります、極く正しい、極く公平な人、敵をも憎みもせぬ、味方にも贔屓をせぬと云ふのが議長の役目であります、それにはどうしても人格第一に選擧をしなければならぬ、所が同じやうな人格者が多數黨にもあり、小數黨にもあり得るのである、其の時には「イギリス」邊りでは必ず少數黨の人を同じ人格者ならば議長に推します、昔からさうである、多數黨の人でありますると、後ろに多數の同志があると思へば、不公平なことはすまいと思つても油斷はあります、氣が緩まる、後ろには多數の應援者がある、之に反して少數黨から出た議長であると、どんな失策をしても、後ろには少數の應援者よりない、多數から反對されると云ふことが分つて居りまするから、一層人格を高めて、議事に對しては注意を致し公平になる、是でこそ初めて議長の職務が務まるのである、日本に於ては今まで澤山議長が選ばれましたけれども、本當に立派に議長の職責を盡した者は片岡健吉君外一兩名ありましたが、あとは皆駄目であります、多くは私の友達であるけれども、殘念ながら駄目であります、やはり味方の贔屓をする、敵であれば意地惡く當る、是は議長の資格のなき者である、其の資格のなき者に平氣で滿場の多數の人は投票を入れた、此の過ちを改めなければならぬ、第一、人格本位と云ふことで投票を入れなければならぬ、黨派の大小、才力の高下などよりか、人格を第一にせなければならぬ、さうして一旦選ばれた後には、やはり終身其の職に置かれて行く位の心持を以て致しましたならば、選ばれた者も、選んだ人も共に滿足するやうな結果を生じますと思ひまするから、今日はさう云ふ考へで、從來の選擧の仕方は悉く誤つたと云ふことをどうぞ本當に御考へを願ひたい、口先だけでは役に立ちませぬ、心の底から惡かつたと考へなければならぬ、併し其の結果としては、ひよつとしたならば、諸君が交渉會などで決めた人が多數になるかも知れませぬ、結果は同じでも、私は心掛が誤つて投票を入れたならば、其の人が他日不都合な働きをした時に、後悔の原因がそこにありまするから、どうか同じ人に投票をするにしても、斯くすべきものであると、精神を改めてやはり投票を入れて戴きたいのであります(拍手)それから出來るならば當選した人が若し政黨員であつたならば、當選して陛下の御沙汰を受けたならば、脱黨をするやうに致したいものであります、是は外から迫らぬでも、議長になつた人が己の良心に問うて見たならば、議長の職責と黨員と云ふことは兩立せぬと云ふ位のことは、人格者であれば必ず分ると思ひます、故に當選して任命を受けた人は、どうぞ自ら進んで脱黨をして、一個の議員となつて其の職責を全うするやうにして戴きたいのである、斯くの如くするのには、其の前に議長選擧の列國の模樣──私は不幸にして餘り廣く知りませぬ、多少知つて居つたことも老衰の結果忘れてしまひましたから、茲で私は全院委員會と申したのでありまするが、それが議事規則に違ふとか何とか云ふ些細なことで、他のことに改めたやうである、元來憲法すら改正せなければならぬと云ふ世の中に於て、區々たる議事規則の上に拘泥して、此の問題を左右すると云ふ心掛けが、もう既に間違つて居るのであります(拍手)併し私はそれに對しては苦情を餘り言ひませぬ、官僚輩は其の位の心掛けより外に持たない筈でありまするから、敢て咎めませぬが、さう云ふ間違つた心掛けを止めて、物の大小、輕重を判斷して致したい、而して全院委員會だとか──私が殊に言つたのはなぜかと云へば、我が國ではまだ全院委員會を利用することを知りませぬ、五十年以上掛つても、一度も全院委員會を利用したことはないのである、立憲政治を運用する上に於ては、全院委員會程大切なものはないのであります、斯くの如き正式の議會であると、餘程形式張つて、總てにやかましく言はなければならぬ、餘り儀式張り過ぎて、條理が能く疏通することが出來ませぬから、そこで全體の人間が皆委員となつて、餘り規則に拘泥せず、打解けて能く懇談をし、同じ人が二度、三度、幾度起つても宜いと云ふやうな、儀式を紊して懇談をして、總ての問題を纒めますると、國家の問題が洵に好く纒まる、それが略略纒まつた所で、正式の本會議を開いて決定すると云ふのが、進んだ立憲國の状態であるが、我が國民の中にはどうしてもそれが分らぬ、私共隨分説きましたけれども、微力、不徳の致す所、誰も聞いて呉れない、隨て全院委員會と云う一番大切なものを利用し得ないのである、隋て本會議が非常な亂雜となり、亂れると云ふのは其の爲であります、又更に甚だしきことは、豫算委員會が今全院委員會の仕事を餘程横取りをして居る、豫算關係以外のことを、内治、外交總ての問題を豫算委員會で政府を相手にして談判、問答を致して居る、それは結果は大層宜しい、併しながら是は全院委員會ですべきものであつて、豫算以外のことは豫算委員會ですべきものではありませぬが、其の規則、區別を紊つてしまつて、今豫算委員會が全院委員會の仕事を横取りをして働いて居る、さうすると自分の權利を奪はれたる議員先生達は怒りもせないで、羨ましさうに豫算委員會に滿場一ぱい入つて傍聽して居ります、何たる不甲斐ない、物の分らぬ人間であるか、私は其の状態を見る毎に涙が出ます、我々の同僚の議員が是れ位の不見識なことはない、自分の職責を奪はれて居つて、羨ましがつて傍聽に行く、如何にも見苦しい状態であるが、舊來の議員はそれすら分らなかつた者が多い、分つた人もありますが、分らぬ者が多かつた、新しい議員はどうか絶對に左樣なことをせぬやうに、憲法上に與へられたる權力は十分に護るやうにして戴きたいのである、他の委員會に横取りせられて傍聽に行くと云ふやうな醜態なことは、絶對にお止めを願ひたい
それと共に、今日も御目に掛つて、甚だ殘念に思つて居るのは、各派交渉會と云ふものをやつて居ります、是がやはり初め政府が議員の職權を縮める爲に、議院法や色々なことでいたづらをした、それを更に輪を掛けて、二十五名以上でなければ交渉團體として色々議案を出したり何かする便利を妨げることを、今度は議員の方からして居る、初めは政府が議員の權力を抑へて自分達が我儘をする爲に、二十人の贊成者とか、十人の贊成者と云ふ法律を作つたのが、今度は議員の方が其の上に伸して、政府より以上の、二十五名以上の團體を作らなければ、交渉はさせないと云ふやうなことをして居るのを見ると、何たる不甲斐ないことであるか、全く自殺的行動である(拍手)言ふまでもなく議員は一人の議員として憲法上完全な權利を持つて居るのであります、然るに二十五名以上揃はなければ交渉出來ない、怪しからぬことである、此のことから考へても、斯樣な不理窟は分ることであるが、多年の習慣として古い人も分らぬので、若い新しい人も平氣でそれに臨んで居るやうである、是は早速御廢止を願ひたい、若し政治以外のことで交渉する必要があるならば、議員の方に部屬と云ふものを定めて、ここには部長理事と云ふものがある、此の部長を集めて交渉をすれば、どんなことでも皆各部の代表者として直ぐ纒まるのである(拍手)一人殘らず其の交渉には應ずることが出來る、然るに今のやうなことをすれば、二十五名以下の團體、若しくは無所屬に居る所の人人は、憲法上に於て與へられたる議員の職權を行ふことが出來ないのである、是等のことは銘々一人殘らず御考へになつて然るべきことであります
之を要するに、此の類のことを擧げますれば際限なくあります、惡い方のこと──善い方のことは殘念ながら殆どないかと思ひまするが、惡習、惡例は幾らでもあります、之を悉く改めて正しき道に立たなければ、日本の立憲政治は迚も發達は出來ませぬ、隨て選擧人を直すなどと云ふことも出來ませぬ、今囘の選擧などに付ても、私から見れば實に殘念なことが數限りなくあるのでありますけれども、議員が既にさう云ふ數限りなく不都合なことをして居る議員でありますから、之を捨てて置いて選擧人を改めようなどと云ふことは、如何に言つた所が、迚も行はれるものではありませぬから、先づ議員が議員自ら其の職分を全うし、憲法上に與へられたる權利を奪ひ去られない工夫をして、然る後選擧人に及ぶと云ふことにしたいのである、今日所謂政治家、政黨等のする仕事は、どうも總て間違つて居るやうであります(拍手)今日は餓死する人、住むに家なき人、幾らでもある、是が少し續きますれば、内亂、暴動の小さなものも起りませう、それがどうしても今日から三月ばかりは最も危險な状態であります、其の時に當つて内閣を倒すとか、新たに内閣を作らなければならぬと云ふのは何たることであります、平常無事の日ならばそれは宜しい、併しながら生きるか死ぬかの境、もう三、四箇月すれば國家がどうなるか分らぬと云ふ時に、内閣が善いの惡いのなどと云ふことは、言ふべき時ではございませぬ(拍手)善くつても惡くつても成べくお互に力を協せて、全國一致して、先づ餓死する者を防がなければならぬ、然るに餓死するやうに働いて居ります、政府は智慧のあらん限りを使つた積りでありませうけれども、ある食物を出させることが出來ない、そこで權力を用ひて出させることに決めたらしい、是は平生のことならば餘り善いことではない、私共も人より先に立つて咎めたでありませうけれども、今日餓死者の道に横たはると云ふ場合に於ては、假令手段は惡くつても、米を出させる方に働けば、是は邪魔をせない方が宜いのである(拍手)今のやうに強權使樣に反對致しますると、政府の力に押されて出さうと考へて居つた人も、いやこつちに味方があるから出すまいと云ふ氣になることは當り前である(「ひやひや」、「其の通り」と呼ぶ者あり、拍手)さうかと思ふと、其の惡いと言ふ人は、どうしてもそれが惡ければ、自分達は選擧區の人に説くなり、關係の町村に説くなり、組合に説くなりして、任意に出させるやうに努めれば、ここから出る、反對すれば出るべきものも出ない、少しづつなりとも政府の手でも出、民間の手でも出ますれば、不足はどれだけか減るのである、こんなことは分り切つたことであるが、それすらしないで、お互ひ邪魔をして居る、「インフレ」の仕事に付ても其の通りである、政府の仕事には無論落度はあります、けれども其の落度を探して攻撃をして居れば尚ほ落度は惡くなりますから、それより、それを成たけ助けてやつて、手傳つてやり、こちらも手傳ふやうにすれば、やはり食物の出方と同じことで、「インフレ」の防止も幾何か捗る、萬事其の通りである、兎に角國家危急存亡の秋、丁度大都會に大火事が始まつた時のやうな場合に於ては、あの消し方はいけない、あの火消を退けなければいけぬと云つて喧嘩をして居るべきでない、惡くても善くても皆總掛りで火を消して、然る後に喧嘩はすべきものであります(拍手)それが今日の状態である、それすら分らないのである、さうして内閣を倒せ、大層元氣の好いことを言ふ、注文通り倒れると、自分達は一週間相談しても、二週間相談しても、後代りはまだ作ることが出來ぬ(拍手)實に失態千萬である、斯くの如き場合に於て内閣を倒すと云ふ時には──内閣を倒すなどと云ふことに付ては、私は人並以上に好きな人間であることは御承知を願ひたい、併しながら斯くの如き場合に於て倒す時には、倒れたら直ぐ自分達がより良き内閣を作るだけの準備が整つて、初めて倒すと云ふ手續を運ぶべき筈のものである(拍手)倒した後、幾ら相談しても出來ない、何と云ふ不樣であるか、國家などと云ふことの理解力のある人間の働きとは少しも私には思はれぬのである(「官僚が惡い」と呼ぶ者あり)官僚が惡いと言ふ、それでは今度はどんな人間で内閣を作るかと思ふと、進歩黨も自由黨も官僚の古手を總裁に戴いて内閣を作らうとして居る(拍手)何たる醜態であらう、然るに其の醜態すら分らないのである、是はどうか冷靜に立戻つて、當り前の人間の考へるやうにして貰ひたいのである、殊に甚だしきは、是は最も左の方の人の指揮だと世間では申して居りますが、色々な群衆が議事堂にも來たとか云ふことである、政黨の本部をも圍む、御所の前にも詰掛けるなんと云ふことである、そんな必要のないやうに、それ等の代表者として議員を選ばせて居るのであります、議員と云ふものがなければ、群衆自ら職業を捨て、飢ヱを忍んで運動しなければならぬけれども、さうしないでちやんと運ぶやうに代表者が選ばれて居るのであるから、天皇陛下に伺ひたいことがあれば此の議員が出づべきものである、議員を差措いて、あの群衆が御所の門前に參集すると云ふことは、實に恥かしいことである、議員が働かなければ、群衆が議院の内に詰掛けるのは宜しい、御所に詰けるのは見當違ひである、こんな風に何處を見ても一から十まで間違つて居ります(拍手)我が國民と雖も是れ程下等な人間ではありませぬけれども、恐らくは前古未曾有の屈辱に出遭ひ、無條件降伏を致して、餘り智慧のない人間の頭が、更に狂つたものと見る外はない(拍手)狂亂状態でなければ、こんなことは、我が同胞如何に下等なりと雖もする氣遣ひはないと私は思ひます、どうしても頭が狂つたのである、無理はごさいませぬ、神武天皇以來夢にも見たことのない悲慘な状態に陷つたのであります、それも専制時代に陷つたならば全國人民は關係ありませぬけれども、立憲時代に滿場一致の勢ひを以て贊成して陷つたのであるから、是はどうしても全國人民と共に改めるより外に改める途がないから、私は諸君に大層憎まれることを覺悟で、思つたことをありの儘に言ふのであります、どうか冷靜に立戻つて、日本民族の體面を汚さぬやうに、立憲國人民、殊に民主主義などと云ふことを口にする以上は、其の主義に適ふやうな働きを致すべき筈である、今やつて居る大騷ぎをするものは民主運動ではございませぬ、或は民主運動と考へて居るかも知れませぬが、それは誤解で、是は亂民運動であります、どうしても共産黨も、社會黨も無所屬も力を協せて、亂民が暴動の如き働きをなすことをば即日止めさせなければならぬ(拍手)必要があれば、我々が御所へでも何處でも參る、自分の職務を盡さずして人を煽動するなどと云ふことは怪しからぬことである
まだ申上げたいことは澤山ありまするけれども、要するに凡ゆる方面に惡い癖が付いて居るのであると云ふことを、どうぞ新舊議員諸君共に御考へ願つて、而して議長選擧のことに付ては、其の魂を以て、全院委員會が惡ければ相談會と名を付けて宜しい、總て集まつて、ああ云ふ風にしようとか、又斯う云ふ方法があると云ふことを、交渉會などの少數な人に任せず、諸君お互に皆で相談するのが當り前のことと思ひます、是が軈て、大問題に付ては正式に全院委員會を開いて本當の議事を進める手續になると思ひまするが故に、今日直ちに相談會を御開きになり、それが皆同意であるならば詳しく御相談を遂げずとも宜しい、皆滿一致で此の精神で行かうと云ふことになれば、直ちに議長候補者選擧の投票に御取掛りになつても宜しい、それは諸君の御理解に任せるから、どうぞ此のことは眞面目に御考へを願ひたく存じます(拍手)
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