社会って面白い!!~マンガでわかる地理・歴史・政治・経済~: 和田惟政の失脚~人の言うことを信じやすい信長⁉

2025年2月13日木曜日

和田惟政の失脚~人の言うことを信じやすい信長⁉

 幕府の奉公衆出身で、足利義輝暗殺後、逃亡中の覚慶を助けたことから運が開け、義昭の将軍就任後、幕臣として摂津の三守護の1人、京都の政務担当者の1人まで出世した和田惟政。

彼はこれまでにも述べたように、キリシタンの熱心な庇護者としての一面もあり、キリシタンに危機が及ぶたびにこれを救うために活動していました。

義昭の重臣として、キリシタンの庇護者として、信長と関わることも増えていった惟政ですが、思わぬことが起き、惟政は一気に凋落してしまうことになります…💦

※マンガの後に補足・解説を載せています♪


フロイスは1570年12月1日付の書簡で和田惟政について次のように述べています。

…彼は異教徒の領主でありながら、非常に心優しく、善良であり、常に我々に好意を寄せてくれている。日本において、善良な人々の利益と宗派の保護のために、これほど多くのことをしてくれた者はいない。…

フロイスが惟政に非常に感謝している様子が伝わってきますが、書簡では続けて、その惟政が苦境に立たされることになった、ということを記しています😧

…前述した迫害が静かになった後、われわれが油断しないように、すぐに別のもっと激しく激しい迫害が起こり、われわれを大いに狼狽させることになった。これは、説明するのに言葉が見つからないほどのものであった。悪魔の一員である仏僧(日乗)は、私たちに対する悪意を実行することができなかったので、私たちの庇護者である和田殿に怒りの矛先を向け、巧妙な策略をめぐらせることに決めた。目的を達成するために、自分と同じ考えの者たち(『日本史』には「内裏の義父である万里小路殿」とある。正親町天皇の母は万里小路賢房の娘であった。賢房、その子の秀房もすでに死去していたので、この「万里小路殿」は秀房の子の惟房の事だろうか。しかし惟房は4歳年長なだけで[正親町天皇とは従兄弟の関係]とても「義父」という年齢には当たらないので、フロイスの誤りであろう)を呼び集めたが、その者たちは皆、大いなる権勢を持つ高名な人々であった。彼らは和田殿が治めている二つの国(摂津国・山城国。もしくは、2つの領域と訳すと摂津国島上郡・島下郡になる)の統治について、多くの偽証を行ない、これを真実のように見せかけ、信長を説得して、惟政に対する好意を失わせようとした。和田殿はこのような陰謀が行われていることなどつゆ知らず、信長に会うために美濃国に向かった(『日本史』には、惟政が患っていた病気から回復したばかりであったこと、天下[Tenca]の統治に関する問題を信長と話し合い、キリシタンのことについて再び信長と話すために美濃に向かった、と記されている)が、到着する前に、馬に乗った者たちから、信長が惟政とは会いたくないと言っていること、領内の者に対して惟政を泊めることの無いように命じたことを告げられた。これは信長が生まれつき単純で、説得されやすい性質であったことによるものであった(「isto tudo porque naturalmemte nobunaga he simsero e facill de persuadir. 」)。5~10日後、信長は和田殿の豪華な城(『日本史』では「近江にあった本城」とある。甲賀の和田城のことであろうか)を破壊し、解体するように命じた。これを見た仏僧とその取り巻きは、信長に対し、和田殿に関する、より毒のある中傷をした。そのため、信長は彼から2万クルザード(1万2千貫=2万4千石)以上の土地を取り上げた。こうして和田殿が不利な立場になり、名誉・地位・土地を失うと、仏僧と、私たちに害を及ぼすことを望んでいる者たちは喜びながら次のように言った。「このことは、日本の神仏の怒りを恐れることなく、非難するような有害で忌まわしいものに好意を寄せるという、和田殿の頑迷さと愚かさを神仏が罰したのに他ならぬ」。

主は副王(和田惟政)に容易には崩されることのない、我慢強く、辛抱強い心をお与えになったので、彼は失えば失うほど、魂は安らかなものになっていった。彼に話に来た人々に対して、彼は「司祭殿が信長と公方様の好意により都に住むことができているので、自分の現在の逆境は何でもない。司祭殿は一人で、この土地ではよそ者であるが、自然の道理と善良な判断に適合した公正な教えを広めることを最終的な目的とされている。私は一度、司祭殿に反対する者たちから司祭殿を守り、保護することを引き受けたのだから、いかなる場合でも、内裏・信長・公方様が司祭殿を追い出そうとするならば、たとえインドに行くとしても、自分の財産、妻、子供などすべてを捨てて、司祭殿と共に追放されるだろう」と答えた。仏僧とその取り巻きたちは、和田殿の不屈の精神を見て、「デウス」…彼らは私たちの事をそう呼んでいます…たちから多くの金塊を受け取っているからだろう、と言っていました。

この邪悪な嵐は10~12か月ほど続いたが、これは異教徒にとっては大きな喜びで、キリシタンにとっては大きな悲しみと苦痛であった。 和田殿はキリシタンたちの柱であり、保護者であったからだ。和田殿は髪と髯を剃ったが、これは日本で言えば、具合が悪くなった時や、世俗から離れる時にするものであった。和田殿と共に200人以上の者が剃髪したが、その中には身分の高いものも含まれていた。…

信長が讒言を信じて惟正を処分した、ということが記されているのですが、驚きなのは「信長が生まれつき単純で、説得されやすい性質であった」という部分ですね😦

これについて、『日本史』では「信長は元来人の言うことを信じやすい性質があった」(「que Nobunaga, como naturalmente era facilitado em dar credito ao que lhe diziao」)と表現を少し変えて記述されていますが、確かに、信長は人を疑うことを知らないような様子があります(そのために裏切りによって度々命の危険にさらされることになるのですが…)。しかし、言うことを簡単に信じるというのでは、家臣たちは(いつ讒言によって罰を受けることになるかと心配で)たまったものではなかったでしょうね…😟

処分を受けた惟政は、『日本史』によると「inacas」(田舎)に逼塞して、1年を過ごした、とあります。書簡や『日本史』によると、惟政は高槻城にいた、とありますが、『日葡辞書』には「一般には五畿内以外の地を田舎という」とあるので、畿内外の場所(おそらく近江国甲賀郡か)に引き籠もった後、翌年1月に出された五箇条の条書で義昭と信長が和解した後、高槻城に戻ったのかもしれません。

惟政の失脚については、『言継卿記』永禄13年3月24日条でも確認ができます。

…朝食後、織田弾正忠を訪ねた。申次は村井民部少輔であった。今日あいさつにやって来ていたのは他に6・7人おり、武田下野守(若狭武田氏一族の山県秀政か)・和田紀伊入道などであった。和田は去年の秋より勘気をこうむっていた(怒りにふれて咎めを受ける事)が、武家(足利義昭)のとりなしにより復帰できたのだという。…

文中に「入道」とあるので、フロイスの「惟政が剃髪していた」、という記述も裏付けることができますね。

去年の「秋」というのが気になる所ですが(旧暦の秋は7~9月のため)、惟政が織田家臣と共に出している永禄12年(1569年)年10月20日付の書状があるので、失脚はこれ以降と見るのが正しいようです。

それにしても驚きなのは、信長が自分の家臣ではなく、「幕臣」である惟政を処分したことです😧しかし、信長は義昭の領分である畿内にある惟政の領地(摂津国島上郡・島下郡)には手を付けず、破壊を命じたのも摂津にある高槻城・芥川城ではなく、信長の領国内にある近江の和田城でした。信長は義昭の領国と自身の領国とでしっかりと線引きをしていたことがうかがえます。

そうはいっても、「幕臣」である惟政がこのような仕打ちを受けたことに対して、義昭は心中穏やかならぬものがあったと思います。大丈夫だったんでしょうか?

惟政の失脚について、谷口克広氏は『織田信長家臣人名辞典』で、「しかし、惟政蟄居の主な原因は、日乗の讒言などではなかろう。同十二年十月、将軍義昭と信長との最初の衝突があった。両者の間に立つ惟政は、当然二人の仲を修復させるべく奔走したであろう。そして、どちらかというと将軍から離れられない立場にある惟政が、信長に疎んじられてしまったということは、想像するに容易である」と記し、惟政失脚の主な原因は義昭と信長の「せりあい」にあった、と推測しています。

たしかに『日本史』でも、惟政は天下(畿内)の統治に関する問題を信長と話し合うために岐阜に向かった、とあります。これは義昭と信長の関係修復のための交渉に赴いたもの、と考えるのが自然です。

しかし信長は義昭と仲たがいをして帰国したばかりで怒りの気持ちが強い段階であったので、惟政と会うことを拒絶したのでしょう。そしてその上で、自身の怒りの気持ちを義昭に対してはっきりと示すために自身の領国内にある惟政の城の破壊を命じるとともに、領地を一部没収したのでしょう。惟政としては火の粉が降りかかる…とばっちりを受ける形になってしまったわけですね😥

その処分については日乗らの讒言も影響していたでしょうが、主な原因は義昭と信長の「せりあい」にあった、と見るべきでしょうね。

義昭と信長の「せりあい」はだいぶシリアスなものであったようです。


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